「別れよう」 それは唐突だった。 リドルが部屋に来てほしいと言うから行くと、いつもどおり部屋にはリドル以外いなくて、リドルは寝るでもなくベッドに寝そべって。違うことといえば、珍しく、本を傍らに置いてないことくらいだった。 今日は嫌なことがたくさんあったからリドルに話を聞いてほしかった。主に魔法薬学の授業でありえないくらいの爆発を起こしたことを、リドルはその場にいたから大体はわかってると思うけど、もっと詳しく言い訳をしたかった。彼はバカだな、なんて言いながら、慰めてくれるだろうか。そんな期待を胸に抱いていた。 「リドル」 リドルが寝ているベッドの横に立ち、来たよ、と意味を含ませて彼の名を呼ぶと、リドルは少し間を置いてごそごそと起き上がった。顔を俯けてベッドの淵に座るリドル。 ここで、少しだけ違和感を感じた。 「リドル・・・?」 「・・・」 顔をのぞきこむように語りかけるけど、無反応。 これは違和感というより、嫌な予感。背中に走る緊張。 顔を上げた彼はまたどうせ悪戯な笑みを浮かべてるに決まってる。そうであってほしい。 怖くなってもう一度名前を呼ぼうと唇を薄く開くと、それより先に彼が声を聞いた。 「別れよう」 「・・・・・え?」 突然の言葉。 わかれる?なにが? もちろん私の頭は理解することなんてできないで、眉を少ししかめるだけに終わった。 別れよう?どうしてリドルがそんなこという必要があるの?おとといだって、耳を赤くしながら好きだって言ってくれたじゃん。これは彼のいつものタチの悪い冗談に決まってる。 「も、もう。リドルったらそんな・・・」 そんな冗談やめてよ!そういう前に彼が少しだけ声を張り上げる。 「冗談じゃないよ。●●。別れよう」 はっきりと、繰り返された言葉。 ザクリ、と心臓が刻まれるような痛み。 全身の血が抜けきってしまったんじゃないのかってほど、体が冷えた。握る指先にも、ひざにも、力が入らない。 「どうして・・・」 絞り出した声は情けないくらいガタガタで、それを合図に涙がじわりと滲んだ。 別れたくない。別れたくない。まだ一緒にいたい。 言葉にしたくてもできない思い。彼に届け、彼に届けと念じた。 「『どうして』?」 でもリドルの態度は辛辣で、鼻でふんと笑われる。 じっと、深い黒の瞳に見据えられ、身動きが取れなくなる。 緩やかな動作で立ち上がった彼は、高い位置から、私を蔑むように見下した。 「もしかして君、本当に僕が君のこと好きだって、そう思ってたの?」 「り、リドル・・・?」 心拍数が最高まで上がる。 嘘だ。嘘だ。聞きたくない。 ガタガタと震える手で耳を塞ごうとする。けれどリドルが私の腕を掴んでそれを阻んだ。耳元に唇を寄せて笑う。 「君なんて最初から、死んでも、痛くも痒くもない存在だよ」 「嘘だ」 それは私の願望。 「嘘なものか」 いつの間にかとてつもない力でぎりぎりと掴んでいたリドルはその手をはなして、制服の裾に手を伸ばして棒っきれを取り出し、おもむろに、その先を私に向けた。 「それなら今、僕が殺してやろうか」 彼が言い終わるか言い終わらないか、私の手は素早く動いて、彼の頬をひっぱたいていた。 パン、と乾いた音が、静かな部屋に木霊する。 「―――」 涙が止まらない。 彼をぼろくそに貶したくて、でも頭は真っ白で、思い浮かぶ言葉は何もない。ただただ無意識のうちに、力いっぱいに叫んでた。 「嘘つき!!!」 今まで一度も、彼に杖を向けられたことはなかった。それは大切にされてる証拠だと思ってたのに。 彼に背を向け、叩かれた衝撃で呆然としているリドルなどには目もくれず、部屋から逃げ出した。 何もかもが嫌だ。 唇を噛んで、止め処なく流れる涙を我慢しようとむだな努力をしながら、自分の部屋に必死に走った。 「ハァ・・・ハァ・・・」 部屋の扉にもたれかかって、乱れた息を整える。 部屋には誰もいない。 ――よかった。 私は自分のベッドに飛び込んで、大声を上げて泣いた。なりふり構わず。子どものように。 もう、泣いたときに抱きしめて慰めてくれる人はいない。 「リドル・・・・・・リドル・・・リドルっ!!」 名前を呼んでも、返事をしてくれる人はいない。 好きだと言ったのは誰だ。抱きしめたのは誰だ。キスをしたのは誰だ。嘘を吐くなといったのは誰だ。 私は大好きだった。彼が本気じゃなくても、私は本気だった。 「・・・・っ」 あいつも私も、とんだ大バカ野郎だ。 ●●がいなくなった部屋。もう彼女は、二度とここには来ない。 「―――」 指からするりと杖が落ちて床とぶつかり、虚しい音を響かせた。 杖を握っていたその手でぐしゃりと前髪を握り、唇を噛んだ。 「くそ・・・っ」 その辺にあった机を力任せに蹴り上げれば、インクの蓋が飛んで床に黒い染みをつくり、羊皮紙が無造作に散らばった。 慣れない暴言を吐いても、慣れない暴力を振るっても、このぶつけどころのない怒りはどうすることもできない。 片付けなんてしてる気分じゃない。インクや羊皮紙を踏み散らかしながら進み、ベッドに倒れこんだ。 ベッドの天井を睨んでも、見えるのは●●の泣き顔だけ。 今ごろ、彼女は大泣きしてるだろうか。・・・もしかしたら、『トム・リドルは大バカ野郎だ』って言いふらしてるかもな。 「・・・」 そんなわけないのはわかってる。 殴られた頬。この程度で許されるはずがない。全身の神経が麻痺したように痛みすら残っていない頬に触れても、どうしようもない想いばかりが溢れた。 ごめん。●●、ごめん。こうするしかなかった。 前々から決めてたこと。 けど、気持ちが最大まで膨れ上がっていた今、すぐに捨てることなんてできない。 ●●が死んでも痛くも痒くもないだって?バカげてる。どれだけ僕が彼女を大切にしてきた。どうして彼女は僕の、そんな口からでまかせを簡単に信じた。・・・まあそのほうがよかったのだけど。 ・・・もう見れない。彼女の怒った顔も、彼女の泣いた顔も、彼女の困った顔も、彼女の笑った顔も。 せめて、最後に見るのは笑顔がよかった。 「●●・・・っ」 僕も彼女も、とんだ大バカ野郎だ。 それから私たちは一つの言葉も交わさないまま、卒業した。 |