「ねえねえねえー、シリウスー」

 広間で朝食をとっていれば、エバンズのものであろう真っ赤な紅葉を頬に称えたジェームズが、隣にいたピーターを押しのけ、猫なで声を発しながら俺の横に座ってきた。

 その声が意味することは大体わかっている。リーマスも、迷惑そうな顔をしているピーターも、これからジェームズが言うことにそれとなしに耳を傾けていた。

「あの"ウワサ"、ほんとなの?」

 ほらきた。

「・・・噂?」

 オレンジジュースの入ったグラスを傾け、食べることに夢中ですよ、というふうにしらばっくれてみる。

 しかしやはり気になって、グラスに唇をつけたままちらりと横目でジェームズを見れば、やつはにやにやと品のない笑みを浮かべていた。


「ウワサだよ。ウ、ワ、サ!」

 言葉に合わせて指を前後に振る行為に無駄に腹が立った。

 これ以上ジェームズの顔を見ていると、無事なもう片方の頬に一生消えない紅葉を焼き付けてしまいそうだったので、慌てて目をそらす。

「噂ねぇ・・・」

 感慨深げにため息をついてみれば、ジェームズは勢いよく両手を天に向かって広げた。


「そ!『シリウス・ブラックが女の子たちと縁を切った』ってウワサ!!アッハッハッハッ!」

 なに高笑い上げてんだ気持ちわりい。


「噂だろ?」

「そうさ。ウワサさ。ちゃんとその被害者の子たちに証拠を取った、根拠もなにもないウワサ」

「・・・」

 あいつら・・・やすやすと口割りやがって。別に口止めしてたわけではないし、口止めをしてもこの噂好きのホグワーツでは、一晩もあれば簡単に広まってしまうであろうからいいけど。

 用意が周到なジェームズを諦め半分に見れば、リーマスとピーターの意味不明な拍手に自慢げに胸を張っていた。
 相変わらず何がしたいんだか。

 あきれつつも、自分から一時の間でも意識がそれたことはチャンス。そっと立ち上がり、足元に置いていた鞄を取ってさっさと広間を離れた。


 ジェームズのうるさい声から離れることができて息をついたのも束の間。廊下を歩けば人という人が好奇心に満ちた目で俺を見てきた。


「・・・」


 ひどく居心地が悪い。

 俺はその視線の数々から逃げるように、曲がる予定のなかった角を不自然極まりなく直角に曲がった。


 その先にはまだ生徒が数人いたものの、生徒たちが利用するメインの廊下からは外れているためか比べる余地なく人通りは少ない。


 ラッキー。どうせならこのまま数占い学さぼっちまおう。

 ふらふらと廊下を進みながら、さぼり場を考える。

 寮に戻るのもいいけどそれもつまらない。爆発を起こすのもいいけど一人じゃなかなか盛り上がらない。ジェームズと今顔を合わせれば、あのことをいちいち突っ込まれるだろうし。

 足を止め、よく考えればまったくすることがないという事実に眉を寄せた。でも一度サボると決めたら絶対に授業には出たくない。


「・・・しかたないか」

 外、ぶらぶらするか。




 やっぱりサボってよかった。

 天気も良好。人も少ない。昼寝にはうってつけ!

 たしか湖の端のほうにベンチがあった気がするんだけど。
 きょろきょろとおぼろげな記憶を頼りに歩き回る。


「――お?」

 ふと向こうのほうを見れば一年生は飛行練習の真っ最中。

 やってんなぁー。
 よたよたとハエのように飛び交う姿。

「ヘタクソ」

 そういえばジェームズは最初からひょいひょい飛んでてかわいげがまったくなかったな。むかついて張り合ってたけど、ジェームズが急に方向転換したせいで俺は壁にぶつかって出血騒ぎだった。

 思わず笑みがこぼれる。


「クィディッチのいいメンバーが生まれますように」

 ハエの集団に適当に手を合わせ、来る未来の申し子たちに背を向けた。




 それから二分ほど適当に歩き、俺はようやくベンチを発見した。

 早く寝よ寝よ。


 心なしか足を速め欠伸をかみ殺したとき、そのベンチに先客がいることに気づいた。
 はたと足を止め、ついつい苦虫を噛み潰したような顔になる。

 おいおい、せっかく来たのに・・・。

 とりあえず場所空けてもらえないか頼んでみるか。断られたら、男のときは飛ばす。女のときは落とす。


 場所に近づきながら、ベンチの人をじっと観察する。どうやら女みたいだ。下を向いているあたり本でも読んでるのか・・・。


「ん・・・?」

 あの髪の長さ、背丈、オーラ。

 まさか。

 微妙な気持ちが胸を渦巻く。いや、たぶん人違いだ。人違いじゃないと困る。なんとなく。


 無意識のうちに足音を忍ばせ、注意深く相手の微妙な動きも観察した。
 動きはいまいちない。まさか死んでんのか?あはは。つまんね。

 そんなふうに観察をしているうちに、あの短い距離。すぐ横までたどりついた。
 彼女の頭を真上から見下ろし、なんと声をかけようかと唇をパクパクと動かすけど、どうにも気のきいた言葉がうまく出てこない。


 ていうかここに人がいるの気づいてるだろ。顔あげろよ。なに?気づかないくらい熱中しちゃってるわけ?面白くなさそうな分厚い本に?


「えぇと、●●・××さーん・・・?」

「・・・」

 無視。

 あ、そう。無視か。無視ですか。
 ていうか俺も何やってんだよ。関わりたくないならわざわざここまで来なくてもいいのに。帰ろ帰ろ。


「・・・」

 そう思ってもなかなか俺の足は動いてくれなくて、うらめしげに彼女の頭のてっぺんを睨むばかり。

 なんで気づかないんだよ。

 その頭をわしづかみにして前後左右に振りしだきたい衝動に駆られ、意味のない舌打ちをした――そのとき。


 彼女の頭がガクンと落ちて、膝の上から本が転がり落ちた。本が落ちてしまったにもかかわらず、●●はなかなか拾おうとせず、頭をかくかくと小さく前後に振っている。


 なんだこれ。

 寝てんのか・・・?
 いらいらした気持ちが吹っ飛んで、一気にまた興味が注がれる。


 俺は彼女の真正面にしゃがみこみ、下からその顔を覗き込もうとする。・・・み、見えない。
 いつものヘアーバリケードはご健在らしい。


 しかしチャンスじゃねえか。あのうざったい前髪の中を覗くチャンス。きっとジェームズたちもちゃんと見たことねえんだろうな。話のいい種になる。


 俺は、そろそろと手を伸ばした。

 無駄な緊張感。まるで、触るなと言われたものにこっそり触れるときのような・・・。

 どきどきどき。


 ゆるゆると手を伸ばし、緊張が最高に達したときに、ひたりと前髪に触れた。

 一度息を止めて、彼女が目を覚ましそうではないかを確認する。・・・大丈夫だ。寝てる。

 そうだこれはパンドラの箱だ。パンドラの箱に違いない。箱の中には九十九の絶望と一の希望が・・・どうでもいいや。絶望だったらどうすんだよ。


 そっと、髪をわけた。


「―――」


 これは・・・、かもしれない。

 俺はパンドラの箱を踊りながら開けてしまったのかもしれない。気持ち的には・・・後悔・・・か。

 俺がそのままの体勢で呆然としていると、彼女の眉がかすかに動いて、あ、と思ったときにはゆっくりと彼女のまぶたが開いていっていた。

 すぐ目の前の俺と目があった●●はきょとんと目を開いて、その状況を把握しようとしていた。


 俺はというと。

「うが!!」

 目を覚ましたことに驚き慌てて立ち上がって逃げようとしたところ、地面に転がっていた本に躓いて顔から草に突っ込んでいた。


 痛い・・・やばい・・・もういやだ・・・。
 転んだ状態のまましくしくと涙を流していると、すぐ横の草が踏みしめられ、頭に影がかかった。

 見上げれば、またいつものように表情のうかがえない髪形に戻った●●が、不思議そうに覗き込んでいるではないか。

「あの、大丈夫ですか?」

「・・・」

 いつもと変わらぬ態度に思わずぽかん。
 あれ、もしかして気づいてない?がっつり目が合ったのに・・・目が・・・。


 ついさっきのことが脳内にフラッシュバックし、じわじわと顔が熱くなった。

 なにこれ、はずかしい。


「?シリウスく・・・」

「ちょっと待った!!」

 いつまでも反応を示さない俺を心配したのか、●●はそっと手を伸ばしてきた。

 しかしそれを手のひらを突きつけることで止める。

「ご、ごめんなさい」

 慌てて手を引いた●●は一歩下がった。明らかにまた被害妄想に走っている。


「あ、いや、そうじゃなくて、俺の調子というか・・・」

 ●●から目を離さないまま、ずりずりと起き、立ち上がった。


「どこか悪いんですか?」

 また一歩を踏み出そうとする●●に、俺はもう焦った焦った。


「ストップ!まあ落ち着け!!」

 落ち着いてないのはどっちだ。彼女に向かって両手を突き出し、それ以上の接近を拒否した。しかしまたこれもいけなかったのか、●●は謝りながら小さく萎縮する。


「だから違うんだってっ!と、とりあえず、大丈夫だから、お前はそこを動くな。絶対動くな。俺が、見えなくなったら、動け」

「は、はい・・・」


 彼女がしっかりと両足を地面につけているのを確認し、無様に背を向けて走り逃げた。




 ●●からは姿が見えなくなったところからベンチのほうを隠れ見ると、もう俺の姿は見えないはずなのに●●はじっと俯いてて、なんか悪いことをしたなと思った。




「ああああああああああああ」

「シリウスうるさい」

「ああああああああああああ」

「シリウスうるさいよ」

「ごめんなさい」

「ちょっと、何で僕のは無視してリーマスのは聞くのさ」

「ああああああああああああ!!あぐっ!!」

 お怒りのリーマスから魔法史の教科書が飛んできた。もちろんリーマスのではなく俺の。

 気落ちしてベッドの上でだらりとしていると、三人は不思議そうに目を見合わせた。


「どうしたの?さぼりから帰ってきたと思えば、ずっとぼーっとしてるし」

 寝返りを打ってやつらのほうを見れば、俺がなんと答えるのかとこっちを凝視していた。俺は静かに逆のほうに寝返りを打った。


「・・・別に、なにもないけど」

 そう。何もない。あいつらに話すことは何もない。

 ほじくりかえされる前に寝よう。寝てしまおう。冴えきった目を無理矢理閉じる。しかし、それはすぐにまた開くこととなった。


「●●」


 誰かが呟く。
 ぎくりと体が震えた。いやまて。ここで反応を示せば墓穴を掘るも同然だ。


「そーいえばさっき●●ちゃんから手紙が来たんだけどー、なんかシリウスが怒ってなかったかってー。●●ちゃんすっごく落ち込んでたんだけどー、どーしてだろーねー。ねー」

「「ねー」」

 こんなにジェームズを先頭に全員を張り倒したいと思ったのは五回目くらいだ。


 聞いてない、寝ているフリをしても、俺の頭はフル回転。どうしようもなく顔が熱くなる。
 落ち着け。俺は今熱が出た。明日は授業をサボれという、カミサマからの思し召しだ。


「あれあれー、シリウス君。どうして君はそんなに赤くなってるのかなー?」


 もうむりだ。


「うわああああああ!!シレンシオおおおお!!!」


 枕元においていた杖を掴み取り、にやにやと笑うジェームズに向けた。急に出なくなった声にはじめは驚いていたジェームズだったが、次にはまたにやりと笑い、勝ち誇ったような表情になった。


 そして、唇だけを大きく動かして。


『この、テ・レ・ヤ・さ・ん』


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