「それでは、はじめ」 マクゴナガルの隙のない合図と同時に、教室中から生徒が呪文を唱える声が響いた。俺もそれに習って、クッションを蛙に変える。 「シリウス、今日は蛙じゃなくて鷹に変えるんだよ」 隣のリーマスが苦笑しながら言った。リーマスの手元にあったクッションは、一般的なものよりも一回り小さい鷹に変身していた。しかし周りを見るとそれも上々の出来らしい。マクゴナガルもリーマスの鷹を見て満足げに頷いていた。 「わかってるよ」 逃げようとする蛙を取り押さえて魔法をかける。 ぐねぐねと形を変えたそれはどんどん膨らんでいき、見るも不恰好な、太りすぎた梟のような生き物になった。 「・・・」 リーマスが訝しげに俺とその生き物を交互に見比べた。 「どうしたの?何だかボーっとしてるみたいだけど」 「いや、特に何もないんだが」 気を取り直し、もう一度魔法をかけなおす。うまくいった。 リーマスの鷹よりも二回りほど大きい立派な鷹。ふと顔を上げるとマクゴナガルが更に満足そうに頷いていた。もしかしてさっきのも見られてたかな。 とりあえず課題を終えたことにほっと息をついて、鷹が飛び立たないうちにまたクッションに戻しておいた。 「なあリーマス」 「ん?」 同じように鷹をクッションに戻したリーマスと目が合って、やはり言うべきではないことかと悩み始めた。 なかなか口を開かない俺を不思議そうに見て、何?と催促してくる。 勢いで言ってしまおう。 「あのさ、地味子ちゃんのことだけど・・・。変身術が苦手って言ってたじゃねえか」 「地味子ちゃん・・・?ああ、●●のこと?」 やば、ついあだ名で言ってしまった。しかしリーマスは特に気にした様子もなく頷いた。こっそり息をついてそのまま続ける。 「苦手って、そんなに成績悪いのか?スクイブ以下って・・・」 そう言うと、リーマスの目つきが非常に悪くなった。怖い。 「『スクイブ以下』?誰からそんなこと聞いたの?」 昨日のスリザリン生が・・・と答えようとしたけど、リーマスは俺の返事なんて期待していなかったようだ。 「スクイブ以下で、どうやって今変身術を受けられるの?マクゴナガルはふくろう試験で『E・期待以上』以上の成績を取った生徒にしか変身術は教えないはずだけど」 あ、そうか。たしかそうだったな。ピーターがここにいないのもそれのせいであった。 納得して、俺がそのまま話を終わらそうとしていたら、リーマスはほんの少し苦虫を噛み潰したように眉をしかめて言葉を続けた。 「・・・でも彼女、緊張したり焦ったりすると、とんでもない魔法をかけてしまうんだ。それが変身術で顕著に、しかも頻繁に出るから、きっとそんな嫌なことを言うやつが出てくるんだ」 「ふーん」 だから変身術が『苦手』と。しかしテストではきちんと実力を発揮できるタイプらしい。 リーマスの話を聞いて、『スクイブ以下』というのは、やはり昨日のスリザリンのやつらの大げさな言い回しだったということがわかった。 「誰から聞いたのか知らないけど、そんな根も葉もない噂、鵜呑みにしないでよね」 「はいはい」 なんでこいつはこんなに過剰反応するんだ。 リーマスも少しずつ落ち着いてきた、そんなとき。 「ちょっと××さん!私のクッションにまで変な魔法かけないで!」 「ご、ごめんなさいっ」 聞こえよがしな女生徒の声と、消え入りそうなほど恐縮してしまった声。ひどく焦っているようだ。・・・そういえば、変身術の授業には彼女もいるんだった。自分のことでいっぱいいっぱいでそのことをすっかり忘れていた。 声のしたほうを見れば、予想通りの彼女の姿と、目をキッと吊り上げている、見るからに高飛車そうなレイブンクローの女生徒。彼女達の前には、翼の生えたクッション。羽ばたいてふわふわと浮かんでいる。 「す、すぐに、元に、戻します」 教室中の視線を一身に浴びてしまった彼女は指先まで赤くなりながら、漂うクッションに杖を向けた。 あ、と思った瞬間には、そのクッションは空気を噴射する風船のように教室中を飛びまわりながら縮んでいき、小さく小さくなって床に落ちた。 「・・・」 思わず頬が引きつる。 リーマスを見れば、不安げに地味子ちゃんと縮んだクッションを見ていた。 呆然とした教室内。レイブンクロー生を中心とした生徒達の端から、徐々に嘲笑が漏れ始める。 赤く青くなる地味子ちゃんは、床に落ちたクッションよりもずっと小さく見えた。 その嫌な空気を打ち破ったのはマクゴナガルが授業の終わりを告げる、手を叩く音。 「時間です。皆さんはクッションを片付けてください」 何事も見ていなかったかのような口ぶりに教室がまた、元の雰囲気を取り戻し始める。 「そう、そこの箱に片付けて・・・。ああ、そうだ。ミス××。ちょっと」 せめてもの償いとしてしてなのか、縮んだクッションと自分のクッションをまとめて箱に戻していた●●は、マクゴナガルの声に肩を震わせた。 ●●を置いて教室を出て行く生徒達の間からまたもや嘲笑のようなものが漏れ、遠ざかっていく。 「シリウス、早く出よう」 何を話すのだろうと隙あらば盗み聞こうとしていたが、マクゴナガルの視線に気づいたリーマスが、たらたらと片づけをしていた俺の腕を引っ張った。 「話を聞きたいなら、あとで本人に聞けばいい」 耳打ちするリーマス。つい頷いてしまった。別にそこまでして聞きたいわけじゃねえし。 リーマスに襟首掴まれながら、閉まるドアの隙間からマクゴナガルと、俯く地味子ちゃんの姿を盗み見た。 「このまま夕飯行こうか」 「ああ」 自然とまた四人が集って、ぞろぞろと広間に向う。 「で、リリーが僕の足をこうぐりぐりと・・・」 「それさっき聞いたよジェームズ」 「じゃあもう一回聞いてよ!」 いつもどおりのジェームズと、いつもどおりイライラし始めるリーマスから、俺とピーターは少し距離をとった。毎回学習能力のないやつだ、ジェームズは。 「――そういえばシリウス。この間の変身術授業の羊皮紙貸したよね。そろそろ返してもらえるかな」 ジェームズの顔面を鷲づかみにしたままリーマスがこちを振り返ってきた。ピーターが小さく悲鳴を上げる。 「え・・・羊皮紙・・・?羊皮紙?あー・・・羊皮紙・・・」 あれ、そんなもの借りてたっけ。借りてたような借りてなかったような。そういえば今日の授業で鞄から出したような出さなかったような。机の上に忘れてきたような忘れてきてないような。 「・・・」 俺が少々青くなってつったっていると、リーマスの手中のジェームズの顔がみしみしと音を立てた。 「取ってこようか」 「・・・はい」 高く鳴る腹を押さえて、俺はリーマスたちに背を向け変身術の教室に後戻りをした。 まさか背中のほうでジェームズたちが、互いにVサインを作っていたなんて知る由もない。 だらだらと教室に向いながら、すれ違っていく奴の顔を一人ひとり確認していく。まだ地味子ちゃんは帰ってきてないようだ。 ていうことはまだ教室に地味子ちゃんとマクゴナガルがいるわけだ。 さすがに話をしているときに中に入るのはなぁ。 どうしようかと考えながら歩いていれば、考えがまったくまとまる前に目的地についてしまった。 閉じられた無駄に大きな扉の向こうからは、やはり人の気配。 どうするかなー。あんまり長い間ここにいて飯食い損ねるのもなー。しかし飯よりリーマスだ。手ぶらで帰って何されるかわかったものじゃない。 待とう。マクゴナガルも生徒の飯を削ってまでお叱りはしないだろう。たぶん。 廊下の壁に背を預けて待ちを決めたその時。 「あまり気落ちしないように」 「はい・・・ありがとうございます」 ドアのすぐ向こうから明らかに落ち込んでいる声。 控えめに開かれたドアからふらふらと出てきた彼女は、今まで見た中で一番深く俯いていた。 俺に気づいていない様子の彼女。ちらりと教室の中を見ると、マクゴナガルが、まだいたのか、というような顔振りで俺を見ていた。今来たんだよ先生! ●●に声をかけようか迷ったが、その前に俺には羊皮紙を取り戻すという使命がある。地味子ちゃんを無視してマクゴナガルのほうに向っていく。すると、マクゴナガルがちょいとどこかを指差した。 「?」 倣ってそのほうを見ると、ふらふら歩いていく地味子ちゃんの手に握られているのは羊皮紙。まさかリーマスのか。もう一度マクゴナガルのほうを見れば、ちょうど扉が閉められたところであった。 「●●」 止まってもらおうと名前を呼ぶ。無反応。どうやら本気で落ち込んでいるようだ。 「●●」 早足で追いかけ、肩をつかむ。 いつものようにびくつくのかと思いきや、ぴたりと止まった●●は、みるからにげっそりした表情で振り返った。 「・・・・・・・・・ブラックさん。どう、なさったんですか・・・?」 またブラックさん。でも今は突っ込む気にもなれない。負のオーラが半端じゃない。 「あ、いや、その・・・なんかごめん」 頬を引きつらせて半歩下がる。 何だかいつもとは違う気まずさが漂う。 「どうしましたか・・・?」 こっちの台詞だ。そんな真っ青な顔で言われても。 「そ、その羊皮紙だけど・・・」 彼女の手にゆるく握られている羊皮紙を指させば、一拍置いて●●が、ああと頷く。 「先生が、リーマスの忘れ物だって・・・」 『リーマス』? 「俺がリーマスから借りてたんだよ」 「そっか」 特に疑いもせず(疑われても困るけど)、あっさりと渡された羊皮紙を、曖昧な返事をしながら受け取ればまた沈黙。このまま「じゃあ」で別れるのも変な感じだ。どうせこいつも今から広間に行くだろうし。 「あー、今から飯行くか?」 「・・・」 え、どうしよう。なんか悪いこと言ったかな。 聞かなければよかった!と一人後悔してると、ぼそりと地味子ちゃんが呟いた。 「彼女さん、いらっしゃるのに、私なんかと、いて、大丈夫、なんですか?」 「・・・」 今度は俺が黙る番。これやべえこれやべえよ。なんかわからねえけど、今後の展開的にかなりやばいかんじだ。しかも彼女さんが誰のことかわかんねえ。ハッフルパフの先輩のことか?スリザリンの後輩のことか?それとも今狙ってるレイブンクローの美少女か? 「ダイジョウブダヨ」 とにかく今はこう言っておこう。 「本当、ですか?」 少し詰め寄るようにもう一度聞かれる。目をそらして必死にこくこくと頷いた。 信じてくれたようで、強張っていた口元が少しだけ緩んだ。 「よかった・・・」 さっきよりもずっと顔色のよくなった彼女を見て、罪悪感を覚えたのは言うまでもない。 皆すでに広間に行ってしまったのか、もう廊下にはまったくと言っていいほど人がいなかった。そっちのほうが●●的にも過ごしやすいだろうけど。 どちらから促すでもなく、並んで広間に向う。並ぶといっても、●●はまた半歩後ろをついてきているけれど。 「そういえば、変身術少し苦手なんだな」 「はい・・・。焦るとどうしても、うまくいかなくて」 そして、気づいたことが一つ。 ●●はすごくゆったりとした性格らしい。いつもがいつもだから、せかせかして、常に切羽詰ってるようなものかと思っていたらから、少し驚いた。 「シリウス君は何でもできて、うらやましいです」 そしてあのどもり。 初対面の人など、慣れていない場合に発動するらしい。だから、こうやって根気よく何回も顔を合わせていれば彼女も慣れてくるらしい。まるで動物だ。 「別に何でもできるわけじゃねえよ。実際俺よりジェームズのほうが成績いいしな」 実に認めがたい事実だけれども。 「あははっ。ジェームズはもう別格ですよね」 会話の中で、まったく面白いともおもわないところでも楽しそうに笑う●●は、少しかわいかった。 間もなく広間に着き、俺たちは軽く手を振ってそれぞれの寮のテーブルに向った。広間に入ったときの、たくさんの妙な視線をあびた●●は、また小さくなって肩身が狭そうだった。 グリフィンドールの席をぐるりと見回し、こちらを見てにやにやとしているジェームズたちを発見した。 一瞬でむっとする気持ちに溢れて口をへの字にし、早足でそこに行く。 「なあに楽しそうにして来ちゃって〜」 テーブルに頬杖ついて一番ムカつく顔をしてるジェームズを無視し、リーマスに乱暴に羊皮紙を渡しながら隣に腰掛けた。 「ご苦労様」 爽やかなリーマスの笑顔も腹立つ。相変わらずピーターはおどおどしてるけど。 他の生徒が食べ散らかした食事のましなところを取り、腹を満たしていく。 「かな〜り仲良くなれたようで」 「うるせえな」 からかいたいオーラ出しまくりのジェームズをあしらうけど、目の端で含み笑いされるのも更にムカつく。 自分の寛容な志で、やつらのからかいを回避できた。 「そうだシリウス。休日の予定は作ってないよね?」 「・・・」 肉にかじりついたまま、いぶかしむような視線をジェームズに送る。何だよ。その、お前暇だよね、みたいな言い方。俺にだってデートの予定の一つや二つ・・・この休日はねえな。 いやいや肯定すると、ジェームズは満足げに頷いた。 「その日にいいことあるかもよ」 「は?」 いいことってなんだよ。教えろよ。と、胸元を掴んで揺さぶっても、ジェームズは高笑いするだけで何も教えてくれなかった。 広間を出て行く前にこっそりとレイブンクローの席を見る。一人生徒の群れから離れた所に座っている●●は、じっとレギュラスの背中を見つめていた。 |