「メリークリスマス!」

 スラグホーンはシャンパンの注がれたグラスを高く持ち上げる。

 それを合図に生徒たちは思い思いに食事を取ったり、恋人と寄り添ったりし始めた。


「へー。内輪だけの集まりだから、どんなしょぼくれた物かと思ったら、結構豪勢じゃねえか」

 地下に準備された空間は隅々まできれいに磨かれており、大広間に浮かんでいるものには劣るものの、それなりの大きさのツリーも中央に佇んでいる。


「シリウス・・・」

 微妙な表情をしているピーターに皿を持たせ、手当たり次第に食べ物を乗せていく。

「せっかくなんだから楽しめって」

「う、うん・・・」

 背中をばしんと叩く。ピーターは何かつっかかりがあるような顔をしながらも、ちまちまと料理を口に運び始めた。


「じゃ、俺は美人なやつでも探しに行ってくる」

 ばっと顔を上げたピーターは何かを叫ぼうとしたが、口に含んでいたもののせいで勢いよくむせてしまう。そんなピーターを尻目に、ひらひらと手を振りながら雑踏の中に身を隠した。




 目的もなく歩き回る。

 なかなか目ぼしいやつはいない。スラグホーンの目に留まるやつも、そうそう人数が多くなるわけでもないし。


 目の端に黒い頭を捕らえて、びくりと過剰に反応してしまう。全然知らない人だ。


 無意識にある姿を探してしまっていることに気づき、心底嫌な気分になった。


 来るわけねえだろ。あんなことがあって、わざわざ俺と出くわす確率の高い場所に来るほうがおかしい。ただでさえ、ちょっとしたことがあっただけで姿を見せなくなる●●であるのに。


「――」

 あああ!なんでクリスマスにまでこんな重い気持ちなんなきゃいけないんだよ!楽しめ!弾けろ!


 頭をぶんぶんと振って気持ちを切り替えた。

 浮遊する銀盆からシャンパンを受け取りちまちまと飲んでいれば、不意に視界にあった会場の扉が控えめに開いた。


 今頃誰だよ。

 そんな気持ちで目線を向ける。
 ちょっとの隙間から会場に入ってきたのはリーマスだった。

 そういえばいつの間にかいなくなってたな。どこ行ってたんだよ。


 リーマス、と呼びかけようとしてすぐにそれを止めた。止めたというより、止まってしまったというほうが正しかったかもしれない。


 妙に己の背後を気にしているなと思ったら、リーマスの後からあいつが――●●が俯きながら入ってきた。


 とっさにそっちに背中を向けて、焦り始めた自分をどうにかなだめようと深呼吸を繰り返す。


 なんで来るんだよ。


 多少落ち着いてから柱の陰に隠れながら二人のほうを伺う。

 シンプルな白いドレスに身を包んだ●●は、制服を纏っているときより何倍も大人っぽく見えた。


「ご希望通りでよかったな」

 リーマスに対してぽつりと零す。

 リーマスに何を言われたのか耳を赤くして、じっと下を向いている。リーマスはやっぱり楽しそうに笑っていた。

 なかなか前に進もうとしない●●の背中を、やつがちょっと押す。●●が見ている先にはスラグホーン。・・・ああ、そういえば顔出すだけして帰るって言ってたな。


 ●●はもう一度だけ背中を押され、ようやくとぼとぼとスラグホーンのほうに歩いていった。


 彼女の背中が人に飲み込まれるまでぼーっと眺めて、はっと意識を取り戻した。そして妙に虚しくなる胸。


「何やってんだ、俺」

 自分から突き放したくせに、往生際の悪い。


 場の、熱に浮かされた空気に乗るために、近くにいた女生徒に笑顔で声をかけた。




「シリウス」

 いつの間にか集まってきた女生徒たちと楽しくしゃべっていれば、あまり場にそぐわない、難しい顔をしたリーマスが肩を掴んだ。邪魔をされたことには特に憤りは感じない。

 何険しい顔してんだよ、と背中を叩き返すも、さらに眉間のしわを深くするだけ。

 リーマスは周りにいた女に愛想笑いを浮かべ、ちょっと俺を借りていくだとかなんだとか言って許可を取り、ぐいぐいと隅のほうに引っ張っていった。


「なんだよ。そんな恐いかおするなよ」

 にへらと笑って見せる。
 リーマスは方眉を上げて、深いため息をついた。


「君、アルコール入りのシャンパン飲んだね」

「しらねーよ。入ってようが入ってなかろうがおんなじだろ?」

 ふらっとよろけて壁に後頭部を勢いよくぶつけたけど、不思議と痛くない。

「ちょっと、しっかりしてよ。この歳で酔っ払いにならないでくれ」

 俺の両肩を押さえてしゃきっと立たせるけど、押さえが離れたとたんにまた身体から力が抜ける。

 これはだめだと判断したリーマスはあっさりと、俺をしっかりさせることは諦めた。


「そのままでいいから、聞いてくれる?」

 うんうんと頷く。そうやってちゃんと返事をしたのに、リーマスは不安そうに顔をしかめるんだ。

 ちゃんと聞いてるよ。


 お人よしのリーマスは、懇切丁寧に一言一言区切って、はっきりと唇を動かした。



「●●が、君と、話を、したがってる。聞こえた?」

「聞こえた」

「じゃ、復唱してみて」

「・・・」

 鳶色の目をじっと見つめて、こてんと首をかしげると、それはもう近くにいた生徒たちがびくっとするくらい勢いよく拳骨をされた。星が散るってこういうことだと思う。


「いっつ・・・!なにす・・・んだよ!」

 ぎゃんと喚いて、痛みに涙を滲ませながらリーマスを睨む。

「酔いは醒めた?」

 据わった目でもう一度拳を構える姿を見れば、黙って頷くことしかできないのは当たり前のことだ。

 ったく。もっと丁寧な所作でできないのか。


「で、アイツがなんだって?」

 不機嫌丸出しで訊ねる。
 嫌悪を混ぜながら『アイツ』と言ったことに、不快そうに眉をしかめつつも何も咎めなかった。


「・・・もう一度しか言わないからね。●●が、シリウスとちゃんと話がしたいって」


「ちゃんと?」

 ふんと鼻を鳴らす。

 ちゃんとも何も、話すことは何もない。どうせ向こうの言い訳か、ただ仲を取り繕うための謝罪だ。そんなもの、聞くだけ時間の無駄。


「俺は別に話したくないから」

 リーマスにくるりと背を向ける。


「そのことはもういいからさ。楽しもうぜ」

「シリウス!」

 うやむやにして去ろうとしたのが悪かったのか、リーマスは珍しく怒気を含めて低く叫んだ。

 足は止めるが、振り返りはしない。

 バカとかアホとか罵倒されるのかと待つ。

 しかしリーマスから発せられた声には、どこか懇願にも似た色が含まれていた。


「お願いだから、もう少し素直になってよ」

「素直・・・」


 口の中でリーマスの言葉を転がす。

 リーマスの言葉に従えと叫ぶ自分を押し倒し、俺の唇から落ちたのは嘲笑混じりの自己嫌悪だった。


「素直になったところで、何が変わるんだよ」

 それ以上は聞きたくないと、リーマスが後ろで呼び止めるのをすべてシャットアウトして出口に向かう。


 静かな場所に行きたい。今の俺の『素直』な気持ちはこれだけだ。

 無意味に大きな扉。ノブを握る。


 そのまま周りも見ずに出て行けばいいのに、俺のいらないセンサーが反応してしまったようで、首を回して壁際のほうを見てしまった。


 ●●がこっちに背を向け、レギュラスと向かい合って立っていた。

 愛想笑いすら浮かべていないレギュラス。しかし見ず知らずの人間と話すときと比べれば、非常に打ち解けているようにも見える。


 これでいい。

 これでいいはずなのに、俺の身体はなかなか動いてくれなくて、ぼーっと二人の姿を眺めた。それが不幸となしてしまう。

 妙な視線に気がついたレギュラスが真っ直ぐに俺を射止めた。目をそらし遅れ、見詰め合ったまま数秒。


 レギュラスはまたすぐに●●に視線を戻した。

 ほっと胸をなでおろす。もう見るのはやめよう。


 レギュラスが二、三言●●に何かを告げるのが見えた。名残惜しさと自分から目をそらすことの苦しさに囚われてしまったせいで、●●が何の前触れもなしにぱっとこちらを振り向いたときにすぐ反応できなかった。


 まずい。

 目が合った瞬間にそう思い、まとわりつく視線を振り切って部屋から出た。

 廊下に出ると、室内がどれだけ熱気で溢れていたかはっきりとわかる。きんとした寒さが露出した顔や首筋に当たり、燻っていた酔いもすべて醒め切ってしまった。


 早く。


 何をそんなに焦っているのか、走らずとも早足で、地下から一階への階段をのぼる。

 半分ほどのぼったところで、もう一度扉が閉まる音がし、さらに歩を速めた。


 一階はすでに消灯済み。どうやらとうの前に就寝時間はすぎているようだった。地下にいると時間感覚が狂う。

 月明かりだけを頼りに、何年も行き来したグリフィンドール寮へ急ぐ。

 俺が歩いてきた道を追ってくる、ばたばたという音が徐々に近づいてくるのを聞きながら、早く寮につけと願う。


「シリウス君!」

 履きなれていないのだろう。不規則にヒールを鳴らしながら、何度も何度も俺の名前を呼ぶ。

「待って、待って!」

 無視して歩き続ける。何度か、小さな悲鳴と、固いものがぶつかるような鈍い音がした。そのたびに痛みを耐える唸り声を上げてまた立ち上がり、また走ってくる。


 なんで追いかけて来るんだよ。

 ●●の無責任な行動には、もう振り回されたくない。


「シリウス君、ねえ、待って!」

 無視。

「シリウスく・・・」

 もう一度俺の名前を言い終わらないうちに、●●は、はっと息を呑んだ。次いでばたんと冷たい廊下に倒れこむ音。


「う・・・」

 今度はなかなか起き上がってこない。心が折れたか。

 このまま振り切ってしまえ。


「シリウスくん、ねえ」

「・・・」

「シリウスくん待って・・・」

「・・・・・・」

 震えていく声。

 もう泣き出して喋れなくなるだろう。そう思った。



「止まってよ!!!」



 だから、彼女のものとは思えないほど張り上げられた声に、思わず足を止めてしまったんだ。

 一度止めてしまった足は、なかなか動かない。かといって、振り向いて彼女に歩み寄ることができるわけでもない。

 静寂を破るのは、彼女の荒い息遣いだけ。


「どうして、話を聞いてくれないの?」

「話すことがないからだろ」

 自分でも驚くくらい低くなった声。それでもよかった。泣いて、レギュラスに慰みを乞いに行けばいい。


「それはシリウス君だけでしょ?」

 いつものよわっちい●●しか見ていなかった俺は、震えながらも芯のある声で彼女が言い返してくるとは思ってもいなかった。


「勝手に引っ張りまわされて、怒鳴り散らされて、無視されて。シリウス君がわかんないよ」

「わかろうとしないのはお前だ」

「違う!!私は・・・」

「じゃあ」


 苛立ちを覚えくるりと振り返る。

 遠いところで●●は廊下に座りこみ、涙を耐えながら足を強く押さえていた。


「なんで俺を追いかける」


 お前がレギュラスを呼ぶたびに、俺がどれだけストレス感じたか、わかってたっていうのかよ。

 笑顔を向けてくるたびに、こいつの本当の笑みを見れるのはレギュラスだけなんだと思い知らされるのを、わかってたっていうのかよ。


 俺がお前が好きだってこと、わかってたっていうのかよ。

「もうほっといてくれ」


 急に憤りが引いて泣きたい気持ちだけがそこに残り、また背を向けようとした。


「だから、私の話を聞いてよ!!!」

 今一度強く叫んだ●●は、俺が言い返す前にぼろぼろと涙を流しながらまくし立てた。


「確かにレギュラス君は好きだったよ。ずっとずっと。今でもすごく好き」

「そんなこと」

「いいから聞いて!」

 ぴしゃりと弾き返され、もう抵抗する気力も失せた。


「でも、いつからかはっきりわかんないけど、いつの間にか、前みたいにレギュラス君にどきどきしなくなった。顔を合わせて話すと緊張するけど、それは本当にただの『緊張』で。――逆に、レギュラス君の顔見てると、し、シリウス君のこと思い出しちゃうようになっちゃって。
 ベンチでお喋りしたときも、変な呪いかけられて手が離れなくなっちゃったときも、ハロウィンのときに一緒に箒乗ったときも、ずっとずっと、どきどきしてた。私とシリウス君は『友達』なのに、どうしちゃったのかわからなくて。ジェームズたちに相談して、それでやっと気づいたの」


 するりと●●の頬を涙が落ちる。


「――私、いつの間にかシリウス君を好きになってたんだなぁ、って」


 どのくらい前からだっただろうか。彼女が『レギュラス』の名を口にするのときの、独特のつっかえがなくなっていったのは。昔はあんなに、名前を呼ぶことすら恥ずかしいと赤くなっていたのに、いつの間にか、ただのお話一部であるかのようにさらりと言ってのけることが多くなっていたではないか。


 ただ目を見開いて●●のことを凝視することしかできなくて。


「シリウス君もてるから、私なんかから好かれても嬉しくないだろうなって思って、一生懸命忘れようとしたけど・・・だめだった」


 諦めたように首を振って、●●は俺の顔を真っ直ぐに見つめた。




「地味で暗くて、ちょっと勉強ができるだけがとりえの私をここまで引っ張りあげてくれたシリウス君が、大好きになっちゃいました」




 月明かりに照らされて、顔をくしゃくしゃにして涙を流す●●を見たあとは、よく覚えてない。


 空いていた距離を走って詰め、冷えた身体を抱きしめて、何度も何度もごめんと謝った。





 結局、●●がレギュラスが好きだっていう方程式は、思い悩んでいた俺の早合点であり、誤解であり、勘違いであることがわかった。

 それでも一応言い訳はさせろと、●●の誤解を招くような行動をつらつらと咎めたが、●●はおかしそうに笑って、一言ごめんと謝っただけであった。それで十分だったのだけど。





 足を捻ったという●●を医務室に連れて行った後、俺はパーティー会場に戻る。

 きっと●●が俺を追いかけて出て行ったことを知っていたのだろう、エバンズを引き連れたジェームズ、リーマス、なぜか酔ったピーターに、すぐさま囲まれた。

 事のいきさつを洗いざらい話し、全員が驚き閉口している中空気をぶち破ったのはやっぱりリーマスの拳骨。


「てめえ、●●に怪我させたな」


 ていうのは俺の意訳だけど、もっと遠まわしにひどいこと言われた。泣きたかった。

 でも俺が泣き出す前に、リーマスは肩をすくめ「おめでとう」と言ったのだった。ジェームズは「色男!」と叫びながら顔面を殴ってきたし、ピーターは酔った勢いでがんがん酒を勧めてきた。断ったけど。いまいち事情のわかっていないエバンズも、とりあえずおめでたいことだと言うことは理解したらしい。くすくす笑いながら、彼女もまた祝福の言葉を俺に投げかけたのであった。


 そして、ここで新事実が発覚。


「嵌めたぁ?俺を?」

「だって、あんまりにも女遊びがひどかったから。ちょっとでも効き目があるといいなって思ったんだけど・・・。効きすぎたみたいだね」

 どうやら、元からジェームズたちは、●●を落とさせることが目的ではなく、俺に痛い目見てもらおうという魂胆であったらしい。

 偶然にも俺と●●がインパクトのある出会いをしていたから、ジェームズがその場で発案したらしい。


 いい迷惑って言えばいい迷惑だ。


 でもまあ、こいつらのバカのおかげで、まぬけに花飛ばしながら歩けるわけで。


「余計なことすんな、ばーか」

 そう言うだけで、許してやった。




 かくして、俺の長いようで短い片想いは、手を振りながら去っていったのである。






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