あのエイプリルフールから約二週間。 私は現在進行形で彼からの罰を受けている。 椅子に腰掛けて、憎らしいほど優雅に本を広げるリドル。 さっきから必死にリドルたちの部屋の片づけをさせられてる私には目もくれずに、彼は言い放った。 「●●。この本の次の巻借りてきて」 手を止めて彼を見るけどやっぱり彼は目も合わせない。 「・・・・・自分で行けば?」 「え?」 「行ってきます」 ああもう。 乱暴に本を机に置いてリドルがいる部屋から出た。いってらっしゃいというムカつく声を掻き消すようにドアを強く閉めるのも忘れずに なんで私がこんな目に。廊下をずんずんと進みながら、あの日のことを心底悔いた。 四月一日のあの日。 リドルの手を借りずに何とか立ち上がったはいいものの、瞬く間に壁際まで追い詰められて逃げ場なし。彼は前に立ちはだかって威圧的な笑顔を浮かべてるだけだけど、逃げたら殺す的なオーラをむんむん放っていた。こんな状況で逃げられる人がいるのなら、ぜひ手ほどき願いたいです。 恐ろしくて泣きたい気持ちでいるのを、追い詰めるかのように畳み掛けてくる。 「今なら襲われても、●●は文句言えないよね」 リドルを必死に宥めてそれだけは許してもらった。 「じゃあ●●には何をしてもらおうかな」 恐怖でがちがちになってる私の前でわざとらしく思案するリドル。 お願いだから常識はずれなことは言い出さないでくれ、と願いをかけながらリドルを見上げていると、ふと彼と目が合う。お互いに何も言わずにじっと見つめていると、リドルが急に唇の端を上げて、にやりと笑った。ええもう『俺スリザリン』と語ってるかのような笑みでした。 「あんまり酷いのはかわいそうだから・・・そうだな・・・。●●には明日から一ヶ月間、僕の言うことには逆らわないでいてもらおうかな」 「・・・・」 どこが酷じゃないんですか。 「一ヶ月って、長・・・」 「僕が心に負った傷は一ヶ月では治らないよ」 何が心の傷だ。鋼の心臓の癖に。 廊下をずんずんと進んで、図書館の前までやってきた。戸を引こうとしてはたと気づく。 「・・・」 本のタイトルがわからない。 自分のこんな失態と、おそらくわざと教えなかったリドルに腹が立った。 このやろう・・・っ。 にぎっていたドアノブを引きちぎりたい衝動に駆られたけど、さっさとこの仕事を終わらせないとリドルがうるさい。 大人しく手をはなして、タイトルを聞きに部屋に戻った。 まだむかっ腹の延長で、リドルの部屋にどすどすと入り込む。 「早かったね」 さっき最後に見たのと同じ体勢だったリドルは感心したように顔をあげたが、私が何も持っていないことに気づき、訝しげに私の顔を見た。 「タイトル」 「え?」 「だから本のタイトル!」 どうしてこんなにイラつくのか。・・・そりゃ、二週間も文句も言えない状態で命令され続けてるからだろう。 でもさすがに、言葉と同時に足をダンッと鳴らしてしまったのはやばいと思った。 ぱちくりとしているリドルの目を、内心冷や汗をかきながらじっと見つめ返す。彼がふふ、と笑って本を傍らに置いたときには、いつその手が杖に伸びるかひやひやした。 「●●。おいで」 軽く両手を広げて待っているリドル。私にはそれが地獄からおいでおいでをしてる鬼にしか見えない。でも逃げるのも怖い。 逃げることも寄ることもできずおろおろとする。 なかなか動かない私が、何かほかの事で思い悩んでいると勘違いしたのか、彼は一度、置いた本を一瞥した。 「ああ、これなら気にしなくて大丈夫だよ。この本はシリーズじゃないから。娯楽物でもないしね」 「・・・・・・」 つまりお前は、私に、無い本を取りに行かせたのか。 それに、悪いのは私だけじゃないのに、共犯だった人たちの範囲まで掃除をさせられて。 頬を引きつらせて、リドルに軽蔑の視線を向けるけど彼は全く知らないフリで、今度はちょいちょいと手招きをしていた。 もう行かない。私は絶対行かないぞ。こんな意地の悪いことばっかりしてくる人の傍になんて・・・。 「早く来いよ」 「はい」 しゃきっと背筋を伸ばしてきびきびと、彼が手を伸ばせば届く範囲まで近づくとリドルはおかしそうに笑った。バカにされてる。絶対バカにされてる。 むっとした表情をしてそっぽを向いてやった。 「・・・本当に君は」 困ったような声を出して笑ったリドルは、私に後ろを向くように促した。なるようになれ精神でリドルに背を向けると、すぐに腰に手が回ってきてぐいっと引っ張られた。 「う、わ」 ボスッ、と彼の膝の上にしりもちをつく。すぐさま立ち上がろうとしたけど、腰にぎゅっと腕が巻きついてきててどうしようもなかった。 しばらくの間リドルの腕を引き剥がそうと奮闘したけど、結局は諦めた。 足がぶらぶらと浮いてるのが落ち着かない。 大人しくなった私に満足したのか、リドルは息を漏らすように笑って、私の肩に顎を乗せてきた。 「●●は柔らかいね」 「変態」 本気ではないけど、またもがくフリをすると、彼も私の髪を梳きながら軽い調子でごめんごめんと謝ってきた。 リドルが髪を梳いてくるときは機嫌がいいとき。どうやら私がさっきいろいろやらかしたことは怒ってないみたいだ。 私もそれをされるのが好きだから大人しくした。好きだとか言ったらまたからかってきそうだから言わないけど。 しばらくの間、お互いに何も言わない、けれど心地よい時間が流れた。それが終わったのはリドルが梳いていた髪を私の耳にかけたとき。 終わりか、なんて少々残念に思っていると、首筋に彼の息がかかり、間もなくそこに唇が触れた。 「っ」 体を震わせるとリドルは這わせていた唇を離し、少しの間の後、次は耳に寄せた。 密着した状態で耳に呼吸を感じ、心拍数が徐々に高まっていく。 「●●・・・」 「ぅ・・・」 囁かれただけでつい息が漏れて、慌てて自分の手で口を覆った。なんとなくお腹に回ってる腕の力が強くなった気がした。 「本当に・・・。本当に君は、かわいいね」 ボッと顔が熱くなったのが自分でもわかった。リドルは普段こんなこと言わないから耐性なんて皆無。 言われた言葉が頭の中で反芻される度に体中が熱くなった。 リドルには気づかれたくない、リドルには気づかれたくない。顔を俯けて髪に隠れようとすると、また、リドルが耳元で笑った。 「真っ赤」 ばれてら。 「う、るさいっ」 どうしてわざわざ言うのかな!もう嫌だ! ばたばたと暴れるけどやっぱりリドルは力を緩めない。 恥ずかしすぎてじわりと涙が出てきた。 「・・・リドルのバカ」 「なんとでもどうぞ」 本当に、いつもよりも機嫌がいいのが腹立つ。 顔の熱もまだまだ引かないし、こうなったら私も積極的にいくことにする。 リドルの腕の中で体の向きを変えて横を向くように座ると、不思議そうな表情をしているリドルの顔を見ないようにしながら、彼の首に腕を回してそのまま顔を埋めた。 「●●・・・?」 慣れない行動だけど、こういうときじゃないとほとんど自分からは触れられない。ぎゅっと私が力を込めると、なぜか彼の腕が迷うように緩くなった。 「・・・●●。あんまりそういうことされると・・」 変に言葉を区切ったリドル。私が特に反応もせずにじっとしていると、少しの間の後に「やっぱり何でもないよ」と苦笑した。 リドルもまた、私の首筋に顔を埋めて、それっきり何も喋らなくなった。 つい十五分前まであんなにイライラしてたとは思えないほどゆるゆるとした雰囲気で、鈍り始めた思考を漂わせた。 この二週間酷いものだったけど、リドルはやっぱり程度があった。たまにさっきみたいな、ただの嫌がらせみたいなものも受けたけど、その後は決まって優しい態度を取ってくれたし。 卒業するまでずっと隠し通そうとしていたことが皆にばれてしまったのはきつかったけど、今のところ問題は特に・・・。 あれ? 何かおかしな引っ掛かりを感じて、埋めていた顔をあげた。リドルも何事かとこちらを見る。 私とリドルは約束をした。 嘘をつかない。このことを条件に、リドルが必要以上に、ふらふらと私達の関係を言いふらさない、という約束。 それを私がエイプリルフールで悪乗りをし、破ってしまったせいで今日まで不条理な罰を受けてきた。 でも。でもだよ。 「ねえリドル」 「なに?」 「あの約束って、もう無かったことになるんじゃないの?」 いくらリドルが直接言いふらしたというわけでなくても、私が提示した約束の内容が無効になったってことは、リドルの約束も無効になるのがフェアじゃないの? そう言うつもりだった。 私の、どうみても言葉足らずの台詞。でもリドルは理解したようで、一瞬表情が固まった。 落ち着いた怒りがまたふつふつと湧き起こってくる。 ・・・こいつ・・・気づいてて知らないフリしてやがったな。 「あ、ああ。・・・気づいたんだ」 怒っていいよね?これ怒っていいタイミングだよ絶対 リドルが言い終えるか言い終えないか、彼の頬を両方からつまんで思いっきり引っ張った。 「どこまで底意地悪いのよあんたは!!ずっと気づいてて命令してたわけ!?」 「はあ、ほうはるはは」 「うるさい!」 「いへへへへ」 こんな状況でも尚、余裕な態度が癪に障る。 ギブギブと私の手をぽんぽんと叩いてくるリドルに応えたつもりじゃないけど、頬をつまんでいた手を離して彼の膝の上から飛び降りた。 少しだけリドルと距離を置いて、赤くなった頬をさすっているリドルを振り返る。 「ひどいなあ」 ひどいのはどっちだ。 もうだめ。今回はさすがにだめだ。 彼と目が合う直前に背中を向ける。どすどすと床を踏みしめ、たどりついたドアノブを握った。 「どこ行くの?」 靴が鳴って、彼が椅子から降りたことを察知する。 「自分の部屋」 冷たく答えるとリドルは小さく声を漏らして笑った。それすらも今は激しく怒りを掻き立てられる。 「ごめん。僕が悪かったよ。ちょっとふざけすぎた」 こつこつと寄ってくる足音。 私は手が白くなるほどドアノブを強く握っていた。声を絞り出す。 「・・・いいよ、別に」 「そう」 真後ろまで迫ったリドルはまた私のお腹に手を回して、髪に鼻を埋めた。 「―――」 信じられないくらい気持ちが冷めてる。何も、何も感じない。ただふつふつと煮立つ苛立ちだけ。 「――でも、しばらくはリドルの顔見たくない」 「●●・・・?」 リドルの腕を無理矢理引き剥がしてドアを少し開けた。 こんなこと言うのはすごく残酷だ。わかってても止まらなかった。 「今、リドルのこと大嫌い」 彼の反応なんて見てる暇なんてない。 すぐさまドアをすべて押し開き体を滑り込ませて外に出た。彼が何か言う前にさっさとドアを閉めてしまう。 「・・・」 むかつくむかつくむかつくむかつく。 じわりと涙が滲んだ。何の涙かわからない。 「おい、あいつ・・」 中途半端な時間に出てしまったのが運の尽きか、男子寮のど真ん中で、しかも今、嫌でも噂の渦中である私がリドルの部屋の前で佇んでいるのを大勢の生徒が興味深げに見ていた。 何を弁解することもない。 私は下を向いたままふらふらと男子寮を出て、自分の部屋に戻った。 部屋についた途端に涙が止まらなくなって、夜遅くまで友人達に泣きついた。 |