まともに見る、見るも無残に刻まれた前髪の隙間から覗く●●の瞳は驚きに丸くなっていた。

 一瞬は●●を騙せたことに優越感を抱いていたけど、彼女の様子を見て、いつまでもそんな風にはいられなくなった。

 目が合った彼女は目いっぱいに涙を溜めて、唇を震わせ始める。

「しり、うすく・・・、わた、わたし・・・」

 彼女のばらばらな前髪を見やった。短くなった髪の先が不自然にうねっているのは、変身術が苦手な彼女が苦悩した跡か。

 もう一度瞬きをすればこぼれてしまいそうな涙と、小刻みに震える、触れている手が彼女の恐怖を表していた。


 女が目の前で泣いているというのに不謹慎だろうが、怪我を負わされたわけじゃないようで安心してどっと肩の重さが取れた。

「わたし、あ、あんなに・・・、しりうすく、に迷惑かけてるなんて、知らなか、た・・・」

 ついにぼろぼろと涙を流し始めた●●にはっとして、どうにか気の利いた慰めと謝罪の言葉を探すけど、●●の涙で水浸しになっている瞳がまっすぐに俺を見ていることに気がついて、そんなことなど一瞬で忘れてしまった。

「シリウス君みたいな、有名人と、友達になれたからって、私、バカみたいに調子に乗ってた・・・」

 俺に掴まれていないほうの手で涙をぐしぐしと乱暴に拭う。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 片手で顔を覆ったまま俯いて、乞うように吐かれる謝罪。
 涙に沈む声はまた脆くもはっきりと言われた。

「もう、シリウス君には関わらないから、これまでのこと、ごめんなさい」


 許してください、なんて、どうしてお前が言うんだよ。

 あわあわと動揺する反面、なぜか妙に冷静な自分だけが前に出て、特に何の考えもないまま俺は自分の杖を取り出した。

 俺の妙な動きを俯きながらも察知した●●は、少しだけ顔を上げた。


 俺はそこを見逃さない。

 それはもう頭をもいでやる勢いで●●の顎を掴んで上を向かせた。


 驚いて涙も止まった●●は目をぱっちりと開いて、俺の据わっているであろう目を見つめ返した。


「・・・前髪、なおしたかったんだろ?」

 杖先をぎざぎざな前髪に向ければ、●●はまるで救世主を見つけたかのように目を輝かせた。でもすぐに眉を寄せて気まずそうに顔をそらそうとする。

「もう、迷惑かけられません。シリウス君を好きな方も迷惑ですし」

 俺を好きなやつ、ねえ。

 こんな陰湿なことするのは、いくら顔、スタイルがよくてもあんまり好みじゃないんだけどな。


 そしてきっとなにか勘違いをしているであろう●●に言ってやる。

「言っとくけど、伸ばすんじゃなくて切るから」

「それでも迷惑が・・・」

 同じ調子でしゃべっていた●●は俺の言葉が脳にしみこんだ途端に目をかっと見開いた。

 了承を得る前に呪文を唱えようとすると、今までおとなしかったのが打って変わって、これから殺されるネズミのようにばたばたと暴れだした。

「やめてください!!いやです!!絶対だめです!!」

「大丈夫大丈夫。いっつもフィルチの髪散発してやってるの俺だから、腕に自信は・・・」

「そういうことじゃありません!!」

 俺の指を引き剥がした●●はもたもたと俺と距離を開ける。


「なんで、そんなことしようとするんですか・・・?」

「なんでって言われても・・・」

 邪魔そうだから?なんて答えれば、●●は首を左右に振った。

「本当に、大丈夫ですから。もう私とは関わらないほうが」

 ●●とこのままばいばいすれば、●●は本当に俺と関わんないように振舞うんだろ。


 いやだ。


 ちゃんとその気持ちを素直に伝えればいいのに、素直になるなんて恥ずかしくて、俺は心無い言葉を吐く。


「お前、レギュラスのこと好きなんだよな?」

 彼女の肩が震え、何かを含ませる俺の言葉の意味を敏感に察知してまた目に涙を浮かべた。


「ど、うして、そんな、ひどいこと・・・」

 わっと泣き出してしまった●●。両手で涙を拭うけど、間に合わずに床に落ちた。


「あ――」

 ここでやっと俺は、なんの役にも立たない高いプライドが溶かされて行くのを感じ、どうしようもない後悔に苛まれた。同時に表面の冷静な自分も流れ去って、内面の焦りが全身に伝わる。

 なんのために追いかけてきたんだよ。

 俺、最悪。


「ごめん!」

 人に深々と頭を下げたのなんて何年ぶりだろう。・・・いや、もしかしたらはじめてかもしれない。
 下を向いた俺の視界の中の●●の足が数歩後ずさる。

「シリウス君・・・?」

 完全に戸惑ってる●●に気づかないフリをして、頭を下げたまま訴えるように言う。

「レギュラスのこというつもりなんて全然ない。●●がそんな目にあったのは俺のせいでもあったけど、それを認めたくなくて・・・。ごめん。本当ごめん」

 怪我してなくてよかった。

 頼むから避けたりしないでくれ。

 それからはひらすら、ごめんごめんと平謝り。ぽかんとしていた●●が慌てて、頭をあげるように必死に促してきて、ようやく俺は顔を上げた。けれどもまだ喉の奥は苦い。


「――・・・」

 重い沈黙がのしかかって、早くここから逃げ出したい気分。

 持て余している杖をまだ握っていることを思い出し、杖と●●を交互に見た。

「来いよ。元に戻すから」

 軽く手で招く。●●は少しためらったものの、何かを決心したように唇を結んだ。
 すぐ前まで歩いてきた●●。

 今度は押さえつけるようなまねはせず、杖だけを前髪に向けた。

「前と同じくらいの長さでいいか?」

「は・・・、い」

 また俯こうとする彼女を諌める。

「じゃあ、目ぇ閉じてて」

 素直に目を閉じた彼女。
 気乗りしないのはなぜなのか。●●がこれで元気になるなら万々歳じゃねえか。なんで、なんで。

 ぴたりと杖を当てて、ぼうっと彼女の右瞼を見つめる。

 これまでに数回しかお目見えしていない瞳。


 時々覗けたとき、いつもの彼女とは思えないほど躊躇せずまっすぐに見てきた。

「あ・・・」

 そうか。
 はっきりとしない意識の中で、答えを見つけた。

 『目を見て話をしたい』

 この自分には似合わないほど、純粋な感情だった。


「じゃ、行くぞ」

 でもそれを強制するなんて間違ってるもんな。
 名残惜しさを抑えて、杖をしっかりと握った。

 せーの・・・。


「ま、待ってください!」

 杖の先が光ろうとした瞬間、●●の手が俺の腕を掴んで矛先をあさってのほうに向けた。

「え、何・・・?」

 まさか長さの注文か?もっと長いほうがいいのか?
 もうどんな注文でも来いよと、構えもせずに彼女の妙に赤い顔を見下ろす。

 ●●は少しだけ目を伏せて、唇を閉じたり開いたりを繰り返した。

「●●?」

 首をかしげて顔を覗き込むと、●●は赤いままの顔をばっと上げて、彼女らしからず、少し荒げた声を上げた。


「あの――!!」




 俺の真後ろにひっつきながら、好奇心を隠そうともしない目の数々から隠れる●●。

「もうちょっとだから我慢な」

「は、はい・・・」

 少し首を回して彼女を見れば、●●は真下を向きながら俺の足跡を追ってきていた。

 向かうのはグリフィンドール寮。

 とりあえずこっちのことは片付いたということを知らせるためにそこに向かう。
 今日はこんなこともあったからきっとホグズミード行きは中止になっただろうし、一見して騒ぎも起こしていないようだから今日は寮で皆大人しくしてるに違いないからな。

 しかし、グリフィンドール寮まで無駄に長い道のり。嘆きのマートルのトイレが出発地点でも、十分な距離。その間に(●●にとって)苦しい視線がいくつも刺さる。

 いろいろあったし、もう●●を寮に帰してもよかったのだけど、どうしても俺的には連れて行きたかった。だから、少し嫌そうな●●を言いくるめて引き連れてきたわけだけど。


 特に会話もないまま、ようやく俺たちは談話室の前までやってきた。さすがに堂々と他寮の生徒を引き入れるのは気が引ける。

 今から談話室に入ろうとしていたグリフィンドールの男子生徒を捕まえて、ジェームズたちを呼んでもらうように頼んだ。


「・・・大丈夫か?」

 待っている間、笑えるくらいにそわそわしている●●に問いかければ、彼女は少し青い顔でがくがくと首を縦に振った。絶対大丈夫じゃねえだろ。

 俺が苦笑を漏らしたとき、談話室の扉の向こうがやけにうるさくなった。俺が呼んだんだけど、つい頬が引きつる。もっと静かにおりてこられないんだろうか、あいつらは。


「じゃ、最初はあそこの像の後ろいろよ」

「う、うん」

 不安そうに胸に手を当てた●●が、俺が指差した像の陰にうまく隠れるのを見守って、今から開くであろう扉と向き合った。

 太った貴婦人を一秒も眺める間もなく、それが乱暴に開かれる。


「おかえり!!どうだった!?大丈夫だった!?」

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てるジェームズの後から、遅れてピーター、リーマスの順で出てきた。


「ああ、無事に・・・」

「僕はもう心配で心配でバタービールを三杯しか飲めなかったんだよ!!」

「・・・・・」


 ホグズミード行ったのかよバカヤロウ。三杯も飲めば十分だバカヤロウ。俺も行きたかったのに!!

 むかついたからグーで頭を殴ったら、今度は痛い痛いとガキみたいに騒ぎ出した。

 人が大変な思いしてるときに、こいつらはもさもさバタービール貪ってたんだから絶対謝らねえ。今度おごってももらわねえと気が・・・。

「ちょっと、バタービールとか痛いとかどうでもいいから、●●は?」

 さっきからきょろきょろとしていたリーマスが眉を寄せて詰め寄ってこようとするけど、俺はそれを両手で止めた。

 きっと今頃緊張してるんだろうなと彼女の心中を察した俺はにまっと笑う。

「まあ落ち着けって。今から呼ぶから」

「呼ぶ?」

 訝しげに首をかしげたリーマスをぐいぐいと押しのけ、あの像を見やった。


「●●ー、もういいぞー」

 さあ出でよ!
 胸を張って、彼女が像の裏から出るのを待つ。


「・・・」

 しかし、待てども待てども何かが動く気配がない。ジェームズたちも「は?」みたいな顔になってる。ちょ、これじゃ俺不審人物。


「おいって。出て来いよ」

 もう一度呼びかける。
 まさか、逃げたか?そう思ったとき、ようやく返事が返ってきた。

「あ・・・あの、やっぱり、いいで、す・・・」

 尻すぼみな声。

「はあ?ここまで来ておいて何言ってんだよ」

 俺はずかずかとそっちに歩き、像の後ろで萎縮している彼女を見つけ、その腕を掴んだ。


「ほらほらほら」

「い、嫌です!やめてください!」

 ぐいぐいと軽い攻防戦があったけど、所詮は女。結局俺は、抵抗する彼女を引きずるように連れ出しやつらの前に立たせた。


 彼女と『目が合っ』てきょとんとしていたジェームズたちは、あるときに目をまん丸にしてピクシー妖精のように小うるさく騒ぎ出した。



「誰かと思った・・・」

 と、ピーター。何を緊張したのか心臓を抑えて、大きなため息をついた。

「・・・」

 いまだに、信じられないといった面持ちで●●のさっぱりとした頭を見ているリーマス。

「ちょっと!どうしたの!?●●ちゃん!?●●ちゃんなの!?」

 ジェームズにいたってはべたべたと彼女の頭を触りたくって、あらゆる角度から本物かどうかを確認していた。


 いいようにいじくりまわされている●●は、それはもう顔を赤くしている。これまではカーテンのように彼女の顔を隠していたものが取り払われので、余計に顔の赤さが浮き立つ。


「うん。やっぱりこっちのほうがいいよ」

 じろじろと観察し終えたジェームズは手を離し、にかっと笑った。さすがジェームズ。わかってるな。

「ついでに、俺の腕もなかなかだろ?」

「え、君が切ったの?」

 なんだよその顔。

「他に誰がいるんだよ」

「それにしても、●●ちゃん、よく似合ってるよ」

 ・・・こいつ。無視しやがって。
 ちょっとふてくされてそっぽをむく。

 ●●がちょっとは気を遣ってくれると思ったけど、どうやらジェームズたちの嵐のような質問に答えるのにいっぱいいっぱいのようだ。

 しかたないか。

 自分には似合わない、諦めのため息をついた。




『あの――!!切ってください!!』

 俺の腕を強く掴んで、一大決心をしたように、揺るがない目で俺の目を見つめた。

『あん・・・?・・・あん!?』

 聞き間違いかと思った。思わず二度見したほどだ。
 まさか自分から切ってくれと頼んでくるとは思わなかった。

『お、お願いします』




「うーん・・・」

 それにしても、なんでまた気が変わったんだろうな。これを転機にイメージチェンジでも謀りたかったのか。

 そんな俺の疑問。

「――でも、どうしてまた突然・・・」

 俺のそれと同調したリーマスが首をかしげた。俺もちらりと彼女のほうを見る。すると、それまでちゃんと質問に答えていた●●が口ごもり、微かにまた頬を染めて、恐る恐る俺のほうを見上げてきた。

「・・・」

 ぱちぱちと、目が合ったまま瞬きをする。

 ・・・俺?
 自分の指で俺の鼻先を指差せば、●●は目をそらし小さく頷いた後、小さな小さな声で言った。


「『目を見て話したい』って、言ってくれたのが、嬉しかったから・・・」


「・・・・・・は?」

「ブッ」

 あっけにとられた俺とジェームズが吹き出すのは同時だった。

 目を見て話したい?俺そんなこと言ってない。絶対言ってない。確かにちょっとは思ったけど、言ってない。言ってない。言ってない。


 でも●●がそれを知ってるということは・・・。


「お、おれ、そんなこと、言ってた・・・?」

 頼むから頷かないでくれ。
 彼女がやりにくそうに首を縦に振った瞬間、はじけたジェームズの爆笑。ピーターのぽかん顔。リーマスの引きつり笑い。俺の上がった体温。


「クサッ!クッサー!いや、最高!!シリウス最高!!ぎゃはははは!!」

 背中をばんばんと叩いてくるジェームズの目には笑い涙なるものが溢れていた。


「うるせええええ!!」

 無抵抗で笑い続けるジェームズの首を腕で締め上げるけど、ジェームズは咳き込みながら笑い続ける。


 ああもうこれだめだ。

 俺はジェームズを締め付けたまま談話室のドアまで引きずる。
 そのままドアを閉めそうになったところで●●を思い出し、隙間から顔を出す。

「●●はもう帰れ」

 リーマスらと談笑していた●●がこっちを見て、つい俺は目をそらす。


「うん」

「送って行こうか?」

「ううん、大丈夫」

 リーマスの申し出を断り、そのまま帰るのかと思いきや、彼女はこちらに向かってきた。

 ジェームズの首を絞める俺の前まで来た●●はポケットに手を入れ、何かを掴みとったこぶしを突き出してきた。

 なんだ?

 躊躇いながら手を差し出す。

 俺の手の上で、彼女が握っていたこぶしを緩める。

 ころり、とした感覚。


「・・・飴?」

「チョコレート、です。ま、まだいっぱいあるので、食べたいときはいつでも言ってください。今日は本当に、ありがとうございました」

「あ、おい・・・」

 腰を大きく曲げお辞儀をして、俺の制止の声すら聞かず●●はばたばたと走って行ってしまった。



「・・・なんだよ、これ・・」

 たった一粒の、赤い光沢のある包み紙で包まれたチョコレート。ジェームズが体をひねりながら脱出したことも、どうでもよくなった。


「それは通称『お友達のしるし』だよ」

「ああ・・これが例の・・・」

 そういえば前に誰かが言ってたな。そんな間抜けな通称がついているから、てっきりもっと間抜けな何かかと思った。こんな食い物だとは・・・。


「●●の母親はマグルだからね。これもマグルのお菓子」

 いらないならちょうだい、とずうずうしく手を差し出してくるリーマスを軽く流し、マグルのチョコレートとやらをしげしげと眺めた。普通。


「僕らはマグルの物にはあんまり縁がないからねえ、ブラック君。・・・ま、まさかブラック君はマグルのものがお嫌いなのかなっ?」

 皮肉のこもったジェームズの言葉に多少イラつき、ポケットにそれを滑り込ませてからまたジェームズの首を捕らえる作業に入った。


 首を追い掛け回すのにも飽き、いらないならよこせ、というリーマスのお願いを丁重にお断りして俺らは寮に戻った。






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