『●●・・・●●・・・・・――』

「―――っ!!」

 肺の中が引きつった感覚に吐き気を覚えて目を覚ました。
 ヒュウと息を吸い込むと、生ぬるい酸素に肺が驚いて思わず咽た。
 隣の部屋の居候を起こさないように無意識に咳をこらえる。

 ここ二、三年、こういうことがしょっちゅうだ。

 そのせいで夜もぐっすり眠ることもできない。よって計らずとも早起きになってしまう。

 小さな咳を漏らして、ちらと枕元においていた目覚まし時計を見ると、時刻はまだ深夜の三時。

 どうりでカーテンの向こうが暗いはず。

 随分落ち着いたころ、自分が汗まみれなことに気がついてゆっくりとベッドからおりた。



 壁に沿うように設置してる、横長の三つの引き出したがついた棚。その二番目にタオルが収納されている。

 二枚手にとって、一枚でとりあえずの汗を拭い取った。

 タオルで体をぬぐいながらドアのほうに歩き、ドアを開ける直前に体を拭くのをやめて片手にタオルをまとめて握り締めて、そっと右手でノブを押した。

 部屋が暗いなら廊下も暗い。

 壁に手を添えて、足音を忍ばせながらリビングを通り過ぎ、洗面所にたどりついた。

 ようやくつけた明りが目に痛い。


 使用済みのタオルを脱衣かごに放り込んで、鏡に映った自分の顔と目が合った。

 ひどく顔色が悪い。

 見てられなくて目をそらした。


 いつものことであるが、やはりぬぐっただけでは体の不快感は拭い取れない。
 しかもこの季節になると汗は拭えど拭えど溢れ出して来る。

「シャワー・・・」

 深夜ということもあって、ふらふらとした手つきで服を脱ぎ、風呂場にはいった。




 シャワーの設定温度を見ると、四十三度。

 よくもまぁこんな熱い湯を夏から・・・。
 感心半分呆れ半分で、設定温度を下げてるうちに、冷水でも大丈夫だろうという考えがわいてきた。

 湯から水に切り替えて、水を頭からかぶる。

「つめ・・・・!!」

 たいのは当たり前だよね。
 我慢して浴び続けるうちに慣れてきて、体の不快感も綺麗に流れ去った。
 水を止めると、ぬるい空気でも身体がかなり冷えだして、慌てて脱衣所に飛び出た。

 タオルで身体を大雑把に拭いて、もう私服に着替える。

 ドライヤーを使いたいけども、音がうるさいので我慢してさっき部屋から持ってきたもう一枚のタオルを首にかける。

 脱衣所の電気を消してるときに、喉が渇いてることに気づいて、そのままキッチンへと直行した。

 冷蔵庫を開けて麦茶を探すが見つからない。

 そういえば夕食のときにハオがキムチ食べて、辛い辛い言いながらがぶ飲みしてたな・・・。


 仕方なくグラスに水道水をなみなみ注いで一気に煽った。
 ついでに麦茶も作っておこう。

 使い古したやかんに水を入れて火にかけた。
 湯が沸騰するまでその場で立って待つ。

 暗がりにある時計にはすでに三時半。
 すっかりと落ち着いた気持ちにほっと息をついた。

 が。

「っ」

 また息が胸に詰まった。
 悪寒が走り、身体どころか視線をも動かすこともできず、コンロの火を見つめる。

 その火が一瞬、不自然に波打った気がして身体を強張らせた。
 見間違いだよね・・・?

 目を離せばいいものを、怖いもの見たさなのかどうしてもそれができなかった。
 ふわりと火が靡き、またしっかりと燃え出す。

 その間隔が徐々に短くなり、やがて。
 フッ、とキッチンが闇に包まれた。

 「!?」

 こうなることは予測してたけど、実際になって頭の中は大パニック。
 数歩先のキッチンの電灯のボタンに足をもつれさせながら飛びついた。

 電気!電気!

 オンにするが電気は点かない。
 何でよおお!!

 何度もオンとオフを繰り返して、それでも電気は点かない。
 暗闇の中、柱や壁にぶつかりながら飛び込んだ部屋。

 微かなお線香の香り。
 和室・・・。

 部屋の中心からぶら下がる電気を紐を引く。やはり点かない。

 もうどうしよう・・・。

 怖いしわけわかんないしで嫌になってくる。

 暗い部屋の中で、仏壇が鈍く光ってた。
 気味悪いな、なんて思ってたらその仏壇の前に青白い光の玉が現れた。

 光の玉なんてかわいいらしい言い方だけど、実物はもっとおどろおどろしい。


「ひっ・・・!!」

 完全に腰が抜けた。
 手で畳を引っかいてそれから離れようとするけどうまくいかない。

 怖いよ。
 目を背けたくて、ぎゅっと目を閉じた。



「そんなに怖い思いをするのも、すべては君自身の責任だよ、●●」

「っ?」

 泣きそうになりながら、目を開けたら、意外な明るさに目を細めた。

 ぽわぽわとした無数の光。よくみれば炎のように見える。
 その光の中心に佇むハオ。

 和室の入り口に留まっていたハオは私の隣まで歩いてきて、未だそこにある光と向き合った。

「あれがなにかわかる?」

 顎で指す。

「わかるって、そんなの幽霊に決まって・・・」

「そう、幽霊さ。君の両親のね」

 躊躇なく吐かれた『両親』の言葉。

「え・・・?」

 両親って。

「どういうこと?」

 どうしてここにいるの?
 死んだ人はあの世に行くんでしょ?
 この世に留まるのは、未練があるからで・・・。

「ま、さか」

「そう、そのまさか。君の両親は未練垂れ流しで、死んでからずっとこの部屋に留まってる」

 未練・・・。
 私は改めて仏壇の前の光を見た。

 何も言えない。

「―――もっとも、引き止めてるのは君だけどね」

 さも、何もかも知っているかのような、迷いのないハオの口調。
 からかってるにしては性質が悪すぎる。


 だったら、だとしたら、ハオの言葉は。

「うそ・・・・」

 さっき水を飲んだはずなのに、もう喉はからからだ。

「嘘なことあるものか。自分で思い当たる節はあるだろ?」

 半ば睨んでるとも取れるその視線。
 何もかも見透かしているかのようなその目は、今酷く恐怖対象となった。

「そんな、思い当たることなんて・・・」

 言いかけて、一週間前の記憶が前触れもなく呼び戻された。
 デパートでの言葉。

『同情がほしいならいくらでもあげるけど』

 同情。
 ハオにそう言い放たれたとき、ドキリとしたのは事実。
 そして、自分自身が自分の不幸を鼻にかけて、周りから同情をかき集めていたのも、また事実だった。

「私は」

 親が死んだと言えば、周りは少なからず同情する。

 自分で誰かの世話になるのを断ったとはいえ、学生が一人で過ごすことは難儀である。

 私自身、しばらくの間は本当に本当につらかったし、言葉では片付けられないくらいに苦しかった。

 しかしそれも時間がたつにつれて、親がいない事実も受け止めて、前向きに過ごせるようになった。

 そして、同時に私は、親がいないことを出汁に、悲劇のヒロインの皮をかぶって、周囲の注目を集めようとして。


 傷をわざと自分で広げるようなことばかりして。
 そりゃ、親も心配するよね。

 今まで自分がしてきてきた愚かな行為。

 それにようやく気づかされ、後悔とともに自分に対して呆れも感じた。
 まだ震える足を奮い立たせて、『両親』に向かい立った。

 立ったはいいけど。

「・・・ハオ、どうすればいいの?」

「好きなようにしなよ」

 好きなように、か。
 私は恐る恐る、その光に向かって歩いた。


 一メートルほどのところまで近づいて、静かに息を吸った。

「・・・お父さん、お母さん、あの・・その」

 照れくささと後ろめたさで言葉が出てこない。
 つばを飲んで、まっすぐにお父さんとお母さんと向き合った。

「ごめんなさい!」

 人生で一番のお辞儀をしたと思う。

「なよなよしてごめんなさい!利用しちゃってごめんなさい!バカでごめんなさい!」

 腰を曲げたまま顔を下げたまま、叫ぶように。

「・・・心配させてごめんなさい」

 鼻の奥がつんとしたけど、我慢した。
 しばしの無音の後、風もないのに髪に何かが触れた気がした。

 ゆっくりと顔を上げるけど、何もない。
 かすかに暖かいそれは頬を滑って、全身に伝わった。

 なにがあるのかわからないけど、懐かしいような香りがした気がして心地よくて目を閉じた。


 カーテンの隙間から差し込む光は暖かく、部屋は明るさに満ちていた。

 ただ最後まで私の後ろで見守っていた(かどうかわからないけど)ハオは、何ともいえない表情をして、私と仏壇を見ていた。

「・・・お父さんとお母さんは?」

「さっき成仏したよ」

「そっか」

 仏壇の前で佇む男女。
 仏壇の中で微笑む男女。

 思わず笑みがこぼれた。

「ハオ」

 ハオにくるりと向き直ると、ハオは横目を送ってきた。


「ありがとう」

「・・・、どういたしまして」

 ハハと笑うと、ハオも苦笑をもらした。






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