汚れた空気。

 減少する森林。

 濁った川。

 すさみきった人の心。

 無限地獄のこの世界。

 何も変わらない、だけど違う。


「・・・どうしたものかな」

 僕は今どこにいる?




 じりじり焼けるコンクリート。

 この何ともいえない臭いは、いつまでたっても慣れることができない。

 日焼け止めは塗ったけど、すでに汗で流れてる。

 学校の鞄も無駄に熱を吸収して持ってるのもきつい。


 頭からじわじわ全身に熱が広がって、それと呼応するように汗が流れる。


 とにかく何が言いたいかというと、暑い。
 夏だから当たり前だけど、暑い。
 汗は出るし喉は渇くし暑いし暑いし暑いし。


「いいもんね。明日から夏休みだもんね・・・」

 そうだよ。明日からは夏休み。

 どれだけ待ちわびたことか・・。


「おい、人間」


 宿題は・・まぁあるけど、1ヶ月もあればすぐに終わる。たぶん。


「おい」


 遊びまくってやる。学生なんだから遊べるうちに・・・・。

「××●●」

「は、はい!」


 突然後ろから名前を呼ばれた。しかもフルネーム。

 声に聞き覚えは無いけどな、そう思いながら振り返る。

「・・・・」

「やあ」

 道の真ん中、私の3メートル後ろに、世にも奇妙な格好で立っていた人。
 綺麗な長い黒髪に、同じく黒い瞳。
 かなりの美人さんなんだけど、格好が常識に考えておかしい。

 着込んだ長いマントに、いかにも星大好きと言わんばかりのダボダボのズボン、そして極めつけにブロック。


 わけわかんない。

「奇遇だね、僕もずっとそう思っていたんだ」

「え?」


 にこりと笑ったその人。

 僕・・・ってことは男の人か。

「あの、どなたですか?会ったことあるでしょうか?」

「そんなことより××●●、今から僕の質問に簡潔に答えろ」

 うわ何こいつ。初対面(だよね)のくせに偉そう。変な格好の癖に。
 笑顔で言い放つその人は、私がそう思ったとたんピクリと眉を動かした。

 でもすぐにまたさっきと同じ表情に戻って、ふいと空を軽く見上げる。


「と思ったけど、暑いね」

「はぁ・・・」

 いきなり世間話・・・?

「暑いね」

 何も反応のない私に重ねて言ってくる。
 返事をすればいいのか。

「そうですね」

「・・・・」

 何で黙る。


 その男の人は私の顔をじっと見つめて、ニコっと笑った。

「僕を家に招待しなよ」

「わけわかんないですごめんなさいさようなら」


 すぐさま体の向きを180度変えて、全力で逃げる。
 あの人やばい人だ。押し入り強盗だ。堂々としすぎで全然気づかなかった。

 走りながらちらっと後ろを見ると、その人は変わらずその場所に立っていた。
 追ってきてないことに安心して、角を曲がったところでゆっくり足を止める。


「おぇ、ゲホッゲホッ」

 ほんのちょっと走っただけなのに息切れがひどい。
 帰宅部の賜物かな・・・。

 汗もひどいし、とにかく早く家に帰ろう。

 シャワー浴びたい。




 5階建てマンションの4階が私の家。

 エレベーターで昇って、鍵を回し、中に入る。

 誰もいない家。

 暑くて苦しいくらいなのに、ここに入ると、この家だけ温度が外より幾分低いようなかんじになる。



 けど、そうなんだけど、今日はなんだか違和感。

 いやもう違和感なんてもんじゃない。

 玄関に整えて脱がれている、ハイセンスなブロック靴が、がっつり目に見えてるし。


「・・・・・・」


 暑さではない汗が溢れ出てきた。


「いや、だってほら、ありえないでしょ。あの人ついてきてなかったし、後ろも確認しながら帰ってきたし、何より鍵がちゃんとかかってたし・・・」


 ありえない、そうありえないんだ。

「ありえないありえ」

「何1人でぶつぶつ言ってるんだい?」

 玄関からのまっすぐな廊下の先にはリビング。その開け放たれたドアから、その人はぴょこんと顔を出した。

 ザッと血の気が引いて、体が反射的に玄関のノブをつかんだ。


「何もしないよ」

 引き止めるように言われた言葉。
 それが何となく嘘じゃない気がして、私はその人と目を合わせた。


「何もしないし、何も盗らない。ただちょっと僕の質問に答えてほしい」

「本当ですか?」

 嘘に決まってる。犯罪者なんて簡単に嘘をつく。ってばあちゃんが言ってた。気がする。


「約束する」

 それでも何となく嘘じゃない気がした。


 私は少しの間躊躇った後、靴を脱いで廊下に踏み出した。

 彼も満足そうに笑って、顔をひっこめた。




 彼は座敷の部屋で姿勢よく正座をしていた。

 椅子のほうが楽なのに。

 そう思ったけど、わざわざ言うようもないので、テーブルを挟んでその向かいに同じく正座をする。


「・・・」

「・・・」


 えと、これは私から言い出すべきなのかな。

 今気づいたけどクーラーが作動してる。勝手につけたな。


「僕はハオ」

「え?」

 しまった。クーラー気にして聞いてなかった。

「僕の名前はハオ。よろしく」

「あ、私は××●●です」

 ハオ・・・変わった名前。



「早速質問してもいいかい?」

 どんな質問が来るのか。

 頷いて少しだけ身構える。


「ここは、どこ?」

 は?

 一発目から間の抜けた質問に、ずり落ちた期待。

「東京です。結構田舎のほうですけど」

「そう。東京・・。じゃあ君は『ふんばりが丘』って所を知ってる?」

「(ふんばり・・・)知らないです」

「ふぅん・・・」

 その後も、淡々と質問をするハオに、私もしどろもどろ答える。

 こういう人を知ってるかとか、年月日とか、外国の名前をいくつか問われてその国を知ってるかとか、この近くにある有名な建物だとか、おいしいカレーパンのあるパン屋を知ってるかとか。

 十数分、面白みのない質問と回答を繰り返して、ようやく聞きたいことをすべて聞き終えたのか、ハオは至極深刻そうな顔をして眉を寄せて考え込んだ。


 すごく、美人。これで男の人って羨ましい。じゃなくて。

「あの・・どうかしたの?」

 恐る恐る話しかけると、彼は真面目な表情のまま私を見た。

「どうしよう●●」

 いきなり下の名前で呼ばれて少しびっくりした。

「何が?」

「・・・どうやら僕は帰る場所がないらしい」

「―――――は?」

「僕も理解しがたいけど、もうそうとしか考えられない」

「よくわからな・・・」

「僕は」


 一度言葉を区切って、ハオはテーブルを見つめて、私に視線を移した。



「僕はこの世界の人間じゃない」


 これはウケ狙いだよね。






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