勉強が人より多少できるのは事実だったし、それを維持するための努力も毎日怠らずしてきた。

 先生に褒められるのは嬉しかったけれど、同級生のみんなには煙たいものであるかのように扱われて。そのときから私は人と干渉しないようにしてきてたんだと思う。

 でも私は変身術が大の苦手で、マクゴナガル先生に呆れられてる気がしてた。


 いくらがんばってもできないことはある。

 その苦手教科は後々にも引きずる羽目になるけど、私にはもう一つ苦手なことがあった。


 飛行術。

 飛べない。

 魔女なのに。


 一年生しか飛行術の授業はないから地道に練習して、どうにかテストはパスできたけれど、三年たった今もう乗れなくなってる可能性のほうが高い。
 それはちょっと魔女としてどうなのか・・・。


 だから私は日が暮れる前に、ホグワーツ城の裏で箒に乗る練習をすることにした。

 裏なら人もあまり来ないだろうし。


 そうと決めた日、早速箒を片手にこそこそと裏へ回り込む。

 周りを見渡す。・・・誰もいないようだ。


 私はよし、と意気込んで、地面に箒を横たわらせた。その上に自分の手をかざし、一言。

「あ、上がれ」

 ・・・。

 箒は土の上にころんとしたまま。挫けずにもう一度。


「上がれ。うがっ!」

 力をこめて命じれば箒は確かに上がった。しかし私の額めがけて飛んできたのは、もしかしたら私が箒になめられているからだろうか。


 じんじんと痛む額をさすりながらも、とりあえず第一段階はクリアできたと喜ぶ。


 そして次はメイン。

 恐る恐る箒に跨る。跨っても暴れたりはしなかった。


「・・・」


 ただマグルの子供が箒に跨っているかのように、微動だにしない。

「う、動いて・・・」

 こつこつと柄を叩く。せめて浮くだけでも反応を示してほしい。

 半分期待せずにそうやったのだけど、箒が一度ぶるりと震えたと思ったら、踵まで地に着いていた足が少しずつ浮き上がっていくではないか。


「え、あ、ちょっと待って・・・!」

 動いてと言ったけど、実は心の準備はまったくしていなかったりする。それでも構わずぐんぐんのぼっていく箒。


 ひいいい高い!

 こんな命綱も何もないのに、どうして皆ひゅんひゅん飛んでいられるの!

 柄を掴む手は汗ばんで、抵抗していた足も緊張して動かなくなってしまう。


 どうしよう・・・。

 ありえない地面との距離。ホグワーツの窓から下を覗くのとはわけが違う。遠近感覚がわからなくなってくらりと視界が揺れる。

 降りて!降りて!

 ぐいぐいと箒を押すけれどびくともしない。

「降りてよ、バカ!!」

 精一杯の威勢を張って、箒を怒鳴りつけたときだった。

「っ!」


 がくんと高度が下がったと思ったらまた一気に突き上がる。さっと血の気が引いた。

 『暴走』の二文字が頭をよぎったが、左右にぶんぶんと振り回されて一気に冷静さなんてぶっ飛んだ。姿勢を低くして、暴れ馬のように、乗っている人を振り落とそうとする箒にしがみつく。



 行っては戻る視界。恐怖に声すら出せず箒の上で目を閉じていたが、しだいに胸からおえっとしたものがこみ上げてくる。


 それはやがて恐怖を上回ってせりあがってきた。

 とっさに口元を押さえる。


 しかしそれがいけなかったらしい。

 両手でつかまってぎりぎりなのに片手でそれに引っ付いていられるはずがない。


 握力のせいか、手汗のせいか、唯一の命綱である手が箒から離れた。


「え」


 意識せずに唇からこぼれた声は耳に届く前に、自分の体が風を切る音でかき消された。

 悲鳴を上げればいいのに、こんなときにも私の喉は小さく縮み上がったまま。


 あざ笑うように旋回していた箒はどこかへ飛んでいってしまった。


「し・・・」

 死ぬ・・・?


 呆然としているうちにも地面は迫り来ていて、怪我はしても死なないような魔法を必死に思い浮かべるけど焦った頭ではなんの呪文も出てこなかった。

 乾燥しきった喉をひゅっと鳴らしながら呼吸をするけど、それより早く心臓は心拍する。


 じわりと視界が歪んだ。

「いやだ・・・っ」

 もがくように遠い空に手を伸ばした。




「うぐっ!」

 ガクン、と体が弾み、落下が止まる。

 地面にぶつかったのか? でも足は宙ぶらりんだし、痛みもない。ただ腕が軋んでるだけ。


 疑問符を浮かべて数メートル下の地面を見つめていると、真上から物憂い気なため息が落ちてきた。

 視界を滲ませたまま見上げる。


 不自然に上に上がっていた右腕。それはその人がつかんで落下を止めてくれいたせいであったらしい。

「何やってるんですか」

 幼い顔立ちの彼は緑をはためかせながら、老成したように眉間にしわを寄せていた。





 自分が乗った箒を誘導しながらゆっくりと私の足を地面に下ろしてくれた。着地して彼が手を話した途端に足から力が抜け、柔らかな草の上にへたりこんでしまう。

 地面にひざと手のひらを着いて呆然としているその視界の端で、助けてくれたその人は軽やかに地に降り立った。

 力なく顔を上げてもう一度彼の顔を見上げる。眉間にしわはないものの、口はへの字に曲がって「迷惑極まりない」と言いたげだった。


 お礼。お礼を言わなければ。



「あ、あの・・・ありがうわああああん!」

「!?」

 自分でもびっくりした。お礼を言おうと思って口を開いたはずなのに、出てきたのは泣きじゃくる声で。もちろん一番ぎょっとした彼は一歩後ずさった。

「えと・・・その・・・なんかすみません」

 きょどきょどと言葉を詰まらせる彼。違う、違う。謝ってほしいんじゃない。わかってほしくて、びーびー泣きながら首を横に振った。


「しっ、死んじゃ、うかとおも、て」

 綺麗とか汚いとか自分の状態を省みれる余裕はない。制服の裾でめちゃくちゃに顔をこすって、どうにか涙を乾かそうとした。

 その人は私が泣き出した理由が自分ではないと知って安心したらしい。それでも目の前で自分よりも上の学年の者が自分の目もはばからずに泣き喚いているというのは手に余る状況であるみたいだ。唇をぱくぱくと動かして、言おうとしては止めるという行為を繰り返していた。


 結局、私に慰めの言葉をかけることは諦めたらしい。

 彼は何も言わずに私のほんのちょっとの距離を置いて横に腰を下ろした。






 泣き声が小さなしゃくりに変わったころ、ようやく自分がどんなに恥ずかしいことをしてしまったかを理解した。

 年下の子の前で大泣きするなんて・・・恥ずかしい・・・。

 それをごまかすように、私は苦笑いをしながら隣を見た。


「助けてくれて、ありがとう」

「・・・・・・いえ」


 その人は私の顔をじっと見つめ、目をそらすついでに返事を返してくれた。







 ふいに彼は傍らに置いていた箒をつかんで立ち上がり、すたすたとどこかへ歩き出し始めた。

 長く引き止めて悪いことをしてしまったなと思いながら背中を見つめ、はっと命の恩人の名前を聞いていないことを思い出した。



「あの、名前は・・・っ。お礼がしたいので」

 彼は足を止めて何かを考えるように間を置き、くるりと振り返った。

「お礼は、いりません」

「でも」

「いりません」

 強く返された声に気おされる。

 落ち込みながら小さく謝罪する。

 気持ちいいとは言えない沈黙。もう一度謝ろうと唇を薄く開いた。


「―――ブラック」

「え・・・?」

「レギュラス・ブラック、です」


 そっぽを向いたまま告げた彼は、ぽかんとしている私を最後にもう一度だけ見てまた背を向けて歩き出してしまった。


 レギュラス・ブラック。


 口の中でその名を反芻し、それがホグワーツでは言わずと知れたものであったことで頭の中が真っ白になった。

 とんでもない有名人に恩を作ってしまった。


 これで明日には、私が彼に迷惑をかけたことがホグワーツ中に知れ渡っているかもしれない。

 鬱々となる気持ちとは裏腹に、次の日もその次の日も、ホグワーツの噂に『●●・××』の名前は浮き出てこなかった。











「廊下ですれ違うときとか目が合ったら、ちょっと頭下げてくれるのがすごく嬉しかったなあ・・・」

「・・・・・・へー」

 長々と聞きたくもない話を聞かせ終わったら、●●はうっとりと目を細めて花を飛ばしていた。気分わりいな。


 たく、レギュラスの野郎、ガキのころからませた行動ばっかり取りやがって。

 ソファーにだらしなく寝そべっていれば、食卓の指定席に座って話していた●●はくるりとこちらに顔を向けてきた。俺のあからさまに興味がなさそうな返事にご立腹らしい。眉間にしわが寄っている。

「聞いてるの?」

 椅子から降り、こっちに寄ってきたと思ったら、仰向けに寝ていた俺の腹をばしんと容赦なく殴りやがった。


「卒業してだらだらしてることも多くなって、お腹もだらしなくなったんじゃないの?」

「うるせー。ちゃんと引き締まってるよ。ホレ」

「見せなくていいから」

 服の裾をぺろりをめくって見せれば、●●は少しだけ耳を赤くして目をそらした。いい加減慣れろっつーの。


 まあレギュラスの話題からそれたことはよしとしよう。

 よっこらせと体を上げて●●が座れるスペースを作ると、彼女は何も言わずにそこに座った。拳三つ分の隙間を空けて。んー。まだまだだなあ。


 わざとらしくその隙間を埋めるように近寄れば、●●は不快そうに眉を寄せた。ひどい。

 再び距離を戻し●●とは反対のほうを見て冗談とわかるように泣き声を上げる。


「もう。やめてよ、そういうの」

 学生のころにやったときはあからさまに焦っててかわいかったのになあ。その焦りように俺まで焦ってジェームズたちに笑われたけど。・・・でも今みたいに、冗談とわかりつつも慰めるように背中を叩いてくれるのも、それはそれでいい気がする。

「はいはい」

 自分の気もすんだので嘘泣きをやめる。




 何を話すでもなく、ただぼんやりと時間をすごすのもすでに暇なときの日課となってしまった。

 不意に、数年前のとある夜のことを思い出し、自分の横に投げ出されている彼女の手を見つめる。手の大きさはほとんど変わっていないようだが、一つだけ大きな変化。


 こっそりと握ってやろうと思って手を忍ばせていくが、触れる直前で家の戸が激しく叩かれ、●●は「はい」と返事をしながらソファーから降りていってしまった。


「なんだよ・・・」


 邪魔されたことにいらっとしつつも、ぱたぱたとかけていく彼女の左手の指にはまる指輪を見て、意識せずににんまりと笑ってしまうのだった。







「ひっさしぶりー、●●ちゃん!シリウスいるー?」

「んだよ、うるせーな」

「うわ!来た!」

「お前が呼んだんだろうが」

「まあまあ。そんなことより、マグル製のバイク買ったからちょっと『見回り』に行きませんかな?」

「おお、いいな。●●、ちょっと出てくる」

「うん。・・・あ、リーマス、ピーター、エバンズさん、中にどうぞ」

「ありがとう、失礼するわ。でももう私は『エバンズ』じゃないのよ」

「あ・・・すみません、クセで・・・」

「ややこしいよね。ジェームズが婿養子になればよかったのに」

「リーマス」

「ピーターも前は頷いてたくせに。あ、お邪魔します」

「・・・」



 子供のようにはしゃぎながらバイクを乗り回す者、言い返せずに玄関先に立ち尽くす者、それをなだめて中に入れようとする者、気にせずに中に入ってのんびりとする者。



 過去と今は繋がっています。






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