目を覚ます。

 見慣れた天井から壁、床と視線を這わせながらゆったりと起き上がった。


「いった、い・・・」

 いつからだったか、最近頻繁に頭痛に苛まれる。何か悪い病気だったらどうしようと不安に思ったりもするが、なかなか病院に行けないという現状。

 がんがんと痛む頭を抱え、せっかく起き上がったのにまた倒れこむようにしてベッドに寝た。


「うう・・・」

 今日はいつも異常に痛みが尾を引く。
 こうやってぐだぐだしながら痛みに耐えていると、いつも決まって何かが見えるのだ。でもそれは、何かとはっきり目を見開いて見る前に消えてしまう。

「何かに憑かれてんのかなぁ・・・」

 そんなんだったら洒落にならない。これでタチの悪い呪いとかだったら、知らぬ間にぽっくり逝ってしまうかもしれないじゃないか。



 頭が痛み始めてほぼ同刻くらいから、仕事の同僚などにボーっとしていることが多くなったと言われるようになった。

 最初は仕事ぶりが悪いと貶されてるのかと思って怒ったりしたのだけど、あまりによく言われるので不安になった。そして追い討ちをかけるようにこう言う。「三、四年前のある一週間くらいなんか、まるで歩く死人みたいだった」と。

 三、四年前って言ったって、そんなことは私の記憶にはない。でも皆が皆口をそろえてそう言うということは・・・どういうことだ。結構昔のことなのにはっきりと他人の記憶に残っていると言うことは、よっぽど私は不審であったらしい。


 わからんなぁ。


 さきほどよりも随分よくなったものの、いまだきりきりと痛む頭を押さえながら時計を見やる。まだ間に合う。

 今日はその謎を解くためにホグワーツへ行くのだ。

 手紙でお願いしたところ、忙しいダンブルドア先生がわざわざ時間を取って話を聞いてくれることとなり、守りの厳しい学校への入校を許可してくれたのだから這ってでもそこに行かねばならない。


 しばしの間うなり声を上げながら毛布の中でうごめいた後、がばっと起き上がった。
 勢いに任せて寝巻きを脱ぎ、外着に着替える。

 ホグワーツの中に姿現しはできないから、どのあたりに着地するようにしようか。あまり歩きたくないし。
 こんなんだから運動不足になるんだなあ。もしかしたらこの頭痛も不健康の証かもしれない。

 悶々と考え、最後に深いため息をつきながら外に出た。





 シンプルなティーカップはお世辞にも高価そうとは言えない。マグル好きのダンブルドア先生のことだ。マグルの道を練り歩いて、気に入ったから買ったというに違いない。でもその中に注がれる紅茶はきっと一級品だ。私には違いがわからないけど。

 一気に飲むのはもったいなくて、部屋の様子を伺いながらちびちびとカップに唇をつけていると、ダンブルドア先生が静かに自分のカップを置き膝の上で指を組んだ。


「さて、ミス××。今日は話があると伺ったのじゃが」

 慌ててカップを置き、弧を描くダンブルドア先生の青い目を見つめる。

「はい。・・・くだらないことだと思われるかもしれませんが」

「くだらないかどうかは、話を聞いてから決めようかの」


 先生の言葉にこくりと頷き、大きく深呼吸をしてから、長いこと続いている頭痛のこと、時々見える映像のようなもの、さらに同僚が話していたことなどをへたくそに説明した。

 数年前、私の知らないうちに何かが起きたのだろうか。
 何が?わからない。だからここに来たんだ。

 自身ですら理解しえていない、つっかえながらの私の話を口を挟まず真剣な目で聞いてくれた。


 自分が納得いくまで話し終えたのは、先生がティーカップを置いてから約三十分後のこと。

 一方的にこんなに長く話すのはめったにないことで、ふうと息をついたときには口の中がからからになっていた。


 すっかり冷めてしまった紅茶を残念に思いながら口に含む。

 膝の上で指を組んだままの姿勢で微動だにしていなかった先生は、あるときに深い息を吐いて、たっぷりとした自分の髭を撫でた。


 くだらないことだと思われたか。生徒を大事にする先生のことだ。きっと「早く病院へ行きなさい」と言うだろう。
 やっぱり、わざわざここまでしなくてよかったかなと後悔し始めた。



「――ところで、ミス××」

「はい」

 カップを置いて先生の目を見る。先生の瞳は一見純粋で感情がよくわかるもののように見えるけど、実際はそうではない気がする。現に今先生の目は、なんとも形容しがたい色を称えていた。

 何を言われるのか。病院の話が出たら、素直にそれに従おう。
 少しばかり緊張しながら続きを待った。


「在学中おぬしと同級であった、トム・リドルという人物を知っておるか?」

「――は?」

 先生はどうして今、その名を話題に出してきたのだろうか。失礼だとかどうだとか考える前に、私は眉を寄せて首をかしげた。

「そりゃあ・・・知ってますけど・・・・・・」


 むしろ知らないと言うほうがおかしいではないか。思い出さずとも、学生時代の彼の顔を思い浮かべることができる。


 だって彼は。


「すっごい有名人じゃないですか。眉目秀麗、容姿端麗。どこをとっても外れなし!って」

 そういえば卒業後はボージン・アンド・バークスに就職したと噂で聞いたけれど、仕事でノクターン横丁に行ったときはまったく顔を合わさなかったな。

 もったいない。あんなに頭よかったのに。


 屈託のない、それでいて品のあるあの笑みを想起してみて、なんだか奇妙な感覚を覚えたけれど、それは掴み取る前にするりと逃げていってしまった。


 友人らはかっこいいかっこいいと騒いでいたけど、私はどうしても彼を好きになれなかったのをはっきり覚えている。確かにかっこいいけどさ。


「・・・でも、どうして今彼の話を?」

 も、もしかして、トム・リドルがヒーラーに転職したから、治療をしてもらえとかそういう話じゃないよね。

 疑問に首をかしげたまま先生を見る。


「――」


 一瞬見てしまった先生の表情は、在学中見たこともないくらい険しい顔をしていた。

 でも先生はすぐにまた顔をほころばせ、申し訳ないと謝罪をしてきた。

「ただ卒業生に会ったのが嬉しくて、ちょっと訊いてみたくなっただけじゃ。悩みを聞いているというのに、唐突にすまなかった」

「い、いえ・・・。お気になさらず」

 紅茶のおかわりは?と訊ねられ、上の空で二杯目をいただいた。ほかほかと湯気の漂う、琥珀色の半透明の液体。喉は渇いているけど、なぜか飲む気になれない。


「して、ミス××の悩みの件じゃが・・・」

「はい」

 はっと姿勢をただし、一つも見逃さないようにと先生の一挙一動に注目する。
 ダンブルドア先生は一口紅茶を含んで、にこりと笑った。


「おそらく、生活環境の変化に慣れて、疲れが噴き出したんじゃ。もうしばらくして、まだ頭痛が治らないようなら、病院に行って薬をもらえばすぐに治るじゃろう」


 若いんだから身体を大事にするようにと話す先生の声は、耳から通ってそのままどこかへ抜けていってしまった。


 愕然とする。

 最初からこの答えである確率が高いのはわかっていたのに、この『期待はずれ』ともとれる虚無感はなんだろうか。



「本当、ですか?」

「ああ。安心して。そんなに重い病気じゃないはず・・・」

 違う、そうじゃない。
 時計を見上げもうこんな時間だと呟き、私を家に帰そうとダンブルドア先生が席を立った。それを無視して頑なに椅子に座ったまま、先生の目を力なく睨みつけた。


「本当に、嘘、じゃないですか・・・?」

 心臓が脈打つ。

『約束だよ』

 誰の声だろうか。

 明瞭ではない記憶の中に何かが埋もれてる。かきわけてもかきわけても、自分だけじゃたどり着けない。


 私がどれだけ情けない顔をしていたのか、先生は立ち上がったままの姿勢で私を見下ろす。しばしの間じっと私の目を見つめ、あるときにふいとそらしてしまう。

「ミス××。思い出せないことは思い出せない、そのままでいいほうがいいことが、世の中にはたくさんある」

 だから、お前は忘れたままがいい、と。


「――トム・リドルですか?」

 私だってバカじゃない。確かめるように訊ねる。

 ミス××、と諌めるように呼ばれた名前を無視して私は勢いよく立ち上がった。

 先生のローブを掴んで、随分と高い位置にある顔を睨みつける。


「トム・リドルが私に何かしたんですか!?先生、教えてくださいっ!」

 ダンブルドア先生は残念そうに目を伏せて、そのまますべてを閉ざしてしまったかのように動かなくなってしまった。


 先生、先生、お願いします、ダンブルドア先生。叫びながら掴んだローブを揺するけど先生は動かない。

「どうして・・・」

 どうして教えてくれない。私のことなのに。
 大人になってから涙を流すなんてすごく情けないことだと思っていたけど、これは仕方がなかった。


 自然と溢れてくるものが頬を濡らしていく。




「リドル・・・」

 私の唇からぽろりとこぼれた名前。聞こえたのか、先生の体がぴくりと反応した。はじめて口にする呼び方のはずなのに、どうしてこうもしっくりとくるのだろうか。


「リドル」

 ずきり、と忘れていた痛みが訪れる。
 同時に何かが見えた。前よりはっきりと見える。でも足りない。


「リドル」

 馴れ馴れしく呼んでいる私は、気が触れたと思われるだろうか。

 でも名を呟くたびに脳裏をよぎる景色がもっと見たい。


「リドル、リドルっ」


 よく知る人の不満そうな顔。意地の悪い顔。怒った顔。笑った顔。


「ぅ・・・っ」

 これまでにないほどの頭痛が襲ってきて頭を押さえる。

 それでも懲りずに私の唇はたった三文字を発し続けていた。

 痛い痛い痛い痛い。

 歯を食いしばって、絞り出すようにもう一度名前を呟いた。


「!!」


 まるで今それを体験しているかのようだった。体に慣れた温もりと、脳に沁みこむ「●●」と呼ぶ声。


 まだ見ていたいそれを突き飛ばすように頭を貫いた痛み。

「あああああっ!!」

 体から力が抜け、握っていた誰かのローブが指からすり抜ける。膝から力が抜けた。


 膝が床に着く寸前、温かい手に支えられてソファーに座らされた。
 痛くてなのか悲しくてなのか、よくわからず、それでも流れ続ける涙をそのままに温もりの主を辿った。幻想の中で見たのは彼だった。

 けれど肩を揺すりながら呼ぶ声は老成していて、はっきりしてくる意識の中で徐々に彼は顔を変え、最終的に捉えたのは学生時代の恩師。



「落ち着いて、息を吸って。さあ、この水をお飲み」

 いやいやと首を振ったけれど、無理矢理に唇にグラスを寄せられて、ほんのちょっとだけ口に含んだ。

 ちゃんとそれを飲み込むのを見た先生は深い色をした息をついて、グラスをテーブルに置いた。
 ただの水なのに驚くくらい気持ちが落ち着いた。


 それでもなお続く頭痛に眉をしかめる。


「・・・無理矢理思い出そうとしたら、心が壊れてしまう」 先生は優しく私の頭を撫でて、また向かいの席に腰を下ろした。顔は、真剣だ。肘をつき、組んだ指に顎を乗せて厳かに話し始める。



「忘却術。そう、ミス××。おぬしは忘却術をかけられておる」

 忘却術?誰がそんな・・・。
 聞き返す前に先生は答えを言った。

「トム・リドル。かつて、●●・××と恋仲であったトム・リドル」

「私、と・・・?」

 驚愕。でも、心のどこかでは変に納得していた。

 先生は一度ちらりと私の表情を伺い、「ここからはわしの想像じゃが・・・」と前置きをしてゆっくりと話し始めた。


 私とトム・リドルは驚くほど仲のよい恋人同士であったと。しかし彼は私に対して大きな秘密を抱えていたと。


「トムは、マグルを殲滅するつもりじゃ」


 躊躇いの混じった声。

「今はまだその名は聞かぬが、いつかきっと魔法界・・・否、全世界を闇に包もうとし始めるじゃろう」

 なぜそれをダンブルドア先生が知っているのか。思わず口を挟むと先生はにこりと笑って、勘だと答えた。



「――」

 言葉も出ない。

 マグルを殲滅?そんなことがたった一人の人間にできると言うのか。それがたとえホグワーツ一の秀才であったとしても、だ。ましてや、今の私の中の彼は、無理矢理掘り起こされた昔の自分の記憶の断片と、穏やかそうな彼のイメージだけでしか存在していない。安易にそうなんですかとは頷けない。


 もう話したくないと言いたげに口を閉ざしてしまったダンブルドア先生。



「――先生」


 もし先生の言うとおり、私のために彼が私の中の彼の記憶を埋めてしまったのだとしたら。もし先生の言うとおり、彼が忘却呪文をかける際に躊躇して、私が自力で思い出そうとできるほど脆いものになってしまったのだとしたら。


「先生。忘却呪文は、強力な魔法使いなら暴くことが可能だと聞いたことがあります」

 私がこれから言うことを察したのだろう。伏せられていた瞳が私を捉えた。


「思い出させてください」

「・・・・・・」


 もろくなっている魔法なら、通常より簡単に暴けるはず。
 膝の上で握った拳に力をこめる。


「お願いします」



 断られると思ってた。


「・・・自分のことは、知る権利がある」

 心臓が跳ねる。

「じゃあ・・・!」

「ただし」

 挑むような青い目に、思わず笑もうとした顔をひきしめる。



「その後はおぬしの問題じゃ。もし、ミス××がトムに従うというのなら、わしは全力でおぬしに立ち向かわねばならない」

「・・・」


 わからない。

 今は闇の魔術になど染まりたくないと思っているけれど、もしも記憶を取り戻したら・・・。


 ぎゅっと唇を引き締め、先生の目を見つめ返す。


「はい」



 最後にもう一度先生のため息を聞いて、懐から杖を取り出すのを確認してから、ゆっくりと目を閉じた。






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