リーマスの言葉や●●の言動からして、●●はあまり寮でなじめてないのはわかっていた。 それでもこれまでの数年間をうまくやってきていたし、これからも周りとは干渉せず干渉されずの関係を予定していたことだっただろう。 その予定が狂う予定なんて、なかったに違いない。 こっそりとホグワーツを抜け出してホグズミードに行こうという話になったこの休日。 俺ら四人はぞろぞろと廊下を進んでいた。 そんな俺たちを見かけた他の生徒たちは、次は何をやらかすのかと期待と不安に満ちた目でこちらの様子を伺ってきたが、目立った装備もしていないのに気がつくとすぐに目をそらしていった。特に俺と目が合ったやつは不審そうにこっちを見てから、ふいと顔をそらした。 「まだまだウワサの火は燃えたままのようですねぇ。たぶん、尾ひれか背びれかついたウワサが出回っちゃってると思うけど」 「・・・」 至極迷惑。 二週間近くもこの不快な目に晒されて、俺の心も傷んできてる。 「そろそろ飽きてくれてもいいじゃねえか・・・」 「君はホグワーツのアイドルだからね。しかたないよ」 今はまったくもって嬉しくない。 「あ、そこの角右だからね」 「わかってるよ」 そのまま俺が直進してしまうと思ったのか、リーマスが指を差して促す。本当は忘れてたんだけど。 いまいち乗り切らない気分を抱えたまま、言われたとおり角を曲がった。 「――!!」 「あ・・・っ!」 曲がった直後、すぐ目の前まで人が迫ってきていて、全力で走ってきたそいつと俺は避ける暇もなく真正面からぶつかった。倒れるまでにはいかなかったが、少しよろめいて後ろのジェームズに軽く支えられる。 「あー・・・」 悪かった。そう謝ろうとしてぶつかってきたやつを見下ろした途端、言葉を詰まらせてしまった。 「ご、ごめんなさ、い・・・っ、い、いま、いそいでるので、ごめんなさ・・・っ!」 下を向き、右目を不自然に片手で覆った彼女はがたがたと震えた声でそう言い残し、そのまま走り去ってしまった。 「今の●●じゃなかった?」 リーマスが、小さくなって行く背中を眉を寄せて見送る。ジェームズもピーターも不思議そうにそれに倣っている。 ただ俺はぼーっと、彼女の震えた声を頭の中で反芻していた。 そうしていた俺の耳に、複数の女生徒の耳障りな笑い声。 「何今のっ!逃げちゃった!」 「ほんと、勉強だけのバカね」 正面右の女子トイレからぞろぞろと出てくる、色とりどりのネクタイ。 まさか、と頭が痺れる。 「地味子のくせに生意気なのよ」 「何そのあだ名ー」 わざとらしくすくめられた肩。周りの数人がくすくすと笑みを漏らす。 「シリウスがそう呼んでたの」 なんで、俺の名前。 得意げに唇を歪めたやつは、ハッフルパフのあの女。 会うたびに●●のことを根掘り葉掘り聞いてきやがった、あいつ。 愕然とした。俺、あのあだ名のこと言っちまってたのか。 背後でリーマスが息を呑む。 全身から力が抜けていくのがはっきりとわかった。 「あーあ、早くどっか消えちゃわないかな、アイツ。邪魔すぎて・・・」 「ちょっと」 わいわいと盛り上がっていたやつらのうちの一人が、立ち尽くす俺らに気づき、そこから一気に静寂が一帯に行き渡った。 相手の女生徒の中には、今の会話を聞かれたことがそんなにまずいと思ったのか、顔を真っ青にして目に涙まで浮かべてる。 「あ・・・、し、シリウスもうっとうしかったでしょっ?地味子」 その静寂を打ち破ろうと口を開いた、誰か。 切れた。 急に体中に力が篭り、強く拳を握った。どうしようもない怒りがこみ上げて、その集団を睨みつける。 「てめえらなにやったんだよ!!」 びくりと肩を震わせ、一瞬にして全員が顔面蒼白になった。 一発でも二発でも殴ってやらねえと気がすまねえ。大きく一歩を踏み出そうとした俺を、ジェームズが後ろから捕らえる。 「シリウス、落ち着いて。女の子殴ったりしちゃだめだよ」 「うるせえ!!こいつら、●●になにやったかも知れねえんだぞ!?」 ジェームズを腰に引っ付けたまま前に進もうともがく。 「ほら、君たちも、殴られたくなかったらさっさと寮に帰って大人しくしてて」 リーマスが前に出て先を促し、ピーターが泣き出してしまったやつらを誘導する。 なんだよ・・・どいつもこいつも・・・! 「おいリーマス!!悔しくねえのかよ!!」 やつの背中に叫ぶ。 リーマスは小さく惨めに萎縮した背中たちを睨んだまま声を低くした。 「悔しいに決まってるでしょ」 完全にブチギレてる声音。そこまでいってんのになんでおめおめ返したりしたんだよ。 「だろ?だったら一匹一匹とっ捕まえて・・・」 「シリウス」 ちょっと押せば、リーマスはこっち側に来るかもしれないと説得しようとすれば、まだ腰にしがみついていたジェームズが言葉をさえぎる。ジェームズに対するいらいらも徐々にたまってゆく。 「お前も、なんとも思わないのかよ」 首をひねってジェームズを見るも、やつは顔を上げない。 「おい・・・」 「シリウス、君のせいでもあるんだってこと、わかってる?」 一言一言、言い聞かせるようなしゃべり方。 ぎりっと心臓が鳴った。 自分の失敗には目を背けて、そこから生まれたものだけを摘み取ろうとする俺自身が、いかに放漫であったか。 しぼんでいく怒りを確かに感じ取ることができるけど、俺のプライドが邪魔をする。 「だから、全部が俺のせいってわけじゃ・・・」 腰にしがみついていたジェームズがするりと離れる。けれどもう、やつらを追い掛け回してぶっとばす気にはなれなかった。 俺のせいじゃない。俺のせいじゃない。 唱える暗示の片隅で、ぐるぐると●●の涙声が渦巻く。 「――ほい」 バッと、目と鼻の先に突きつけられた羊皮紙。 たらたらとした動作で受け取り、それを覗き込む。羊皮紙の中には、見慣れた形の枠の中を右往左往する無数の足跡。 「忍びの地図。気になるなら探せば?」 ジェームズは勧めるように言うけど、目は行けと命令をしてる。ピーターは●●が帰ってこないかと廊下を見渡してるし、リーマスは相変わらず背中向けて俯いてるし。 なんで俺が・・・。 そう思う心とは裏腹に、俺の足は急ぎ足でそこを立ち去っていた。 「お願いだから・・・伸びて・・・っ」 痛いほど杖を握ってアンバランスの前髪に向けるけど、魔法をかけられた前髪はうねうねとうごめいた挙句にそれからうんともすんとも反応しなくなった。 がっくりとうなだれて、自分が変身術が苦手なことを心の底から悔いる。 マートルの、侵入者である私に対するわめき声も耳に入れず、もう一度顔を上げた。 薄汚れた鏡には、見合う地味な自分の顔。久々に見た瞳は片方だけ、という統一感のなさによって己の惨めさが更に増しているように感じた。 「・・・」 震える指でまだ長く残った前髪を横によける。開けた視界の中の鏡には、泣いてしまいそうで情けない私と、マートルのバカにするような顔が並んでいた。 『あんたみたいな地味なやつ、シリウスが仲良くするわけないでしょ』 『ていうかシリウス本人がそう言ってたって話だし。残念だったね』 しんとしたトイレで私の荒い呼吸だけが響く中、頭の中では嘲笑と、罵詈されたときの言葉が飛び回る。 彼女たちに思い知らされて後悔した。 ブラックの名に関わるべきじゃなかった。 レギュラス君も見てるだけで十分だから。 「・・・ぅっ」 自分はきっと好きな人とは結ばれることはないんだろうな。 そう思うと悲しくなって涙が溢れた。それを、長年培った『我慢』でどうにか気持ちを落ち着けて乾かした。 胸を押さえて大きく息をつく。杖を握りなおしもう一度魔法をかけなおそうかと考えたそのとき、女子トイレの向こうからばたばたと一つの足音が近づいてくる音が。 どうせこのトイレには誰も近づくことはないだろうから、視線すら向けず、蛇をかたどった蛇口をじっと眺めた。 一度は通り過ぎた足音。しかし、その足音はゆっくりとした歩幅になってまた、このトイレに近づいてきた。 まさか。 体を強張らせてその音を注意深く追う。 「誰か来るんじゃないの?」 マートルはからかうように言って、楽しそうに笑いながらトイレに戻って行った。 私はというと、ただ足を床に根付かせていた。 切れた息を整えながら扉の前に立った。 忍びの地図を覗きながら走ってたどりついたのが、あの有名なトイレ。『めったにない事故』で命を落とした生徒のゴーストが住まうトイレ。 地図をローブにしまい、ドアにそっと触れる。 「・・・」 顔を合わせたらなんと言おう。怪我をしてたらどうしよう。拒絶されたらどうしよう。 いろいろな思い悩みを抱えながら、ドアに触れる腕に力をこめた。 きりきりと不気味な音を立てながら開く扉。中をうかがい、一度周りを見て人がいないことを確認してからトイレに体を滑り込ませた。 一歩入れば埃の匂いが鼻をつく。 静かなそこ。どうやら人どころか、マートルさえも今は席をはずしているようだ。 入り口に突っ立ったままざっと中を眺めるけど、どのドアも開いていて人が入っているような気配はない。 「●●・・・?」 ぽつりと呟いてみれば、隅々まで響き渡って消えていった。返事は、ない。 彼の呟きを、入り口からは死角の、円形になっている水道の裏にしゃがんで息を殺しながら聞いていた。 とっさに個室に入るなんてできなかった。しかも一つだけドアが閉まっていればそれこそ不自然だ。彼がトイレに入ってきて、動き回っているところをかいくぐって抜け出すしかない。 できるなら、この前髪をどうにかしてからここを離れたかったのだけど・・・。 しかしそんな私の心配をよそに、もう一度、ドアが開く軋んだ音がして、人の気配が一切なくなった。 「―――」 息を漏らさないように自分の口を押さえたまま微動だにせず、一分、二分と、待つ。 三分目を自分の中で数え始めたとき、私はようやく安心だと決定を下して、口元を押さえていた手を外し安堵の息をついた。 高鳴る心臓を宥めつつ、まだ微かに疑う気持ちに従って、しゃがみこんだまま水道の陰から入り口のほうを覗き見た。・・・確かに誰もいない。 やっと心の底から安心して、立ち上がる支えにするために水道に手をかけた。 がし。 そんな感じだったと思う。 冷たい淵に置いた自分の手に、重ねられるように他の温かい手が乗って、手首をぎゅっと掴まれた。 「え」 驚いて手を引きながら振り返ると、悪戯が成功したような笑みを湛えたシリウス君が、私の手首を握っていた。 「・・・」 言葉も見つからず、目を丸にしてシリウス君を見ていれば、シリウス君の性質の悪そうな笑顔は徐々に困惑が混ざっていった。 「見つけた」 そう言いながら私に向ける優しい目が、変に私の涙腺と緊張を緩ませた。 |