すっかり冬の色も強まり、明日にも雪が降るんじゃないかという寒さ。 外に出るときはもうマフラーは手放せない。 エッグを頬張り、窓の向こうの空色を見て今日の天文学は中止にならないのかと期待をしたが、どうにも太陽の光が差し込んでいるあたり中止はなさそうだ。今日の天文学の授業は、夜中外に出て星の動きの観察らしい。 「シリウス、大丈夫?」 さっきからちらちらと俺の様子を伺っていたリーマスが、ついに我慢の限界を超えたようにフォークを置いた。 「何が」 リーマスには目を向けず、最後の一口を口に放り込む。 「何がって・・・。なんだか最近様子がおかしいから」 「別に。普通だけど」 俺が見てないと思って視線を交わす三人に少しいらだつも、それ以上に胸を占めるいらだちとも不安ともつかないものに、いとも簡単に飲み込まれてしまった。 「それなら、いいけど・・・」 またフォークを握って食事を再開する。 ジェームズたちが食べ終わるまで頬杖をついて、何を考えるでもなくぼーっと虚空を見つめた。 『まるで恋する乙女だね!』 ●●と知り合ったばかりの当初、ジェームズが冗談めかして言ってきた。 そのときは、「●●・××をシリウス・ブラックに恋をさせろ、と言ったのは誰だ」とジェームズに食いついたものだけど、今となっては冗談にならない。 もし今言われたら、本気でジェームズをぼこぼこにできる。 ついこの間までは「一人の女だけ好きになるとか何それギャグ?」みたいな対応してたのに、気がついたら付き合ってたやつらと縁切って、どんどんのめりこんでいってさ。バカみてえ。 むなしいくらい俺はプライド高いし、まさかあんなのを好きになるなんて絶対ないはずだったのに。 ●●を思い浮かべてみて、どこが好きって聞かれても即答できない自信がある。 そんなものなのだろうか。 でも●●は、レギュラスを好きになった理由があるみたいだし。 ていうか、レギュラスは●●のことをどう思っているのか。これで両想いとかだったらなんか俺立ち直れそうにない。 ぽややんと、レギュラスと●●が並んでるのを思い浮かべてみる。 ・・・うん。 お似合いというか、キャラ被り。 かといって俺自身と●●が並んでいれば自分で言うのもあれだが、アンバランス。 「うー・・・」 どっちもどっちか。 どっちがいいとか言う前に、まず●●が向こうが好きだと言うのならそれまでだ。 ふ、と隣を見る。 リーマス。夜空を見上げて、図に星の流れを書き込んでいる。 「・・・」 じっとその横顔を眺める。 あれ、なんかこいつが一番●●とお似合いな気がするんだけど。なにそれ。なんかすっげえ腹立つ。 なんだかんだ言って、リーマスは異様に●●に敏感だし。 「・・・何?」 穴が開くほど睨んでいたのがばれて、リーマスが居心地悪そうに睨み返してきた。 「あのさ」 怖気ずに続ければ、リーマスは睨むのを止めて首をかしげる。 「もし、もしだけど」 「だから何?」 訊いていいものか。訊いていいものなのだろうか。訊いてしまえ。 「もし、 ●●がリーマスのこと好きっていったらどうする?」 「・・・・・・は?」 予想以上に女々しい質問になってしまった。しかしそんなことに気を回していられるほど余裕はないんだよ。 ずいとリーマスに近寄る。 「リーマスは●●のこと、嫌いじゃないだろ?」 「嫌い、じゃないけど・・・」 「じゃあ、好きって言われたら・・・」 「ちょ、ちょっと待った」 ぐいぐいと寄ってくる俺の肩を元の位置に押し戻し、リーマスは少し眉間にしわを寄せた。 「本当に大丈夫?ハロウィンのとき辺りからおかしいよ?」 「ハロウィン・・・」 「その後から、なんだかシリウス、●●のこと避けてるかんじがする」 「・・・」 三週間ほど前のあの夜。 何か嫌なものに気づいてしまい、あまり●●と顔を合わせないようにしていたのは事実だった。 コマ送りで蘇る、そのときの記憶。 そういえばあのときも夜で、●●は星を見てたな。 ●●は、●●は、●●は・・・。 「あ〜・・・」 羽ペンと星図を投げ出し、草の上にごろんと倒れた。 「もう俺だめかも・・・」 「最初から君はダメ人間だよ」 無造作に散らばる星を眺め、ため息をつく。 こうやって頭を空っぽにしていれば先ほどのリーマスへの質問がどれほど恥ずかしいものかがわかってきて、冷たい外気に晒されているにもかかわらず、頬は熱を持った。 うなり声を上げたいのを我慢して自分の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜると、リーマスに同情のこもった目を向けられた。 ぼさぼさの頭のままむくりと起き上がり、服についた草を払いながら立ち上がる。 「ちょっと歩いてくる」 「星図は?」 「後でやる」 後でっていつだよ・・・、というリーマスの呟きを無視して、空を見上げる生徒たちの間を縫い歩き始めた。 「さむっ」 コートも羽織り、マフラーも巻いてるのに身体は冷え切る。 歩くといっても、この暗がりだ。あまり遠くに行ってはリーマスの場所に戻れなくなるかもしれないからほどほどにしておこう。 若干俯き加減でうろうろしていると、周りを見ないで来たせいか人の少ない場所へ出てしまった。 ちらほらといる生徒たちは、俺のほうには目もくれず一生懸命に星図に書き込んでいる。 まだ一つも書いていないまっさらな自分のそれを思い出し、戻ったほうがいいと考えた。気分転換もできたし。 踵を返しもと来た道をたどっていると、来るときには見えなかった陰に一つの生徒の影を見つけた。 それだけだったら特に注意してみようとも思わないが、俺がまじまじと見ることになったのもそいつが他の生徒たちとは真反対の空を見上げていたからで、そいつが見知った影であったからである。 向こうは自分に気づいていない。 行くべきか、行かぬべきか。 冷静な自分が判断を下す前に、直情的な自分が勝手に足先をそちらに向けていた。 「●●」 背後から声を変えると、●●はびくりと肩を震わせて恐る恐ると振り返ってきた。 暗闇の中俺の顔の辺りをじっと見つめ、やっと誰だかわかったらしい。肩の力を抜いて、のんきに「こんばんは」だってさ。 彼女の傍らに転がっている羽ペンと星図。こいつでも放棄することあるんだなと思いながら、星図を覗き込む。はいはい。八割終わってますね。 「どこ見てたんだ?」 書き込み率ゼロの自分の星図を頭から打ち消し、●●が見つめていたほうを見上げた。 すると●●はわたわたと慌てて立ち上がり、空を隠すように手を上に上げた。 「レグルス、です・・・!」 隠すのに言うんだ。 微かな星明かりだけでも認知できるほど●●は真っ赤になって、俺の視線を空からはずそうとしていた。 こんな形ででも、●●の口からレギュラスの断片を聞かなければいけないということが非常に腹立たしかったが、あまりにも恥ずかしそうにしてるのにまじまじと見るのはかわいそうだったから、「そう」とそっけない返事をして夜空から目をそらした。 あからさまにほっとする●●をどうにか困らせてやりたいという衝動が、ひどいことに口からこぼれる。 「レグルスって春だよな」 今は真冬。 まさか●●が知らなかったわけでもあるまい。 「・・・・・・はい」 うな垂れて返事をする彼女は、どこか諦めたような空気を醸し出していた。 嫌で、不快で、やっぱり話しかけなければよかったと後悔しながら、更なる嫌味が尽きずに溢れた。 「見れないってわかってても、そんなに見たいわけ?」 「え?」 彼女が聞き取れたのかどうなのか知らないが、きょとんとして、無造作にその場に座り込む俺の一挙一動を見つめていた。 ぽつんと立っている●●に座るように手で促すと、●●は若干の間を空けて隣に腰を下ろした。 顎を上げて真上の星を眺める。こんなの記録とらなくても、そこにあればいいだろうに。うわ、俺かっこいい。 バカみたいなこと考えて現実逃避のようなことをしている俺の隣で、●●は気まずそうにもじもじと座りなおしたりしていた。 そんな動きにも敏感に反応してしまって、俺はよっぽど重症らしい。 隣にいるという小さな幸せと、もう一つの複雑な想い。 「あのさ」 今度はちゃんと聞けるだろうか。 好奇心で聞いてしまって後から後悔するのは、結局のところは自分なのはわかっているけれど、一つでも知りたくて考えなしに突っ走る。 「なんでレギュラスのこと、好きなの?」 傍から見て、俺は冷静であるように見えているだろうか。不安で、彼女が口を開くまでは●●の顔は見れない。 こそこそとおしゃべりをしていた生徒たちの話し声すら耳に入らないほど、続けられるであろうと期待して、●●の声をじっと待った。 体の半分に●●の視線をびしばしと感じ、やっぱりもういいと言いそうになった唇をぎゅっと結んだ。 どのくらい待ったか。空を見上げるが、さっきから星の位置は一ミリも変わっていない。 「私が」 半分諦めかけていたときだった。 吐息をつくように呟かれた声は、一瞬聞き逃してしまいそうだった。思わず●●のほうを見てしまったが、●●は俺が見ていた空を同じように見上げたまま。 「私が四年生のころ、ホグワーツの裏でこっそり箒に乗る練習してたんです。私の箒言うこと聞いてくれなくて、ちゃんと浮いてくれないし、浮いたと思ったらすぐ降りちゃうし」 買ってもらったばかりの箒に振り回される●●を想像して、ちょっといたたまれなくなった。しかし口を挟まず続きを待つ。 「何回も何回も飛ぼうとして、やっとそれなりの高さまで行ったんですけど・・・」 一度区切った●●は、当時のことを思い出したのか、ちょっと顔色を悪くした。 「そこで、急に暴れだしちゃって。一生懸命しがみついて、誰かに助けてもらおうと思って周り見ても、ホグワーツの裏なんて誰も来ないし、叫べるほど余裕ないし。ずっと揺すられてちょっとずつ気分悪くなってきて、一瞬油断しちゃったとき、手が滑って」 落ちちゃいました。 笑いながら言うけれど、微かに震える声が、ぐっと俺を締め付けた。 「地面に近づきながら、『ああ、もうだめだ』って諦めたんですけど、あと三メートルくらいのところで誰かに腕を掴まれて助けられたんです。ゆっくり降ろされました。地面に足が着いた途端に安心してわーわー泣いちゃって」 空を見たまま●●は自分の膝を抱え込む。 「・・・その人、泣き止むまで横でじっと待っててくれたんです」 懐かしさに溢れた声。 「落ち着いてからお礼言って、自己紹介して、その人の名前を訊いたら・・・」 「レギュラスか」 黙っていた俺が急に口を挟んだことに驚いたのか、●●は俺の顔を見たが、びっくりするくらい柔らかく微笑んで大きく頷いた。 「別れ際に言われちゃいました。『できないことは無理してするな』『後処理をする身にもなってみろ』って。そのとおりですよね」 その後も●●は懐かしさに任せていろいろと話していたが、俺は半分以上上の空で、ほとんど耳に入らなかった。 長い間蓄積された彼女の想いは、きっとそう簡単に変わるものではないだろう。 「実るといいな」 俺が笑って告げた応援に対しての彼女のなんとも言えない笑みの真意を、そのときの俺は測り得ることなんてできなかった。 |