「おはよう」

 アブラクサスとオリオンはあからさまに嫌な顔をした。オリオンは狩猟犬のように鋭い目つきで私の頬を射抜き、アブラクサスはトムの横顔を一瞥した。トムは知らん顔で私の方など見もしない。長い脚でさっさと大広間へ向かっていた。


 ばか者を見る目が私に集っている。一度目は少々気まずい思いをしたものの、二週間、三週間と続くとこちらも、向こうも、周りも慣れてくる。

 三人を見失わないうちに、再び緩やかな流れを作りつつある生徒たちの間を縫って、小走りで追った。



 まだ秘密の部屋を見つけていないのなら、それを邪魔し続ければ何かが変えられるかもしれない。彼や彼女が、惨めに命を落とすことのない未来を作ることができるかもしれない。

 あの日…トムと空き教室で探り合った日の翌日から、私は行動を起こした。

 トムの行く先々に、時には正面から、時には隠れて付きまとった。さすがに男子トイレや寮内に逃げ込まれては追えないけれど、それ以外の場所ではだいたいの行動を牽制することができている。相手にしたらそれは鬱陶しいものであろうが、仕方のないこと。

 はじめのころはトムも私を見て微かに表情を濁らせていたが、今では空気かそれ以下、見えていないものとして扱っている。


 今日もいつも通り、アブラクサスの隣、トムの真向かいをキープして朝食にありつく。この席に座れば監視もできるし、イチゴのパイも食べれるし、一石二鳥。

 一心にぱくつく。パイの生地がはらはらとテーブルにこぼれていることに気づいたとき、隣の席から同時にあからさまな舌打ちが飛んできた。『汚いな』。そう言いたいんだと思う。三人はきれいに食べていて少々気まずい。アブラクサスの苛立ちの空気が、私の体ごと吹き飛ばそうとしているがそうはいかない。知らん顔をしてパンプキンタルトに手を伸ばしたところで、三人がそろって立ち上がり、授業の道具を抱えてそそくさと行ってしまった。

 タルトを片手に急いで席を立つ。数歩駆けたところで、ダンブルドア先生からもらった授業の一式を食事の席に忘れていることを思い出して、慌ただしく走り戻った。






 三人にはすぐ追いついた。わざとゆっくり歩いているように思えるほどだ。

 訝しみ、最後尾を行くトムの横に並んで、顔を覗き込んだ。頑なに目を合わそうとしなかったトムが迷いなく私を見て、にこりと笑ったではないか。


 間違いなく、はめられようとしている。


 焦って周囲を見る。着いていくのに夢中で気が付かなかったが、周りは薄暗く、まだ一度も足を踏み入れたことがないような場所であった。埃っぽい臭いがする。こんなところで授業が行われるのは見たことがない。


 逃げるべきだと判断したが、時すでに遅し。彼らに背を向ける前に、トムに背中を強く押され突き出された。転びそうになり足を踏み出して立て直そうとしているところを、間髪入れずアブラクサスが私の体をさらに押し出し、オリオンが支えて待っていた扉の中に頭から詰め込まれた。とっさに後ろに飛びのこうとしたけれど、おそらくオリオンであろう、扉ごと押さえつけられ、数秒の攻防の後、狭い狭い空間に閉じ込められてしまった。

「ちょっと!」

 思い切り拳で扉を叩く。古い木造で、叩けば壊れそうなはずなのにびくともしない。簡単には開かないように、魔法でもかけられてしまったのだろうか。


「やれやれ。やっと厄介払いできた」

 アブラクサスの嫌味な声。

「意地が悪い!」

 叫んでも向こうの三人はなんとも反応しない。

「行こう。授業に遅れる」

 たった今、無力な女を狭い場所に詰め込んだとは思えないほど、潔いトム。腹が立つ。


 怒りに任せて扉を蹴り飛ばすと、オリオンの「おおう。こえー」という笑いをかみ殺した言葉が遠くから聞こえた。


「なんなのよ!」

 悔しさに足を踏み鳴らす。足元で小さな破砕音がした。見下ろすも暗くてよく見えない。背の方にあるものと繋がっているようだ。後ろ手に触れると、ひやりとした棒状のものに触れた。

(箒だ)

 どうやらここは箒棚らしい。私が踏んだものは、ぼろぼろになった穂から散った枝であったようだ。


 横は両手を広げられるほどしかなく、さらに奥行きが私一人が立って少し余裕がある程度。本来はもう少し置くまで幅があるようだが、無造作に立てかけられた箒のせいでかなり制限されている。
 箒棚とわかったところで、事態が好転するわけではない。再び扉を叩き、蹴り、叩く。びくともしない。人を呼ぶも、最初から望み薄なのはわかっていた。

 どうしよう。

 箒の状態を見ても、ここの倉庫は頻繁に開け閉めされているとは思えない。まずここに至るまでの廊下が、人をまったく寄せ付けないものであった。


 叫んでいれば見回りに来た先生が気付いてくれるであろうか。見回りをするのはいつだ?夜だ。それまでこんなところで、一人で埃を吸っていなければいけないというのか。…いや、今日中に見つけてくれれば万々歳。ひどければ―――。

 思考が悪い方へ転がっている。やめよう。とにかく今は状況を打破することだけを考えるのだ。とりあえずもう一発、腹立ちを抑えるために扉を叩いておいた。


「うわあ!」

 薄い扉の向こうから、低い、間抜けな声がした。

 人?

 私はここぞとばかりに扉を叩きならした。


「誰か!誰でもいいからここを開けてください!閉じ込められてしまったんです!」

 ひいひいと悲鳴を上げていた相手は私の言葉を聞いて、荒い息を引っ込めた。


「そういうことか。わかった。ちょいと扉から離れていてくれ」

 離れる?どういうことだ。
 首を傾げるも一瞬。私がありったけ怒りをぶつけていた箒棚の扉が、大きな炸裂音を立てながら飛び散った。耳の奥できんと鳴っている。

 眩暈に襲われながら廊下によたよたと出る。相変わらず埃っぽいけれど、圧迫感がないだけでとても爽快な気分だった。

 耳鳴りが遠くなるにつれ、爆音に揺れていた思考がはっきりし始めた。


 顔を上げ、助けてくれた相手を見る。見上げる。見上げる。

「大丈夫か?女の子をこんなところに閉じ込めるなんて、ひどいやつがいたもんだ」

 あまりの背の高さにあんぐりとしてしまった。大きいのは背だけでない。横幅も、手も足もとても大きい。一目で彼が誰だかわかった。


 黒々とした髪の下には、純粋な瞳が輝いていた。大きいのに、威圧など微塵も感じさせない大らかな雰囲気に、私は一瞬で彼を好きになってしまった。


「あ、ありがとうございます!本当に助かりました」

「ああ、気にするな」

 彼が歩くと、硬い床がのしのしと音を立てるようだ。私の肩に手を置き、ぽんと軽く叩く。軽くでも、私の体は飛ばされそうになった。


「それじゃ、オレはこれで…ああそうだ。お前さん、良ければオレがここにいたことは誰にも話さないでほしいんだが」

 目を泳がせる大きな彼。


 あのことだ、私ははっとした。


「はい、もちろん」

 私が頷くと、彼は安堵に顔をほころばせた。

 それじゃ、と行ってしまおうとする彼。言うのは今しかない。たったの数歩でもうあんなに遠くに行ってしまっているではないか。二、三歩追いかけ、「あの…!」と声を張る。自分でも驚くくらい大きくなってしまった声に驚いた。

「ん?」

 コガネムシのような瞳が再び私を映した。心優しい彼を惑わすことになるかもしれないけれど、言うしかない。



「隠しているものは、もっと、もっと誰にも見つからないところへ隠してください。今の場所はだめです。絶対に、絶対に。お願いします」

 つぶらな目が真ん丸に見開かれ、見るからに焦りを帯びる。焦って付け足した。

「もちろん、誰にも言いません。今までも、これからも。でも、お願いですから違う場所に変えてください。そうすれば…。 助けてくれて本当にありがとうございました」


 頭を深く下げ、彼の顔を最後に見ることはできないままに、放り出されていた鞄をひっつかみ走り去った。森の番人と呼ばれることになる彼は、今どんな顔をしているだろうか。






 昼食の席で、いつも通り食事中のアブラクサスの隣に割り込んできた私の存在を認めた彼らのぽかんとした表情。あのトムですら眉を顰めていた。この分だと、しばらくは私があそこから出られないと踏んでいたらしい。


 イチゴのパイは相変わらずおいしいし、嫌がらせを一蹴できたことへの優越感もあるのに、今更湧いて出た、歴史に触れている感触をまざまざと感じ、顔をほころばせる気分にはならなかった。






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