「ねえトム」

「なんだ」

「忘れ物してない?羽ペンとか、教科書とか、羊皮紙とか、インクとか」

「してない」



「ねえトム」

「…なんだ」

「休日は何してるの?」

「教えない」



「ねえトム」

「…」

「授業難しいね」

「きみが話しかけなければ、僕ももっと理解できるんだけどね」

 トムは苛立ちを露わにして私を睨んだ。トムの隣の席をキープ、さらに公衆の面前だから下手な扱いはできないだろうということでたくさん話しかけてみたものの、明らかに不機嫌にしてしまった。

 私の監視はもちろん授業中も含まれる。オリオンやアブラクサスで筆談でもしようものならば、すぐに邪魔をしようと思っていたけれど、授業に臨むトムはとても真面目で、一見すればただの勤勉な生徒であった。いや、勤勉なのは間違いないのであろう。先生の問いかけにも積極的に発言し、発言内容も完璧なもの。私には完璧かどうかはわからないが、先生の満足げな表情を見れば想像は容易い。宿題も課された以上の物を提出し、一日に三度は「さすがはミスター・リドル」という台詞を先生たちの口から聞くほどだ。

 それはいい。優秀なのはわかっていた。想像以上のできであったことは否定できないけれど、頭の良し悪しよりももっと気になることがあった。

 いくら発言が正しく、いくら自分の寮に加点され、いくら褒められても、彼はひとつも嬉しそうな顔をしないのだ。

(トムって、何が目的なのかわからない)

 正しく言えば、最終目的はわかっている。わからないのは、何が目的で自ら発言の場に進み出ているのかということ。いい成績をとれば先生たちに一目置かれるのは間違いないことで、毎授業で発表をせずとも、彼ならば賞賛と信頼を得られるではないか。スリザリンに加点するため?そうかもしれない。

 一か月と少し、彼を近くで見てきたけれど、まったくと言っていいほど彼の内面は読み取れていない。これ以上自分の観察眼だけで情報を得るというのは不可能だ。だったら、直接ぶつかっていくしかない。

 先生の言葉を羊皮紙に書き連ねている彼の横顔は、熱心という言葉も、無心という言葉も似合わなかった。

 いつの間にやら私の手を離れ机の上に転がっていた羽ペンを拾い、じゃぶじゃぶとインクに浸して、使い慣れなさを感じながら羊皮紙に文字を連ねる。簡潔に書いたその部分の羊皮紙を破き、彼の集中力を極力削がないように、そっと切れ端を差し出した。

 すぐには気づかなかった彼だったけれど、目の端にちらつく羊皮紙に間もなく視線をやった。本文を読み、トムは目線をついと上げ私の顔を見る。


『魔法、教えてくれませんか?』


 トムは私の真意を測りかねているらしい。何にでも警戒するのが癖なのだろうか。

 ふいと視線がそれ、彼はまた自分の羊皮紙に向かった。

 だめか。

 無理を承知の提案であったから仕方はない。
 ため息を飲みこみ、ふと彼の手元を見る。驚きすぎて声が出そうになった。


 羊皮紙の端に、是の意の返答が小さく書かれていた。




 図書室の端の席。照明の光が不十分で若干の薄暗さは否めないが、その分人が少ない。どんな会話に発展するかわからない以上、人通りは少ない方がいい。

「図書室ってこんなに広いんだ」

 私の独り言にトムは答えない。人前では饒舌なくせに、私の前ではすぐこれだ。
 彼が鞄を置いた丸机で向かい合うように腰を下ろす。


「本当の目的は?」

 座るや否や彼は目を細めた。

「目的?だから魔法教えてって」

 まさか私が勉強を口実におびき出したとでも思っていたのだろうか。豆鉄砲に打たれたようなトム顔をみると、まさにそうであったらしい。


「教えると言っても、きみは魔法が使えないのだろう」

「座学ならわかるよ」

「寝てるか、しゃべるかしているだけでわかるなんて、きみは相当な天才らしいね」

 嫌味を言われてしまった。無視されるよりは数倍マシだ。


 お前になんか勉強教えるか、と去って行ってしまうかと思われたけれど、トムは想像に反し椅子に腰かけたまま動きそうにない。

「で、どの教科?」

 妙に素直だ。

「どれでもいい」

「…本当に聴く気ある?」

「授業習い始めたのついこの間だから、何がわからないのかわからないんだもん。トムの好きなのでいいよ」

 呆れ顔のトム。言い返しては来ず、黙って自分の鞄の中を覗き、表紙のよれた呪文学の教科書を机の真ん中に広げた。





「さっきも言ったけれど、呪文学はただ呪文を覚え、唱えればいいってわけではないんだ。杖の振りかた、呪文の抑揚、状況に適した呪文を選択する判断力が最低でも必要。中には、こんな呪文、なくても困りはしないだろうって効用の物もあるのが少し理解しがたいね。覚えておいて損はないと思うけれど。同じ呪文を何度も使っていると、自分でも知らぬうちに発音や杖の振りかたに癖が出てくる。とっさに魔法をかけるとき、その癖を取り払っておかないと方向が逸れたりするんだ」

 右から左へ抜けていく。くるくると回る舌に頭がついていかない。最初は相槌を打ったりして聞いていたものの、二十分もすれば集中力は途切れ、四十分経ったら私が聞いているかどうかすら危ういのに、トムは嬉々としてしゃべり続けていた。
 時に教科書通りに、時に自分の見解を述べ、他の資料を引っ張りだし、と、最初は教科書一つであったはずの机が、今では紙と本で埋まっていた。

 普段とのあまりの差に舌を巻いていたが、努力して彼の話を理解しようとしながらトムの顔をうかがって、私は一体なんのために危ない思いを何度もしたのかと思ってしまった。

 踊るような声音に違わず、非常に楽しそうに魔法を語る彼の顔は年相応で、時折見せる微笑は実年齢以下に見せた。こんなに愛らしい表情をできる人が、将来の闇になるだなんて誰が予想できるだろう。
 先を知る、この私ですら。

 同時に、今この瞬間までこの顔を見たことがなかったのは、非常に悲しいことに思う。彼はこの顔を、教科書ではなく、誰か個人のために見せたことがあるのだろうか。


 羊皮紙に先生の言葉を一言一句も漏らさじとメモをしていた彼の横顔は、無垢。そう、無垢と例えるのが一番だ。



 心を閉ざした彼が信用しているのは、己が掴んだその能力だけなのではないだろうか。
 積極的な発言も、余剰に行う課題も、すべて作為があったのではなく、純粋に魔法が好きだからではないか。

 大半が私の想像である。彼に直接問うたら、不快感を顔に出して席を立ってしまうだろう。


 いつまでも眺めていたい明るい顔。

 ずっとこのままならいいのにな。



「―――わかる?」

 ぱっと顔を上げた彼の瞳は微かに輝いていた。自然と頬が緩む。

「難しくて、全然わからないや」


 口をへの字に曲げると思いきや、トムは得意げに微笑んだ。


「難しいから、おもしろいんだ」


 気づけば窓の外は日が沈みかけていた。





 やっとわかった。

 何年探したことか、どれほどこの日を待ちわびたことか。昂ぶる感情を理性で無理矢理抑え込む。


 早まってはいけない。じっくりと機会をうかがうのだ。

 ここに、自分の存在を証明する確かなものが隠されている。


 ―――僕は正しい。


 いくら巡回が監督生の責務とはいえ、こんなところにいつまでも立っていると、見られた時に言い訳が苦しい。

 早まる気を忘れることなんてできないまま、無理矢理つま先を来た廊下へ向けた。






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