ダンブルドア先生の言葉はひどく私を悩ませた。散々悩んだ。 当時ならまだしも、もう短くはない時が経ち、冷静に物事を見ることができる落ち着きも手に入れた。 何ヵ月も何年も悩んで、私はようやく決心する。 まだ数度目の、秘密の拠点地への道のり。息を殺し、周りに追っ手がいないかを念入りに確認して、ある一つの野望渦巻くそこに足を踏み入れた。 何年も考え抜いたけれど、ダンブルドア先生の話を聞いたその日から必死に魔法の勉強を始めた私は、心の底では最初から答えは決まっていたのかもしれない。 野望───闇の帝王ヴォルデモートを打ち負かすという野望を抱く者。 私の、私だけの今の居場所。ヴォルデモートを蹴落とすために、日々錯誤する場所。 私はヴォルデモートに立ち向かう決意をした。 死んでも構わない。 いつだって私はリドルにすべてを話し、すべてを預けてきた。それなのにリドルはとても大きな秘め事を、最後までそ知らぬ振りして私に隠してきた。 腹が立つ。 私にもし話してくれてたら、たとえ間違っていると言われることでもリドルに加担したのに。 だからこれは私のプライド。すっかり不良になってしまったリドルを更正させるために。 死んでも構わない。 リドルのためなら。 大きな決意と絶望と緊張を抱え、うるさい心臓を抑えながら大きく深呼吸をした。 ぎゅっと、指に馴染む杖の感触を味わう。 今までお世話になった杖。私を守った杖。 これが最期のお仕事、がんばれ。 数メートル先から歩いてくる数人の人影。 黒いフードを目深に被った集団を木陰から睨む。 周りにつく者達もさながら、先頭行くものの圧倒的なオーラに息を呑まないものなどいないだろう。 こっそりとそちらを伺う。 ・・・気づかれてない。それもそうだ。死に物狂いで集めた危ない情報。 まさかこんなに早く誰かに居場所かばれるとは思ってもなかったのだろう。 やつらの足音が近づくにつれ、息が苦しくなる。 大丈夫。 根拠などまるっきりない慰めを呟き、己の顔を隠すフードを被った。 異常に長く感じる時間。 今だ。 ぱきり、と誰かが小枝を踏みしめる音が間近で聞こえたのを合図に、私は息を止め、その集団の前に飛びだした。 さすがに動揺したのか、すぐに動けたものはいない。 すぐさま杖を向け、禁じられた呪文を叫んだ。 ・・・否、叫ぼうとした。 目にも留まらぬ早さで杖を上げたターゲット。 なんの合図も無しに、私の杖は呆気なく吹き飛ばされた。 地に突き刺さる私の盾は、ただの棒切れと成り果て、目の前が真っ暗になった。 「───」 ああ、終わった。 私が呆然とつっ立っている間に、他の死喰い人たちは応戦態勢にとっくに入っていた 四方八方からこうも杖を向けられれば、もう生きてる心地なんて感じない。 緑の閃光が走るのをただ待った。 ターゲットのすぐ横にいた死喰い人が構えていた杖を上げ、わずかに覗く唇がかすかに動く。 「アバダ・・・」 その人が杖を振ろうとしたそのとき、ターゲットが静かに手を上げ、それを制した。 「待て。俺様が直々にやってやろう」 懐かしいその声。でも、何者も寄せ付けない、温かみなど含まないその声は私が知っているものじゃなかった。 ぼーっとヴォルデモートの足元を見ていれば、彼はくつくつと笑う。人を完全に嘲っている。 昔みたいにひっぱたくことができればいいのに。どうせ死ぬなら一発殴ってから死にたい、なんて夢想した。 勢いがいいのは自分の頭の中だけで、相も変わらず私の足は地に根が張ったように動かない。恐い。その感情に正直に支配されていた。 ヴォルデモートが何をしてくるのかとひやひやと待ち、彼の腕がすっと上がったことに私は異常にびくついた。しかしそれは杖を振るうためではなかったらしい。 細い指は己の顔を覆うフードを引いて、私の前に顔を露にした。 まさか顔を出してくるとは思わなかった私は、紅い瞳と歪んだ唇にひどく動揺した。しかしそれも束の間。ヴォルデモートが杖を向けた。 「クルーシオ」 あの呪文の形に唇が動くのを見て逃げようと、張り付いていた足をはがそうとしたとき、ドクン、と心臓が跳ね上がり身体中に突き抜ける痛みが走った。 「ああああああああああ!!!」 膝から崩れ落ち、不様に地面にのた打つ。 「ほう、女か」 杖をこちらに向けたまま、ヴォルデモートは私の絶叫を聞いて感心したように声を上げた。 死んだほうがましだと思わせるほどの激痛は、まさに地獄。 「こんなに早く探し当てるとは、その探求心もなかなかだな」 右に左に杖先を向けながら息絶え絶えの私に向かってくる。杖先の動きに合わせ、激痛の中心が素早く移動した。 呼吸がままならなくなり引きつった声を上げると、ぱたりと痛みが止んだ。流れ込んできた空気に驚き、むせてしまう。 耳元の草が踏みつけられる音がしてそちらを見ると、歪む視界にいつの間にかすぐ横まで迫ったヴォルデモートがあった。 殺すのか・・・。早く殺せばいい。 大きすぎる痛みで死に対する感覚が麻痺してしまったようだ。 「しかし、その探求心も…違うものに向ければよかったものの」 低くなった声。 まもなく、これまでの比じゃないほどの痛みが突き抜け、一瞬にして意識がとんだ。 「起きろ」 ヴォルデモートが杖を振ると無理矢理また意識が連れ戻され、すぐにまた磔の呪文が飛んでくる。 何度も何度もくりかえした。 悲鳴を上げすぎてひりひりする喉。 魔法を止めればパタリと止む痛みは、尾を引くものよりも恐ろしかった。 「はあ・・・はあ・・・」 短い草を握りしめ、必死に酸素を取り込む。 そんな私を見てなお、笑みを漏らすヴォルデモートは残忍そのもの。知らない人。 フードの下で理由のない涙がぼろぼろと溢れて止まらなかった。 嗚咽を飲み込みどうにか調子を戻そうとしていると、急に彼の声が不自然な温かみを帯びる。 「顔を見せろ。勇敢な者は讃えなければな・・・。それにお前はなかなか閉心術がうまい」 冷たい温かさ。 「・・・」 それを無視して、じっと地面をにらんだ。 このまま殺せ。 私だと知らないまま、死体をここに転がしてまたどこかへ消えてしまえ。 しかしその無視が逆鱗に掠めたのか、ヴォルデモートは表情を一変させた。 「バカなやつめ」 「!!」 彼が杖を大きく振る。 ぐいっと襟首が捕まれたように後ろへ吹き飛ばされ、木の幹にぶつかってようやく止まった。 「がは・・・っ」 受身なんて取れず頭と背中を強く打ち意識が朦朧とする中、だらりと後頭部から血が流れ、唇からも漏れ出してくるのを感じる。 フードが、飛ばされた衝撃で外れてしまっていることに気がついた。 顔がばれる。 一瞬肝が冷えたけれど、土と血で汚れた髪が俯いた顔を覆っていてくれたおかげでどうにか免れ、胸をなでおろした。 不幸中の幸いに安心するも、身体はどんどん重くなって行く。頭から止め処なく流れる血は首を伝い、背を渡って、少しずつ草の上に跡を作っていった。 とぎれとぎれで、ままならない思考。 これは、もしかしたら殺される前に死ぬかもしれない。 白く点滅する世界。体の内側で、何かがためらいながら剥離していく。 視界の端でヴォルデモートが杖を上げ、まっすぐに私に狙い定めた。 恐怖は、ない。 「――死ぬなら俺様が殺してやろう。英雄気取りにはそれが一番だ」 必死に練習して手に入れた閉心術が解ける。ダンブルドア先生、ありがとう。いっぱい役に立ちました。 一目、彼の姿をと望んだ私は、なけなしの力を振り絞って顔を上げた。 アバダ・ケダブラ 『───わかった。●●の頼みを聞く代わりに、僕からも約束してほしいことがある』 『約束?』 『ああ。ひとつだけ』 ――【嘘をつかない】こと。 最期に見たのは、驚愕に目を見開くリドル。 胸を貫いた緑の閃光は、お情けかと思うくらい痛くも痒くもなかった。 『・・・それだけ?』 『そんな、人を胡散臭いものを見るような目で見ないでくれよ。じゃ、約束ね』 『え、あ、うん。約束・・・』 嘘だ、嘘だ。 「嘘だ、●●・・・っ」 力の抜けきった体を揺り動かすけれど、彼女は目を閉ざしたまま。 「どうして、どうして・・・」 止血をしても、傷を癒しても、汚れた身体を清めても、それでも目を覚まさない。 どうしようもない想いがこみ上げ――もう何年ぶりだろうか、胸の奥が熱くなった。 「●●・・・!」 応えない亡骸を抱きしめる。 殺してしまった、自分の手で。 女の悲鳴を聞いたときの違和感を素直に受け止めればよかった。時折覗けた心の記憶と自分のものが一致することに気づけばよかった。見慣れた髪質に思い出せばよかった。・・・はっきりと、相違のない僕との思い出が覗けたときはもう手遅れだった。 血の気が引いてとっさに杖の矛先を変えるけど、一直線に伸びた光は狙いと違わず胸を貫いて。 一度は、手放すくらいなら直に殺してしまおうとも考えた命。 でも彼女は生を望んだし、僕自身もそれを願った。 僕が支配した世界のどこかで彼女が生きている、それだけで十分だった。彼女が年老いていく過程で、もし彼女が死んでしまったとしても、そういう宿命だったのだと諦める準備もできていた。 しかし、こともあろうかその命を奪ったのは僕。消したはずの記憶も何もかもを取り戻した昔のままの●●を、呪文ひとつで簡単に。 どうして記憶が。どうしてここに。どうして僕を。 その理由は、心を覗いた一瞬ですべてを知り得ることができた。 愕然。 微かに僕の手のひらに残っていた『何か』が、たった今確かに、無となった。 ああ、僕のちょっとした迷いが、結果的に僕と●●の首を絞めるハメになってしまった。いつか思い出してくれるなら、いつかまた名前を呼んでくれるなら、そんな願望を抱いたばかりに、彼女が記憶を伝ってくる手がかりを残して。 「我が君・・・」 オリオン・ブラックがなんとも言えない声を上げる。 「わかっている」 一箇所に長くはとどまれない。禁じられた呪文を使った直後でもある。 ●●の血の気の失せた頬にそっと触れて、最期に彼女の開くことのない瞳を見つめた。 全部全部嘘。 ●●と出会ったのも、●●と両想いになれたのも、●●を失ったのも。 そうだったら、どんなによかっただろうか。 「約束破ってごめん、●●」 うそつきでごめん。 いつか僕は"死"を克服して君を迎えに行く。 これは嘘にならないように、約束しよう。 おわり |