夢を見た。壁も天井もない真っ白の空間で、実体のない何かにどこまでも引かれていく夢。ずっと引かれていると、落ちているのか地を平行移動しているのかわからなくなる。不思議と不快感はなく、目覚めも悪くはなかった。

 瞼の向こうが白く輝いている。そっと目を開ける。薄いカーテン越しに、午前の日差しが部屋を淡く照らしていた。


 数度瞬きをして再び目を閉じ、毛布で体を包むようにしながら寝返りを打つ。
 頭はしっかりと覚醒している。でも体を起こす気分になれない。

 昨日の今日で思うことは一つ。すがすがしい朝のはずなのに、気分は暗澹としていた。

 若かりし日のヴォルデモートとその仲間に目を付けられてしまった。現実味が湧かないうちに、夢のような出来事が塗り重ねられていく。

 確実に聞いてはまずいことを耳に入れてしまったというのに、ほぼ無傷で、こうやってベッドで呑気に寝ていられるのは奇跡か。


 オリオン・ブラックの「殺すのか?」という発言。漫画でしか聞かない台詞で、まるで映画を見ているかのような嘘の恐怖しか感じられない。この調子では知らぬ間に死んでいそうだ。
 いつ寝首をかかれることか。

 なぜ記憶を消さなかったのだろう。彼らにとってはお茶の子さいさいであろうに。ただ考えが浅かっただけだとか?


 どうすれば、彼らのブラックリストから顔を消すことができるだろう。
 私が頭を悩ませても、彼らとうまく立ち回る方法なんて何一つ思い浮かばない。一つ言えることは、余計なことを話してはいけないということ。トム・リドルが小ばかにしながら言っていた。「誰に話しても信じない」。そうだろう、そうだろう。真面目で秀才、容姿端麗なホグワーツのアイドルで先生たちからも一目置かれている。方や、どこの馬の骨ともつかぬ来訪者。いまだ保健室の女教師とディペット校長とダンブルドア先生にしか顔を合わせていないのだから、今の段階では私はただの異物。たとえダンブルドア先生に告げ口したとしても、私を信じる可能性なんてゼロに等しいのでは。ダンブルドア先生もダンブルドア先生で、何を考えているのだろう、私に加担したりして。


 泥沼にはまりかけていることに気づく。一度考えるのをやめよう。


 毛布を蹴飛ばし勢いよく起き上がる。ベッドから降りカーテンを開けると、鬱々とした気分は飛び去った。

 昨夜、ほとんど食べられなかったせいでひどくお腹がすいている。ちらりと部屋の真ん中の食事用の机を見た。お腹がすいたと思ったときに机を見たら、素晴らしい食事が現れるのだ。


 まだ来てない。準備ができてないのかしら。

 靴下を履く。

 部屋に時計がないから時間がわからないな。

 シャツに腕を通す。

 うーん…。

 スカートのホックを留める。

 そうだ!

 黒一色のローブを羽織る。

 大広間に行ってみよう!


 多少思慮がたりない気もするけれど、今はこうやって勢いに任せて突き進みたい気分だった。

 廊下に出ると、活気のある空気が私の頬を火照らせた。この階はどうやら人通りの少ないフロアのようで、左右どちらを見ても人の姿はないけれど、はるか下からの、まとまりのないざわめきで廊下の隅まで活力で満ちていた。誘われるように階段を駆け下りる。


 下階に行けば行くほど人の姿が増える。みな朝食を摂りに大広間に行く途中なのであろう。

 すっかり私の頬は興奮で上気している。右を左を落ち着きなく見渡していると、不審に思ったいくらかの生徒が私を一瞥した。すぐに興味をなくし目をそらしたのが大半であったけれど、何人かの生徒はぎょっと目を丸くして、私の姿を上から下までじろじろと眺めた。
 挙動不審すぎたかと自重する。視線がせわしなく動くのはどうしても抑えきれなかった。

 喧噪が一層増した。どうやら一階にまで下りてきたらしい。三階のあたりから一緒だった青のローブを羽織った女の子たちの背後を抜けて、首を伸ばし人波の向こうを見ようとするけれど、平均身長の高いこの異国の地では前の人の頭のてっぺんすら見ることは叶わなかった。

 ふと、多くの視線が自分の頬に刺さっていることに気が付いた。
 周囲の人間の顔を見渡してみると、皆が好奇と不審の入り混じった表情で私の顔を見ているではないか。

 ここの人って、一目見ただけで最近までいなかった人を見ぬくことができるくらい、縦横のつながりがあるの?
 増える視線と無い逃げ場に冷や汗が滲む。

 …そうか、私の格好。黒。
 自身で、自分が部外者だと主張してしまっていた。

「あれが噂の…」

 噂?
 声の源泉を見つけ出そうとするも、この人混み。

 ちくちくと止まない視線を一身に浴びながら、なんとか大広間にまでたどり着くことができた。


「うわあ」

 思わず感嘆の声が漏れた。広く、高く、荘厳。宙に浮くろうそくと雲が流れる青空の天井、ゴーストが右に左に銀の尾を引きながら舞い、並んだ四つの机の上には、それはそれはおいしそうな料理がよそわれた皿が無数に並べられていた。

 ここで気づく。私の席は無いのでは。

 広間の入り口でおろおろとし、誰か助けてくれる人はいないかと行く人々を見上げるが、誰もが私を無いものとして通りすぎるか、愉快そうに見下しながら己の席についてゆくばかり。

 こんなことならば、大人しく部屋で食事を待つんだった。
 舞い上がっていた気分が一気にしぼみ、悲しさとほんの少しの憤りを飲み下して踵を返した。

 まさか私がいきなり振り向くとは思わなかったらしい。背後まで来ていた人と正面からぶつかってしまった。


「ご、ごめんなさい!」

「こちらこそすまない」


 私が見上げ、彼が見下ろし、はたと時が止まる。流れる銀髪がひくりと揺れた。
 アブラクサス・アルフォイは動揺を隠しきれない様子で、口ごもった聞き取れない言葉を発していた。

 結構、小心者…?

 わたわたとする彼を観察していると、彼の肩に他の誰かの手が乗る。ひょっこりと出てきたのは、灰色の瞳を持つ、ブラック家の子息であった。オリオン・ブラックは覚醒しきっていないひどい寝ぼけ顔で、アブラクサスの顔を覗き込んだ。機嫌が悪いらしい。普段からよくはない目つきがさらに悪く、怒気すらにじみ出ている。これは、逃げた方がいいかもしれない。

「お前が立ち止まると邪魔なんだけど」

「あ、いや…すまない」

 アブラクサスは彼の怒気より、私の方が気になるよう。視線がさまよっている。
 オリオンは私の存在にようやく気付いたらしい。恐ろしい目つきで私を射止めた。眉間のしわが一層深くなるのを見て、足元から血がすべて流れ出ていったかと錯覚する。

 杖を突きつけてくると思いきや、オリオンはいやらしい笑みを浮かべた。

「朝飯か?俺が席に案内してやる。来いよ」

「おい、ブラック!」

「え、ちょっと、ちょっと!」

 乱暴に肩を掴まれ引きずられるようにして四つの内の一つのテーブルに連れて行かれる。ああ、一番行きたくなかった机に。

 アブラクサスが顔を赤くしてオリオンを怒鳴りつけているが、オリオンは意地悪く笑むだけ。


 目立つ二人に連れられ、広間の視線はほぼすべてこちらに集ってしまっていた。
 最悪だ。






 無理矢理つかされた席は言わずもがな、スリザリン生のそれ。
 悪いことは重なるもので、なんと正面に素知らぬ顔で食事をしているトム・リドルがいるではないか。

 空腹がすべて恐ろしさに変わり、今何か胃に入れれば漏れなく吐き出してしまうだろう。
 席を立とうとすると、隣を陣取ってきたアブラクサスに視線で諌められる。
 にやついているオリオンは、トムと私を交互に見ながら、おいしそうにベーコンを頬張っていた。

 会話のない私たちから、少しずつ周囲の意識が離れていく。

「―――で、なぜ連れてきた」

 トム・リドルの低い声。周囲に聞こえないようにするためらしい。怒っている様子ではない。

「んー?アブラクサスが連れていきたそうだったから」

「ふざけるな。誰がそんなことするか」

「アブラクサス、お前はもう少し余裕を持て。ぶつかっただけで動揺しすぎだ」

 私とアブラクサスがぶつかった始終を、トムはしっかりと見ていたらしい。アブラクサスは苦い顔をして私を睨んできた。私のせいになるのか。

「トムも気になるだろ?」

 オリオンは頬杖をつき、フォークの先を揺らして自信満々にトムを見る。
 トムは返事をせずに私を見た。黒い瞳とかち合うと、頭の中のすべてを覗かれている気がする。実際そうなのだろう、私の真意を探るような目つきに居心地がさらに悪くなる。それでも負けじと彼の目を見返していると不思議なことに気が付いた。

 怖くない。

 状況には恐怖しているものの、彼自身にはまったくとは言えずとも、ほとんど怖いとは思えなかった。いや、それどころか。

(かわいそう)

 私の頭はおかしくなってしまったのだろうか。
 すとんと腹の中に何かが落ちた。


「話がしたい、です」

 黙したままだった私が口を聞いたことに、三人は少々面食らったみたいだった。

 鼻で笑ったのはアブラクサス。

「こいつ、リドルに惚れたんじゃないのか?」

「まじ?傑作じゃん!」

 ほんとに性格悪いなこの人たち。
 トムは数度瞬きをして、にこりと笑った。


「いいよ。僕もそう思っていたんだ。朝食の後…」


 昨日の部屋で。



 最後は声には出さず、唇を動かしただけであった。






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