呪文学の授業の後に言葉を交わしてから一週間。それからも●●に避けられ続けている。少しは距離は縮んだかと思っていたんだが・・・。

 俺がそれをジェームズたちに嘆いたら、「まるで恋する乙女だね」なんて言ってきた。事情を知ってそれを言うか。しかし彼らの言うことには、●●の避けかたは前よりも酷いものではないらしい。俺にはまったく変わってないように感じるんだけど。


 日付が変わる一、二時間ほど前。
 俺はジェームズから借りた透明マントを被り、人影の無い廊下を歩いていた。

 寮に戻る時間などとっくにすぎたのになぜ俺がこんなところにいるかというと、ついさっきまでフィルチからの罰則を受けていたから。今さっき、フィルチが居眠りしている間に抜け出してきたってわけ。監督生とかがうろついてることがあるから、透明マントを被っての帰宅。

 それにしても、かがまないと足が少し見えるこの透明マントは不良品じゃないのか。

 腰が痛くなる前にさっさと寮に帰ろう。そう思って、足音を殺しつつ、歩を早めた。

 すると、ほどなくして、遠くから数人の人の気配。はたと足を止め、気配のする角の向こうをじっと睨む。


「――ど」

「―――ぁ」

 どうやら声は二、三人のよう。口論をしているようにも聞こえる。俺の存在には露ほども気づいていないみたいだった。

 めんどうごとには関わりたくないけれど、寮へ帰るにはそこの角を曲がらなければならない。

 めんどくせえなぁ。ため息をついて、先ほどよりも慎重に歩き始めた。

 角に近づくにつれ、会話がはっきりと聞き取れるようになる。


「てめえには関係ねえんだよ。混血のくせに生意気言いやがって」

 ああ、相手はスリザリンか。相変わらずバカみてえなこと言ってやがる。
 若干さっきよりもうんざりとして、俺は肩を落とした。しかし、それに答えた声を聞いて、耳を疑うことになる。

「け、けど、もう寮に戻る時間は、とっくに過ぎて・・・」

 震え、尻すぼみになる声。まだ数度しかまともに聞いていないけど、耳につくどもった話し方。

 まさかこんなところで合う羽目になるとは思ってなかったので、一瞬心臓が鳴った。

 そうか。成績もよくてあれだけ真面目そうだったら監督生にも選ばれるか。その見回りをしてるときに、運悪くスリザリン生に出くわしてしまったと。


「うるせえな。監督生だからって人に命令できんのかよ」

 できるだろ。監督生なんだから。ほんと頭沸いてるな。

「そういう、わけじゃ・・・でも・・・」


 ようやく曲がり角に来て、透明マントを被っているにもかかわらず、つい覗くように、その場を隠れながら見てしまった。

 二人の生徒(後姿しか見えないが、絶対スリザリン生)と、それに対峙する、思ったとおりの姿を見て、がっくりと肩を落とさずにはいられなかった。

 本当面倒くさい。

 俺は隠れ見るのを止めそこからそっと出て、脇を通ろうと壁ぎりぎりをそっとそっと進んだ。

 顔見知りが絡まれているのを無視するのは良心が痛むけど、やつらにとって俺は『いない』存在なわけだし、つまり俺が今地味子ちゃんをスルーしても彼女はそれを知らないってことになる。

 好きでもないんだから、罰則から逃げ出してきてこっそり寮に帰ろうとしているところの姿を明かしてまで助けてやる理由もない。


 そっと、そっと、歩く。


「そういえばお前、●●・××だよな」

 一人のスリザリン生の言葉に、●●の肩がびくりと跳ねた。

「まじかよ。あの、地味で暗くて友達の一人もいない●●・××?」

 もう片方のスリザリン生が重ねるたびに、●●の顔が下を向いていった。


「しかも変身術がスクイブ並み!」

 極めつけのこの言葉に彼女の除く首筋が真っ赤になった。彼女の手がぎゅっとローブの端を握る。

 今、彼らの真横に来た。このまま・・・このまま真っ直ぐ・・・。


「なあ、その前髪邪魔だろ?切ってやるよ」

「お、それいいな。成績上位のやつらの中で飛びぬけて冴えないんだから、それくらい手伝ってやるよ」

 視界の端で、二人が杖を取り出すのが見えた。思わず足を止め、ばっと振り返る。

 びくついて顔を上げた●●が杖を握りだすと同時に武装解除を受け、彼女の杖が遠くに吹き飛ばされてしまった。緊張と言われたことのせいで反応が遅れてしまったのだろう。


 青ざめた顔で飛ばされた杖を見ていた彼女は、にやついている相手に気がついて、慌てて背を向けた。走り出した途端に足に足縛りの呪文をかけられ、俺の目の前に小さな悲鳴を上げて倒れこんでしまった。


 無視を、無視、を・・・。

 ぴったりとくっついて外れない足を不恰好にばたばたと動かして、●●は必死に逃げようとしていた。


「かっこわりー」

 腹を抱えて笑うやつら。もう赤くなる余裕なんてないらしく、微かに覗く頬は真っ青だった。


「髪全部刈るか?」

「もう生えないように呪いかけるとか」

「いいなそれ」

 手だけで後ずさろうとする●●に、焦らすようにゆっくりと近づくやつら。死喰い人並みに残酷。

「ご、ごめん、なさ・・・」

 泣いてるんじゃないかって思うほど震えた声はひどく怯えていた。


「なに謝ってんの?こいつ」

 二人がすっと杖を上げる。


 無視・・・は、もう無理だろ。

 やつらの唇が動こうとした瞬間、俺は透明マントを脱ぎ捨てた。


「!!」

 目の前に急に現れた俺に目を見開いているやつらをわき目に、飛ばされた●●の杖に自分の杖を向ける。

「アクシオ」

 びゅっと飛んでくる、自分のものより一回り細いものをうまく受け取り、両手に握った杖をそれぞれに向けた。

「ペトリフィカス・トタルス」

 あっさりと当たった全身金縛り呪文。間抜け面で固い床に倒れこむスリザリンの奴らを眺め、俺は満足げに頷いた。大口叩いた割には、まったく手ごたえのないやつらだった。

 急展開に頭がついていってないのか、ぽかーんと口を開いて俺を見上げていた●●の前にしゃがみこみ、足に反対呪文を唱え、彼女の足が自由になり、俺が立ち上がったところで●●はハッと動いた。


「ぶ、ブラックさん・・・!」

 ブラックさんて・・・。前より他人行儀・・・。

「ほら。杖。勝手に使って悪かったな」

 いまだにへたり込んでいる彼女に杖を差し出すと、●●はそれをおずおずと受け取った。

「あの、あり、ありがと、ございます」

 座ったままぺこぺこと頭を下げられ、なんだかこっちが申し訳ない気持ちになった


「もういいから。立てるか?」

「は、はい」

 ゆらゆらと立ち上がる●●。


「・・・」

「・・・」

 そして沈黙。

 ごそごそと杖をしまう彼女が妙に戸惑っていたが、よく考えればこの微妙な空気をごまかそうとしているに違いなかった。

 いつまでもそうしているわけにもいかず、すぐにまったくの沈黙。

「あー・・・、こいつらどうする?」

 広間に裸でつるしあげるか?と尋ねると、動けない二人がおかしいくらいに慌てたのが雰囲気で感じ取れた。しかしそれ以上に慌てたのが目の前の被害者。

「そそそそそそそんな!そんなひどいこと、かわいそうです・・・!」

「かわいそうって、お前、こいつらに何されたんだよ」

「でも、結果的には、なにもされませんでした」

「それはそうだけど・・・」

 たしかにそうだけど、どうにも納得できない。でも俺のことじゃないし、こいつがそれでいいならそれでいいか。


「じゃ、誰かが気づくまでここに放置するか」

 それでも不満足そうに頷きかねる地味子ちゃんに、畳み掛けるように「な?」と言うと、断れない性質なのか、渋々同意した。



「――そろそろ寮に帰るか。●●も戻るだろ?送ってってやるよ」

 落ちていた透明マントを拾い上げる。


「え!?いえ、まだ、その、私、見回りが終わってないので・・・。それに、ブラックさんにそんな、手をわずらわせ・・・」

「はあ?あんな目にあってまだ続けるわけ?」

 その生真面目さに呆れて、言葉を遮りながら●●を見ると、彼女は震えて、小さく謝ってきた。いや、別に怒ってるわけじゃないんだけどさぁ。

「今日くらいはいいだろ。監督生はお前だけじゃない」

 ●●も心の内は、今日は早めに切り上げたかったのだろう。俺が軽く後押ししただけで、結構すんなりと同意してくれた。


「じゃあ行くか」

「で、でも、一人でも戻れるので、大丈夫、です」

「どうせ途中まで一緒の道なんだからいいだろ」

「そう、ですけど・・・」

「ほら。俺はもう眠いんだから」

 やはり押しには弱いようで、結局は俺の押しに●●は簡単に折れてしまった。


 とろとろと歩き出した俺ら。いつ人が来ても大丈夫なように、透明マントは準備万端。



 とは言っても、寮までの長い道のり。会話が驚くほど続かない。

 鍛えた俺の会話力と話題の豊富さでも、相手がまともな返事を返してくれなければ始まらない。
 訪れる沈黙がすぐに痛くなった。

 半歩ほど後ろを歩く地味子ちゃんは、俯いたまま静かについてきていた。

 俺らが今までにやらかしたことや、エバンズに振られたときのジェームズの反応のおもしろさ、女は甘いものが好きだと思い至り、リーマスがつい最近言っていたハニーデュークスの新製品についての情報や、スニベルスの気色悪いところまでもてるものすべてを話したけどまったくダメ。(ジェームズたちのことを話すときには、かすかにいい反応をした。しかしスニベリーの話には、どことなく嫌悪感のようなものを醸し出していた)

 俺がこんなに努力してるのに、と、少しずつイライラし始めてきたころ、不意に地味子ちゃんがぽつりと呟いた。


「この間は、ありがとう、ございました」

「あ?」

 目だけで振り返ると、彼女は俯いたままだった。けどほんの少しだけ、耳が赤くなっていた。

 でも俺には今日以外、こいつに礼を言われるようなことはしていない。

「わりい。この間っていつのことだ?」

 尋ねると、●●はもごもごと口ごもって、十分に間を空けてからようやく口を開いた。


「私の呪文、『完璧だ』って」

「・・・」

 そんなこと言ったっけ?言ったとしたら、あの日の呪文学の後の会話でか。


「あー、あー。うん。だったな。そうだった」

 それが礼を言われるほどのことなのか?
 首を傾げていると、珍しく彼女はまた言葉を続けた。

「私、先生以外の人に、魔法、褒めてもらうの初めてだったから、すごく、うれしくて」

 だから、ありがとうございます。

 ぺこりとまた頭を下げる●●。ちょっとだけ顔をあげた彼女の口元は嬉しそうに緩んでいた。


『地味で暗くて友達の一人もいない●●・××?』


 さっきのスリザリン生の声が頭の中で反芻される。

 ジェームズも●●には友人が少ないと言っていた。
 プライドの高いレイブンクロー生のことだ。彼女の魔法を褒めるどころか、嫉妬の対象にして、むしろ貶したりしていたのだろう。これじゃ、どこぞの寮生と変わらない。


「あの、ここまで送ってくださって、ありがとうございました」

「あ、ああ」

 いつの間にか着いていた、グリフィンドールとレイブンクローの寮の分かれ道。


『照れ屋さんですごく消極的な子だから、なかなか友達ができないんだよ。優しい子なのに。なーんてね!』

 いつの日かジェームズが言っていた。


「それじゃあ、おやすみなさ・・・」

「あのさ」

 背を向けようとした●●を引きとめた。そこまではいいものの、特に言うことは決めてなかった。
 だからつい、その気まずさをどうにかするためにこう言ってしまったんだと思う。


 隠れて見えない目を無理矢理捉えた。



「俺と、友達にならねえか?」




「あっはっはっはっは!!なかなかの傑作だよシリウス!これから落とそうって子に『友達になろう』だなんて!自分からバリア張ってるようなものだ!!」

「るっせえな!ついだよ!つ・い!!」

 寮に戻って始終を話せば、ジェームズはバカ笑いをしながら俺の肩を叩いた。

「やっぱりパッドフットは犬脳だったね」

 俺が帰ってきてから、まもなくして見回りから戻ってきたリーマスが言う。無駄に心にクる。


「でも普通に生活してても『友達になろう』だなんて、人に言わないんじゃ」

「ピーターもうるせえっ」

「ご、ごめん!」

 どいつもこいつもいちいちバカにしやがって。


「俺はもう寝る」

 ベッドに潜れば、ジェームズがすすっとベッドの脇に寄ってくる。

「ぷぷーっ。不貞寝?不貞寝でしょ」

 つんつんと布団の上から肩をつついてきた。

「うるせえって!!」

 振り払えばジェームズはまた爆笑をはじめ、リーマスに『うるさい』と言われるまで笑い続けた。

 静かになった部屋に、ようやく安心して目を閉じることができた。




『え・・・?』

『ブラックじゃなくて、名前で呼んでいいから』

『そ、その、ブラックさん・・・?』

『名前で呼べって。じゃ、じゃあ、俺もう寝るわ』

『あ・・・は、はい・・・。おやすみなさい』


 ぽかんとした彼女の顔を直視できなくて半ば逃げるように帰ってきたことは、ジェームズたちには言わなかった。もし言っていたら今以上に笑われただろう。

 あんなガキじみたこと、まさか自分が言ってしまうとは思ってもみなかったせいで、思い出すだけで頬が熱くなる。絶対どうかしてた、俺。


 明日から、●●と顔を合わせたときにどうすればいいかなんて柄にもなく考えてしまうけれど、不思議と後悔はしていなかった。


 ごちゃごちゃした思考の中、寝ることだけに集中する。


『ありがとうございます。シリウス君』

 向けた背中に投げかけられたこの声は、できるだけ思い出さないようにした。






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