「シリウス・・・」

「しっ。黙れって」

 暗い教室。消灯時間なんてとっくに過ぎている、そんな時間。

 鼻にかかった女の声が少し鬱陶しくて、こうなったら塞いでしまおうかと艶っぽい唇に自分の唇を寄せた。


「ねえ、シリウス」

 生ぬるい息がかかる距離で女が目を細める。

「ん?」

 じれったい距離を保ったまま、彼女の長い髪を耳にかけてやった。その際に軽く耳をなぞればくぐもった声が漏れる。


 そのまま場まで持ち込んでしまおうと彼女のネクタイに指をかけて、引き下げようと力を込めた。

「レイブンクローのあの子」

 嫌悪の混じる女の声。思わず、指を止める。

「・・・あの子?」

 首をかしげてみせれば女はいらだたしげに歯噛みした。


「だから、最近シリウスが妙に関わってる●●・××とか言う・・・」


 まだ憎々しげな言葉を連ねようとする相手の唇を無理矢理塞いだ。
 そうすれば、自分がつい数秒前まで腹を立てていたことをすっかり忘れたかのように俺に応える。

 濡れた唇を離したその合間、また寄せられた唇を制しながら女の目をじっと見た。


「別に俺はなんとも思ってねえよ。ちょっとした暇つぶし」

「ほんと?」

「ああ。誰があんな地味なやつ」

 なお擦り寄ってくる唇を避け、うっすらと赤くなっている女の耳に唇を近づけた。


「お前のほうが何倍もいい」

 橙色のネクタイを引き抜いた。




 することもなく寮の窓から外を見ていれば、そこを歩くスニベルス。その横をちょこまか動いてるのは、かのレギュラス・ブラックだったが、俺はまったく気にしない。将来の死喰い人同士仲が良いことで。

「ジェームズ!リーマス!ピーター!スニベルスからかいに行こうぜ!」

 同じく暇を持て余していた親友たちに言えば、ピーターは期待に目を輝かせ、リーマスはほんのちょっとだけ眉をしかめた。


「・・・君も少しはジェームズを見習ったらどうなんだい?」

「はあ?なんで俺がジェームズなんか・・・って、ジェームズは?」

 よくよく見てみればジェームズの姿がない。そういえば朝から妙に静かだったな。

 また新しい悪戯の仕掛けでも作ってるのかなぁ。そう胸を膨らませさらに笑みを深めれば、俺とは対照的にリーマスは眉間のしわを深くした。


「ジェームズはエバンズのところだよ」

「エバンズ?」

 うわあ、ついに休日にまで追っかけ回すまでになったのか。エバンズもかわいそうに。


 俺がいかにも『引いてます』という表情をすると、リーマスはそれを解くように首を横に振った。


「気づいてないのか知らないけど、あの二人なかなかうまくいってるんだよ」

「あいつらが?」

 この間のエバンズからの手紙の返事を見る限り、どう見てもうまくいっているとは思えないけど。
 むしろ昔からジェームズのこと嫌ってたじゃねえか。

「エバンズがジェームズを嫌悪してたのは、あの自意識過剰で目立ちたがりな性格とスネイプをいじめてたせいだよ」

 自意識過剰で目立ちたがりなのはまったく変わってないように感じる。


 けれどどうだろう。スニベルスに関して、昔は自分から率先してやっていたスニベルスいじめをあまりしていない気がする。
 気がするといっても、俺がやつをからかった言葉を吐いたときのジェームズの表情が複雑そうで、ノリが悪いなと不満を感じていたのも完全なる事実だった。


 それはつまり。

「ジェームズは変わったんだよ。エバンズのために」

「・・・」


 エバンズのために。

 エバンズのために。


「クッサ〜・・・」

 鼻をつまんでぱたぱたと適当に空気を扇ぐ。


 なんじゃそりゃ。ねえだろ。あのジェームズに限って。

 ちゃらんぽらんで、いっつもふらふらしてるジェームズを思い浮かべてると笑いがこみ上げてくる。


「監督生の目の前で抜け出して女を漁ってる人でなしとは、雲泥の差ってことに気づいてるのかな?」

 リーマスのちょっと低くなった声に気づかないフリをして両手を振った。

「それとこれとは別ってやつ」

 にかっと笑うと、リーマスはきゅっと唇を結んで目を伏せた。


「・・・早く君も成長してほしいよ」

「お前より身長高いと思うけど?」

 リーマスの傍に立って、手のひらで背比べをした。すると一瞬すごい目で睨まれた。なんだよ。そんなに怒らなくてもいいじゃねえか。


「そんじゃ、スニベリーのとこ行こうぜ!」

 早足でドアから飛び出す。

 文句を言いながらもついてくるリーマスは結局よくわからない。俺とリーマスのちょっと険悪な雰囲気に圧されて呆然としていたピーターもあとから慌てて走りよってきた。


 ―――リーマスが何を言いたかったのかなんて、もちろん理解してる。

 結局は女遊びは止めて、ジェームズのように一人の人を好きになれって言いたいんだろう。

 くだらない。

 一人だけを好きになるってそんなの、フィルチが『名前を言ってはいけないあの人』に勝ってしまうくらい難しいことだろ。


 俺は俺、ジェームズはジェームズ。

 俺には関係ない。




「あっれー。この辺にいたと思ったんだけど」

「そりゃ向こうも生きてるし」

 さっきまでスニベルスがいたところまでやってきたけど、あのねっとりとした影はどこにも見当たらなかった。

 きょろきょろと見渡すけど、やっぱりいない。

 つまんねえなぁ〜、と愚痴をもらす。せっかくここまで降りてきたのに、このまま何もせずに帰るのはひどく惜しい。

 何か面白いことはないかと諦めきれずに周りを見回していると、何をするでもなく横でボーっと突っ立っていたリーマスが俺を見上げてきた。

「あのさ」

 面白いことを見つけたのかと期待のこもった目を向ける。リーマスは少し目をそらした。


「・・・●●とはどうなの?」

「●●?」

 何の脈絡もなく出てきた名前。最近俺の周りでよく聞く名前。

「地味子ちゃんでしょ?どうって、別に」

 ちゃかすように肩を上げると、なぜかリーマスは憤慨したように眉間にしわを作った。


「あのさ、その『地味子ちゃん』ってのやめてくれない?」

 なんでお前が怒るんだよ。

「いいじゃん別に。本人が聞いてるわけじゃないんだから」

「ああもう。シリウスは本当にバカだね。いくら本人の前ではそれを使ってなくても、相手が聡い子だったら感じ取れるんだよ」

 地味子ちゃんが聡い子かそうじゃないのか知らないけど、俺だって頻繁に口に出すわけじゃない。

 そいつが盗み聞きの呪文とかを使ってくるならまだしも、そういうやつでもないだろうし。


「つか、なんでリーマスがそんな怒るんだよ。・・・あ、もしかしてお前、地味子ちゃんのこと好きだったり?」

 からかうように言ってやれば、リーマスは怒りを通り越したようで、短くため息をついた。

「・・・君がそう思うならそれでいいよ」

 リーマスの諦めたような投げやりな回答も、リーマスの肩越しに発見した人物のせいで一つも耳に入らなかった。

「スニベルス発見!」

 リーマスを押しのけて、さっと杖をムカつく背中に狙いを定める。

 何か異様な気配を感じたのか、その横にいた俺の弟らしきやつは、すっとスニベルスから距離を取った。ひどいやつ。


 まあいいけど。

「そーれ」

 杖をぐいと上に引き上げると、がら空きの油断しまくりだった足が何者かに掴まれたかのように浮かび上がった。いわゆる足首つかみの呪文。


 やつが持っていた教材が地面に散らばる。
 空中でばたばたともがいている姿を見るのは何回やっても笑えるんだよ。


「見ろよリーマス、ピーター。やばいマヌケ!」

 さっさとは反対呪文でも唱えればいいのに、もたもたと杖を取り出そうとして手を滑らせ、哀れにも杖を草の上に落としてしまった。

 それを見た途端俺の腹筋は崩壊寸前で、やつを浮かせている高さを保ちながら腹を抱えて笑った。


 そんなことをしているうちに、また何か始まったのかと周囲に人が徐々に集まってくる。


 観客がいればパフォーマンスは更に盛り上がるというもの。俺の調子は上がって、見せ付けるように杖を上下に振った。その動きに合わせてスニベルスが小さく喚きながら上下に飛び回る。

 ばらばらと起こる笑い声を聞いて満足な気分になってたところ、リーマスが声を上げた。


「シリウス、●●がいる」

 どこか焦ったように、小声で言ってくる。

「ん?」

 リーマスがこっそり指差している方向を見れば、何がそんなに入っているのか、ぱんぱんの鞄を片手に陰気なオーラを放ちながら歩いてる地味子ちゃんの姿がそこにあった。

 ここから少し距離はあるが、叫べば普通に届く距離。


 気分の昂ぶっていた俺はこの状況を誰にでも見てほしくて、緩む口元を隠しもせずに大きく息を吸った。


「●●ー!!」

 俺の呼び声に肩を震わせたのは呼ばれた本人だけじゃない。どちらかというとリーマスやピーターのほうが慌てていた。そして観衆もおかしなざわめき。


 どこから呼ばれたのかときょろきょろとしている●●に見えるように、大きく手を振る。間もなくして俺の姿を見つけた●●は、今までで一番と言っていいほど顔を青くして右往左往としていた。


「何してんだ?あいつ」

 手を振り返してくれることを期待していた俺は、やり場のなくなった腕を中途半端に下ろした。

「バカッ!何大声で呼んでるの!?」

「あ?」

 噛みついて来るんじゃないかってほどリーマスは怒鳴ってきた。

 まあとりあえず●●もこっちに来ればいい。

「こっち来いってー!!」

 もう一度叫ぶと地味子ちゃんは今度は硬直し、しばらくの間何かを考え込んでいたかと思えば、小さく一歩をこっちに踏み出した。

 それに満足し、放っておいてもこっちに来るだろうと、またスニベルスを見た。頭に血が上ってきたのか、悪い顔色が若干赤みがかってきている。

 確か●●もスニベルスのこと嫌いそうだったよな。前にスニベルスの話したとき反応悪かったし。

 だったらこれを見たらさぞおもしろがるだろう。

 そんなことを考えてるうちに●●はここまでやってきて、自然と割れた人波の間から顔を出し中心で何が起きているのかを見ると、青かった顔からさらに血の気を失せさせた。


「おもしれえだろ。お前もするか?」

 杖出してみろよ。そう促すけど彼女はおどおどとして俺とスニベリーを交互に見るばかり。な?と押せば、おもむろに杖を引き出した。リーマスとピーターが変に息を呑む。

 震える手がピタリと、浮き上がっている足首を狙うのを見て満足したのも束の間。


 バチンッ、と音がして、スニベルスの体が柔らかい草の上に投げ出された。

「・・・は?」

 起こったことを理解しかね目を白黒させていると、横で滲んだ小さな声が落ちる。


「い、いじめなんて、ひどすぎ、ます・・・っ!!」

 はじめて聞いた明らかな彼女の嫌悪の声にもまた、俺はバカみたいに目を丸くした。

 杖をしまうこともせず、●●は重い鞄を振りながら人の間を縫い出て、ずっと向こうに走って行ってしまった。


 小波のように広がる聴衆のざわめきも、斜め後ろのリーマスとピーターが安堵したかのように漏らした息も、不自然に混乱する頭ではしっかり処理できない。


 芽生える焦り。けれどそれは、自分の遊びを邪魔されたことへの怒りでもみ消された。もみ消した。


 その後反撃をしかけてきたスニベルスと軽い攻防戦をしたけど、どうやっても身が入らず、見方によっては(決してそうではないけど)逃げるようにして俺は寮に帰った。




「リリーもう顔真っ赤にしちゃってさ〜」

「あっそ」

「そこですかさず僕は熱い抱擁をしようとしたんだけど、眼鏡粉砕されちゃった!」

「へー」

「ちょっと、聞いてる?シリウス」

「すごいすごい」


 あー、イライラする。いつにも増してジェームズがイラつく。

 どうでもいいからさっさと一人にしてくれ。そんな気持ちを込めて手で追い払うような仕草をすると、ジェームズはガキみたいな悪態をついてピーターの方に泣きながら走っていった。そこでリーマスを選ばなかったのは懸命だったな。


 ベッドにだらしなく横たわり、小さな窓から濃紺の世界を見つめる。


『い、いじめなんて、ひどすぎ、ます・・・っ!!』


「・・・」

 もしかして、泣いてたのか?わからない。

「ああああ!!」

 イライラする!すっげえイライラする!!

 ベッドの上でバタバタと暴れる。驚いてこっちを見たジェームズに枕を投げつけた。するとピーターの悲鳴が上がる。ジェームズ避けたな。


「何暴れてるの?」

「うるせえ!!」

 今にも理由を強く尋ねてきそうなジェームズを振り切るように、俺は毛布を蹴り上げてベッドに潜った。


 理由を訊かれても、俺にもわからねえよ。

 さすがにジェームズも何かあったのかと悟ったらしい。

 見回りに出ていたリーマスが帰ってくるまで、誰も口を開かなかった。






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