授業なんかかったるくて、適当に腹が痛いと言って一日中医務室でごろごろしてた。

 そろそろ寮に戻ろうかと考えていると、どこか廊下のむこうからバタバタと妙に騒々しい足音。マダム・ポンフリーがぴくりと動いてイライラしたような視線を扉越しの人間に向けた。


 俺も寝返りを打って扉のほうを見る。数秒の間もなく、医務室のドアが張り倒されん勢いで開かれた。

「は?」

 飛び込んできた奴を見て思わず声が漏れた。マダムが怒鳴ろうと開きかけた口を、そのままぽかんとさせるのを俺は見たぞ。


 俺らには絶対見せないほど焦ったリドルの腕には、顔を真っ青にした●●。あれ、こいつら喧嘩してたんじゃ・・・まさかリドルの奴、殺っちまったのか?

 ここで俺は、なんとなく面白そうなこの光景を最後まで見守ることにした。


「・・・ミスター・リドル。何の騒ぎですか?」

 訝しげに眉をひそめるマダム・ポンフリー。そんな表情をするのも当然だろう。あの『優等生で真面目な』トム・リドルがこんなに騒々しい音を立てていたのだから。

 リドルはマダムにずんずん近づき、腕の中の●●を見せた。

「●●が、倒れて・・・!」

 マダムはリドルと●●の顔を交互に見比べ、最後に●●に目を留めた。

「・・・とにかく、そこのベッドに寝かせてください」

 マダムが俺の斜め向かいのベッドを指差し、リドルはまだ慌てながら、しかし酷く優しくそこに彼女を寝かせた。


 マダムが目をぱちくりさせているのはおそらく、「噂などで『トム・リドルと●●・××は付き合っている』というのは聞いていたが、実際それを裏付けるような光景を見たのがはじめてだった」という理由からだろう。俺だって、いつも遠くからしかこの二人を見ていなかったから(リドルが近づくなと脅してきた)興味は十二分にある。

 マダムが●●の様子を診ている間、リドルはそわそわとベッドの周りをうろうろとしていた。そのようすがあまりにもいつもの『ヴォルデモート卿』の姿と違いすぎて、思わず吹き出してしまった。結構音が響いて、しまったと思ったけれどリドルは今はそれどころじゃないらしい。



「軽い栄養失調です」

 倒れるほど食べてないなんて信じられないわ!と嘆くマダム・ポンフリーをよそに、リドルはほっと顔をほころばせた。

「ミスター・リドル。ここまでご苦労様でした。あなたはそろそろ寮にお戻りなさい」

「え」

 完全に居座るつもりだったらしい。リドルは椅子を引き出そうとしていた手をピタリと止めた。


「・・・」

「・・・」


 しばしの、マダムとリドルの無言の見つめあい。

「あの・・・マダム・ポンフリー」

「だめです」


 リドルが何を頼み込んでくるのかを察知したマダムは、即刻却下を下した。何この面白い光景。後で他のやつらにも教えてやろう。


「病人以外の人がいては、他の病人もゆっくりと休めません」

 そこばかりは譲れない、とマダムが唇をきゅっと結んだ。

「僕絶対に騒いだりしません」

 しかしリドルも食い下がる。

「だめです」

「今夜だけ」

「・・・だめです」

「お願いします。心配なんです」


 あ、このパターンは。
 そう思ったとき、マダムは少しの沈黙の後に。深いため息をついた。


「・・・ミスター・リドル。あなただから、ですよ」

 手に負えない、と言わんばかりに眉間を押さえ、マダムはリドルに背を向けた。


 これだからあの男は怖い。自分が『欲しい』とか『したい』とか思ったものは全部、どうやってでも手に入れてしまうんだから。しかも彼は日頃の素行が良いじゃすまされないほどの真面目ちゃんだから、他の先生の信頼も勝ち得ているのも要因だろう。

「ありがとうございます」


 マダムの背中に礼を言うリドルの口元が勝利に歪んでいるところも、俺は見た。おー、怖い。


 しかしそれもほんの一瞬で、リドルは●●の姿を目に映すと、憂いを帯びた表情を浮かべた。

 椅子を引き出し、腰を落ち着ける。


 何をするでもなく彼女の顔をじっと見、何を想っているのか、小さく息を吐いた。


「・・・・」

 と、ここまで盗み見たはいいけど、これやばくね?俺逃げ場なくね?今変な動きすれば絶対気づかれるよ。盗み見してたのばれて殺される。

 そんな風に俺が冷や汗だらだら流していると、視線の先の●●がもぞりと動いた。見ないほうがいいとわかっていてもついつい好奇心で注視してしまう。

 俺よりもいい反応をしたのはもちろんリドル。体を前に傾けて●●の顔をのぞきこむ。


 ここからじゃ●●の顔は見えないけど、どうやら彼女が目を開けたようだ。その証拠にリドルが少しだけ表情を和らげた。彼の手が●●の顔がある位置に置かれる。

 蚊の鳴くような●●の声。それに合わせるようにリドルが小さく囁く。数言言葉を交わして、会話が終わったのかリドルが彼女の手の甲に小さくキスをすると、弱々しい力でそれを振り払った●●はその手でリドルの頭をバシッと叩いた。そんなことができるのは●●くらいだよ。


 また眠ってしまったのか、●●は大人しくなった。


 リドルは先ほど口付けた●●の手を握ったままだった。少しの間でも目を開けてくれたことに安心したのだろう、数分前よりずっと柔らかい表情を浮かべている。


 ・・・ここまで過保護だったとはちょっと引くぜヴォルデモートさん。そう思う反面、彼のあまりに人間らしい面に動揺しているのも事実だった。


 こんな風に複雑な気持ちになるのも、俺が彼の秘密を抱えるものの一人だから。●●はきっとリドルからあのことを聞かされていないのだろう。もちろん俺たちも固く口止めをされてる。きっと、彼はこれからも●●にあのことを告げるつもりは毛頭ないのだろう。



 どうするのだろう、とは思う。

 まさか、リドルがあの野望を胸に潜めながら、大切な人を抱えることになるとは思いもしなかった。

 見るからにリドルは彼女に惚れこんでいるし、●●のほうもまた然り。

 ●●のほうからの告白だとは聞いているけど、どうしてリドルはそれを受けてしまったのか。はじめは、いつものただの気まぐれか、女除けか、そんなもんだと思っていたから、リドルが本気だと聞いて俺らは驚きに驚いた。それと同時に、あまりに軽率な行動ではないかと、密かに俺らはリドルがいないとこで話したりしていた。


 ・・・まあ、俺たちがどう文句を言ったところでリドルが何かしてくれるわけではない。おそらく、彼にも何か算段があるんだろう。おそらく。

 変わらず、優しく光るリドルの瞳を盗み見て、俺は小さくため息をついた。


 見るのはやめよう。


 こっそりと寝返りを打って彼らに背を向け、そっと瞼を閉じた。