私が彼に惚れてしまったのは今から二年ほど前。 最初はごく些細なことだった。 今年もまた九月がやってきて、私は三年生になる。 どうやら吉年のようで朝からいいことだらけだ。例えば、いつもよりお小遣いをたくさん貰えたり、マグルのお菓子を買ったらおまけを貰えたり。今も、友人の中途半端な人数のおかげではぶれてしまった私は、コンパートメントを一人で占領できてほくほく状態。 カエルチョコレートやら百味ビーンズを買えるだけ買って、ホグワーツに着くまでの間は思う存分食べて過ごそうと考えていた、そんなとき。 コツコツ、と控えめにコンパートメントのドアが叩かれた。 ちらりとそちらを見ると、ガラスの向こうにひとつの人影。よく見ていないがどうやら影からして男のようだ。 せっかく独り占めできると思ったのにな・・・と不服に感じるけれど、コンパートメントの数も限られているので仕方のないことなのだろう。 「どうぞー」 百味ビーンズの袋に手を突っ込みながら気抜けに返事をすると、がたがたと音を立てながら扉が開かれた。 「ごめん、相席してもいいかな。他にあいてなくって」 最初からそのつもりだったんでしょ、とひねくれつつ、ふてくされながら頷いた。誰が見ても拗ねているとわかるような反応をしたのに、相手はまったく気づいていないようで愛想よく「ありがとう」と言い私の向かいの席に座った。 相手ががたがたと荷物を落ち着く位置に整えているとき、ようやく相手の顔を見てやろうという考えに思い立ち、カエルチョコの箱を空けながら顔をあげた。 「・・・」 荷物を気にかけているその横顔を見たとたんに、私の思考は完全にストップ。本能的に冷や汗がだらだらと流れてきているのがわかった。 私と相席しているその人。最強にして天才、顔良し性格良し、半数以上の女の子が夢中になっているという噂の、トム・リドルであった。 私の刺すような視線に気づいた彼は顔をあげ、目が合うと魅力的な微笑を浮かべた。 手の中のカエルチョコがもぞもぞと動き、ぽとりと床に落ちる。 「逃げるよ」 ほっそりとした白い指で私の足元を指差してくるけど、もうそれどころではない。 とんでもないことをしてしまった。こんなことになるならコンパートメントに鍵でもかけて、誰が来ても聞こえないフリをするべきだった。 なんであろう、私はこの人があまり好きではない。あ、いや、いい人なのはわかるのだけど。頭もよくて筆記も実技もいつもトップ。箒の乗りもすごくうまいし、なにをやっても、そつなくどころか完璧にやってのける。 加えてさっき言ったとおり、顔も性格もいいから大勢の女の子の憧れの的だった。普通なら同姓から理由もない嫉妬を受けるはずだけど、なぜだか同姓の人気も得ている。同寮、他寮関係無しに。 完璧、完璧、完璧。怖いくらい。 ていうか、正直言って私自身が嫉妬してるってのがあるんだけどね。 平均、並、もしくは少し下な私。完璧な彼に憧れる思いはあったけど、周りの子みたいにキャーキャー言うのはプライドをくじかれると言うか・・・。 そんなこんなで、私はあまり彼とは関わりを持とうとしなかった。・・・まあ持とうとしてもそうそううまくいくようなことでもないけれど。 それが今回、こんなひょんなことで。 少し開けていた窓から飛び去ってしまったカエルチョコを最後まで見送った彼は、すぐに興味がなくなったようにまた私のほうを見た。 我に返った私はとっさに視線をそらして、横に置いていた百味ビーンズの袋を握り取った。 こんなときは食べて気を紛らわすしかない。 わざとガサガサと大きな音を立てながらどの色のビーンズにしようか悩んでいると、妙に向かいからの視線を感じる。 「・・・」 おそるおそる顔をあげると、やっぱり目が合った。その目が弧を描く寸前に首を不自然に回して見なかったことにし、ごまかしついでに百味ビーンズの袋を突き出した。 「・・・どうぞ」 「いいの?」 こくこくと頷くと、ローブがすれる音がして、袋に手がつっこまれる感触がした。 彼は悩まずに一粒摘み取り、しげしげとそれを眺めた。 回した首を少しだけ傾いでそっちを見ると、すぐに気づいた彼も黒の目を向けてきた。 目をそらす前ににこりと微笑まれた。とってもきれいだった。 「ありがとう」 不自然に跳ねた心臓。 「べ・・別に・・・・」 ああ・・・これだから彼に関わるのは嫌だったんだ。 「変な菓子があるものだね」 絶対に、好きになってしまうから。 ぽい、とそれを口に放り込んだ彼。 もぐもぐと数度顎を動かしていると、徐々にその動きが鈍くなり形のいい眉がぎゅっと寄せられていった。 「まず」 その日から、私は気がつけば彼のことを目で追っていた。 周りに、リドルに想いを寄せていることを知られたくないからこっそりと。 見てるだけでよかった。もともと手の届かない居場所にいる高嶺の花。あの日は本当に運が良すぎたんだ。(とりかたによっては最悪な日でもあるけど) 告白は、しない。負け戦なんてするような性格でもない私は、正直さっさと彼のことを忘れたかった。でも頭から追い出そうとすればするほど、彼のことを考えてしまう時間が多くなって、それをまた忘れようとして・・・の悪循環だった。その悪循環のスパイラルから逃げ出せず半年、ずるずると引きずっていた。 「やっぱりかっこいいよねぇ、トム君」 物憂い気にため息をつく友人らに適当に相槌を打つ。遠慮無しに彼に視線を送っている彼女達に倣いたい気持ちがあるけど、どうしてもプライドが許さない。 その友人らの一人が思い出したように手をぽんとうった。 「そういえば、アノ子、おとといトム君に告白したらしいよ」 「え!?どの子!?」 ぴくり。思わず羽ペンを握る指に力が入る。 「ほら、アノ子」 「本当に?すごく美人な子じゃん」 盛り上がる周りの声。見ちゃダメだ、見ちゃダメだと念じていたのに、どうしても誘惑に負けてしまった顔をあげてしまった。 友人の一人がこっそりと指差していたのは、レイブンクロー生のすっごくかわいい子だった。肌も白く、髪も淡い色で儚げで。 これまで彼がだれかと付き合ってるという噂は一度たりとも聞いたことはなかったが、さすがにあの子の告白は受けたであろう。あんな子に告白されたら私でもオーケーしちゃうよ。 なんだか妙に泣きたくなって、また意識を羽ペンと羊皮紙に注目させようとした。それでも友人達の会話に傾聴してしまう自分に心底嫌気が差した。 「さすがにあれはオーケーでしょ」 美男美女!と盛り上がる友人達はやはりミーハーなだけで、私みたいに本気になっていることはなかったのだろう。自分ばっかりバカみたいだ。 でも情報源である友人が声を落として、皆に頭を寄せるように手で合図をした。無視を努めたけど、一人に首根っこを掴まれて無理矢理聞かされる体勢になった。ちょっとだけありがたかった。 全員が真剣に顔を寄せ合ってるのを確認して、もったいぶりながら彼女は口を開く。 「・・・実は、断ったらしいよ」 とたんにざわめく友人達。 自分も驚くほど心臓が歓喜に震えていた。 でもそれもすぐに打ちのめされることになる。 ただし、と続ける彼女。 「その告白の断り方。――『他に好きな子がいるんだ。だから君の気持ちには応えられない』」 まったく似ていない、友人の彼の物まねに突っ込みを入れる気持ちの余裕なんてなかった。 がらがらと音を立てて崩れる幸福感。その発言が嘘だとは考えにくい。 だって今までの彼の断り方は『今は恋人を作るような気分じゃない』とか、『君のことを恋愛対象として見れない』とか、結構はっきりと自分の意見を言うようなものだったから。 それが急にこんな言い方をするなんて・・・事実としか。 ぽっかりとあいた穴にどこまでも落ちていってしまうような感覚に飲み込まれそうになった。 自分なわけがない。彼の意中の相手が自分になるほど、私たちは会話も目も合わせていない。もしかしたら彼は半年前、コンパートメントで私と相席したこと自体忘れているかもしれない。 自分なわけがない、自分なわけがない・・・でももしかしたら・・・。 愚かな自分。そんなわけない。 ほぼ無意識に視線を漂わせて、彼がさっきまでいたところを見やった。 その場所は空で、まるで私に諦めろと言ってきているかのようだった。 だから、その一年半後に血迷って告白してしまった私の想いを彼が受け止めてくれたなんて信じられなかった。 「・・・い、いま・・なんて・・・」 ばくばくと心臓が早鐘のように鳴って、今起きた事実をどうにか飲み干そうとしていた。 目の前に立つ彼は二年前より背が随分と高くなり、顔立ちも余計にはっきりして彼の長所ばかりを引き立たせていた。 「だから、僕も好きだって言ったんだ」 「ちょ!ちょっと待って!!」 私は蠱惑的な瞳から無理矢理目を離し、頭を抱えて壁に手を突いた。 これは完全に誤算だった。まさか・・いや、これはきっと夢で・・・はっ!まさか、私をからかってるのか・・・! ぐちゃぐちゃの頭の中は、自分が今何を考えているのかさえ教えてくれなかった。 友人らにそそのかされて(四年生になってすぐ彼を好いていることがばれた)、ほぼ罰ゲームみたいな状況で告白させられた結果がこれだよ! 「ねえ」 「うわ!」 すぐ後ろからの声に大げさに声を上げてしまった。 慌てて振り向くと訝しげな顔をした彼が真後ろに立っていた。 「・・・じゃあ今日から僕たちは恋人どうしってわけでいいのかな?」 「え!?あ、そのっ」 顔がひどく熱くなって、視界がちかちかしてきた。 ダメダメダメダメ。いいけどダメ。心臓が持たない。早死にする。 恥ずかしいくらいあたふたしてしまって、ついに彼にくすりと笑われてしまった。 ああ・・・恥ずかしい。嬉しい。じわりと涙が出てきた。 「いいよね、●●」 両手がやんわりと包まれて、不思議と気持ちが落ち着いてくる。 まだまだ赤い顔を俯けて私は小さく頷いた。 片方の手はまだ私の手を包んだまま、もう片方の手が頭の後ろに回される。ぎくりと体が震えて、俯いたまま目を閉じた。 そうしていると不意に、頭に彼がキスをしてきた。そのまま顔を髪に埋めてきて、ついに体全体を抱きすくめられる。 がっちがちな私など気にもとめず、彼はじっとそうしていた。 「―――ん」 ふと、髪に埋まった彼の唇から言葉が漏れた。 「?」 首を傾げれば、彼はやんわりと笑って「なんでもないよ」と言った。 「どうだった?●●」 寮に戻ると、にやにやとしている友人ら。 ベッドの上には山のようになっている菓子類があった。おそらく・・・私が玉砕したのを慰めるためのものだろう。 「あー・・・オーケーだって」 頬をかきながら言うと、友人らは笑った。 「まあ落ち着いて。悲しいのはわかるよ。誰だって誰もが・・・・・は・・・?はああ!?」 その晩は寝かせてもらえなかった。 「●●、残念な顔がさらに残念になってるよ」 ボーっと過去の記憶に物思いに耽っていたところ、目の前でひらひらと動く手のひらと、失礼な言葉にはっと意識を呼び戻した。 記憶がうやむやになるまで、談話室の向かいの席に座って本を読んでいたはずの彼はその席に本だけを残して、いつの間にか私の隣に腰を落ちつけていた。 私がその顔を無言で見上げると、想像した反応と違ったのか、口をへの字にして首を傾げた。 じっ、と彼の顔を見つめる。 あの時はこうやって顔を直視するのもできなかったな。今はこんなことも遠慮無しにできるのに。 「・・・ふざけてるの?」 さすがに無言で顔面を鷲づかみにされたのは癪に障ったのか、少しだけ声が低くなった。 慌てて手をはなして大人しく自分の膝の上に両手を重ねた。 「ふざけてないことはないけど、ただなんとなく」 そう言った途端、軽く頭を叩かれた。 叩かれた場所を押さえて恨めしげにリドルの顔を睨みつけると、底意地の悪い笑みが向いいれてくれた。・・・この笑みはどうしても戦意が喪失してしまう。 あからさまにため息をつき、リドルがいる方向とは逆のほうに倒れこんで肘掛に頭を乗せた。 「パンツ見えるよ」 「見ないで変態」 恥ずかしげもなく私の太ももの上に手を乗せてきた彼の手を払いのける。見える見えないどころじゃないではないか。心の中で悪態をつきながら、暖炉の火の音を聞きながら目を閉じる。 男は皆変態だよなんてわけのわからないことを抜かしているリドルは、私が昔憧れていた姿とは酷く遠いものだった。 私が冷たく「ふーん」と返すと、くすくすと響いていた彼の笑い声がぱたりとやんだ。 「・・・どうしたの?」 「なんでもない」 なんでこんなにもやもやするのかわからない。ぶつけどころのない嫌な気持ちが渦巻いていた。 「なんでもないことないだろ。●●、こっちを見ろ」 「もう、やだってばー!」 手をぐいぐいと引っ張ってくるリドルに目を閉じたまま抵抗する。それで諦めてくれればいいのだが、意外にもしつこいのが彼。 イラッとした空気を感じ取ってやばいと思ったのも束の間、まるで大人気なく、本気の力で引っ張られた。 「うわ!」 勢いあまってリドルに衝突する。 「いっ、たい・・・」 彼の胸のぶつけた鼻を押さえ、鼻血が出ないことを祈った。 「で、何?」 リドルの手は私が逃げないようにしっかりと私の両二の腕を握っていた。 この執念は恐怖を飛び越えて尊敬する。この多方面に向けられる、知的好奇心(といっていいのか)があってこそのあの頭脳なのだろうか。どうでもいいや。 すっかり抵抗する気力なんてそがれていて、それどころか体中から力が抜けてしまい、へなりと彼の胸に頭を預けた。 「・・・ただ昔を思い出してただけだよ」 「昔?」 これまた彼の予想外だったのか腕を掴む力が緩んだ。 「昔って、いつの」 「リドルはきっと覚えてないよ」 我ながら答えになってないと思った。 でも私がコンパートメントで一度相席になったってことを言っても、リドルは覚えてないって言うに決まってる。 あ、そっか。今やっとこのもやもやがわかった。 「覚えてる」 リドルの喉の震えを直に感じ取れる場所で聞いた言葉ははっきりとしていた。 またでまかせ言ってんのか、と呆れた。だいたい、私が何のことかも言ってないのに・・・。 「●●とのことなら、ずっと昔のことから全部覚えてる」 耳を疑った。 驚いて顔をあげようとしたらぐっと頭を押さえつけられてできなかった。その行為が何を意味するのか即座に理解して、私は押さえつけられて顔を俯けたまま口元を緩めた。 「リドルかわいい」 「黙れ」 憎まれ口を叩いても、私の腕を掴むリドルの手がさっきよりずっと熱いってことはごまかせないんだよ。 なにかが、とけた。 「あー、昔の●●は何かするたびに赤くなってかわいかったのに」 「あー、昔のリドルは何をしても優しくてかっこよかったのに」 「・・・なに?」 「・・・なによ」 |