痛みも何もない。

 けれどそれは前に一度体験した苦しみと酷似していた。

 ぼろぼろになった自分の体が光を捨てた目をしてゆらりゆらりと暗い海に沈んでいく。

 手を伸ばしても届かない。

 叫んでも瞬きすらしない。

 暴れても、泣いてもだめだった。


 こんなところで・・・。こんなところで死にたくない・・・!

 無駄だとわかっているけど諦めたくなかった。


 冷たくもなんともない海の水をかきわけて、暗みにおちてゆく自分を追いかける。


 それなのに、なんの障害もないはずなのに、そこに絶対の壁があるように、私と私の間は空くばかりだった。


 枯れた涙腺からは何もでない。



 心が、折れそうになった。

 そのとき、耳の奥で響いた鈴の音。


「貴女の後悔しない道を逝きなさい」

「!」


 鈴の音かと思ったそれは急速に形作り、いつかの声と重なった。


「どこ・・・!どこにいるの!?」

 潰れてしまった喉で必死に叫ぶ。


「もう一回・・・!もう一回生き返らせて!!まだ死にたくなんかない!!」



 見苦しいほどの懇願。

 周りを見渡すけれどその姿はおろか、聞こえたはずの声すら見失ってしまった。

「ねえ・・・っ」

 わかってる。彼にいくら泣きついても生き返れないことくらい。


 前にまた目覚めることができたのはハオが蘇生を施してくれたから。彼じゃない。

 それでも何かに縋っていなくては今度こそ消えてしまう。


「お願いだから・・・!!」


 ぎゅっと目を閉じる。


 瞼の裏に映るのは闇ばかり。

 いやだ、いやだ、いやだ。このまま終わってしまうのは、あまりにも残酷じゃないか。


 自分のぶつけどころのない怨みが溢れてしまって、もう少しのところでそれを聞き逃してしまうところだった。



 昔テレビで聞いた蒸気機関車の音。

「――」

 瞼の向こうが明るくなったような気がして恐る恐る目を開けると、闇ばかりだったそこは明るい光に満ちていた。


 呆然と立ち尽くしていると、また汽車の音。



「●●!」

 そして自分の名を呼ぶ声。

 振り返ると、古びた赤茶色の機関車が赤い糸のように白い空間を裂いていた。


「●●!」

 また名を呼ばれる。

 はっとすると、花組の皆が必死に名を呼んでいた。


「早く手を!」

 カンナちゃんがその手を伸ばしてくる。

 私は何を考える間もなく手を限界まで伸ばして、そして掴んだ。

 そのままぐいと引かれて、カンナちゃんに強く抱きしめられる。


「よかった・・・っ。●●・・・」

「か、カンナちゃん」

 どうしたのかと訊く前にマッチが答えた。


「なかなか見つからないから、もう●●消えちゃったかと思って・・・」


 本当に心配してくれたのか、マッチもマリちゃんも泣きそうに顔を歪めていた。

 それが嬉しくて私は頬を緩めた。


 カンナちゃんを宥めながらどうにかその腕から逃れ、ようやくこの列車には大勢の人が乗っていることに気づいた。



 隣の車両にはブロッケンさんやビルさん、ザンチンさん。ボリスさんやダマヤジさんもいた。


 そして・・・。


「ペヨーテさん、ターバインさんっ」

 いきなり名を呼ばれて驚いたのか、2人は目を見開いて振り返った。


「●●・・・」

 きょとんとしていたターバインさんはやがて柔らかく微笑んだ。

 でもペヨーテさんは複雑そうな顔をしてる。


 首をかしげて彼の近くまで行くと、ペヨーテさんは罰が悪そうに顔を背けてしまった。


「ははは。●●、気にするな。そいつはお前を殺しちまったこと気にしてんだよ」

 ザンチンさんが笑って言った。

 ペヨーテさんがザンチンさんを睨んで、小さくため息をついてからやっと私を見た。でも目をあわせてはくれない。


「すまなかったな」

 本当に申し訳なさそうにいうものだから、ついふきだしてしまった。

 なぜ笑うのだと訝しげな目を向けられてすぐに謝る。


「気にしないでください。結局は生き返れましたから」

「でも・・・」

「本当にいいんです」

 それ以上にいいことがありましたから。


 含み笑いを浮かべる私を不思議そうに見ていたけど、ペヨーテさんはほっとしたように肩をなでおろした。



 私もまたしこりが取れた気がして微笑んだ。

 すると不意に足に感じた懐かしい体温。

 何だと下を見ると、そこにはオパチョ君が嬉しそうに笑いながら私の足に抱きついていた。


「オパチョ君!」


 まさかいるとは思わなかった。

 私は考える前に彼を抱き上げて、強く抱きしめる。



「●●、げんき?」

 挨拶の前に、前にもされた質問。


 なぜだか私は涙腺を緩ませた。


「うん。元気だよ」

 オパチョ君のきれいな目を見て答えた。


「●●げんき」


 ・・・ああ。

 そういえば昔、オパチョ君の目を見て不思議な気持ちになったことがあった。


 それがようやくわかったよ。


 ハオ。

 オパチョ君とハオはそっくりだね、本当に。


「それにしても、この列車・・・」

 落ちてしまわないように気をつけながら私はどこまでも続く列車を、体を乗り出して眺めた。オパチョ君も真似をして後ろをのぞいている。


「アタシたちも死んだ後ボーっとしてたら、この列車が来たのよ」

「だからとりあえず乗ってみたの」

 マッチとマリちゃん。とりあえずって・・・根性座ってるな。私だったらこんな意味不明な乗り物乗らないよ。



「・・・これ、どこに向かってるのかな」

 ぽつりとこぼした疑問。

 それに皆はなぜか笑った。

「何言ってんだ●●」

「え?」

 私だけ知らないの?

 答えを求めて皆を見渡すと、マッチと目が合った。目が合った彼女はニヤリと笑う。


「そんなの、ハオ様のところに決まってるじゃん」

「は?」

 どうしたんだろう。皆死んで頭おかしくなっちゃったのかな。


 誰がそんなことを言っていたんだと口を開こうとすると、そのまえにブロッケンさんが。


「誰に言われなくとも、なんとなくわかるものさ」

「・・・」

 それは非常に不安定で曖昧だった。けれどそれ以上に同意できる強い何かがあった。



「ほら、見えてきた」

 誰かが呟く。

 小さな小波を感じてそちらに目を向けると、遠くに見慣れた姿。


 白い空間に、真っ黒な大穴がぽっかりと口を開いている。


「助けに来たよ、葉くん!」

 まん太君が身を乗り出して、その黒いところに吸い込まれそうになっていた葉君の腕を掴んだ。



 そこからまるでこの列車のように、蓮君、ホロホロ君、チョコラブ君、リゼルグ君が繋がった。


「何だこれは!!何故お前らまでここに来る!!!」

 憎しみに歪んだ顔でハオが声を張り上げた。


「ハオ・・・」


 まだ時じゃない。飛び出して行きたい気持ちをグッとこらえて、私は事の成り行きを見守る。



 驚いたように目を見開いた葉君。

 彼の知り合いなのだろう、男の子や女の子。


「ワシらもおるぞ」

 麻倉家。

「全く、道家もびっくりのとんでもない事をしてくれる」

 道家。

「お兄ちゃーん、私も来たよ!」

 ホロホロ君の家族。

「オレ達シャフトも来たぜ、チョコラブYO―!!!」

 チョコラブ君の友達、そして両親。

「やあリゼルグ、でっかくなったな」

 リゼルグ君の両親。


 たくさん。たくさんの魂。


 すべてハオや葉君が関わってきた命の証。


 胸の上でぎゅっと拳を作る。



「ちょっと待ったァーーッ!!」

 響く声。列を成す車。


 X-LOWSの人たちが銃を構え、発射。


 天使たちがハオに引っ張られても負けないように列車を掴む。


「ハハハハハ!我々が来たからにはブラックホールなど恐るるに足らず!用意はいいか、ライハイト!!!」


 そして圧倒的質量で現れた天使。

 その胸に開く砲口から撃ち出されたアイアン・メイデン。


 宙で分解したそれから、どんな天使よりも美しい微笑を浮かべたメイデンちゃんがハオにあのオーバーソウルを向ける。攻撃のためではなく、愛を与える、と。



「双方動くな!」

 その間に割って入った声。

 黒い翼の天使が2つを止めていた。


「何のマネだ、ラキスト!お前までが何故ここにいる!お前もつぶされたいのか!!!」


 本当にこのままでは怒り任せにやってしまいそうなハオを、ラキストさんは静かな湖面のような瞳で見据える。


「つぶされませぬ。何故なら、今のあなたは、私より―――弱い」


 だれよりもハオに忠実だったラキストさんの口から、そのような言葉が吐かれるとは。


「ですからどうか!そのお力でこの者達を地上へ戻してやっていただきたい!!!」


 心外だ、と顔をゆがめるハオを、穏やかな表情でハオ組の皆は受け止めた。


 各々が、ハオを責める言葉など一切吐かずただ優しい目を向ける。


「ザンチン、ビル、ブロッケン・・・。ターバインにペヨーテ、ダマヤジ、それにボリス・・・!」

「アタシ達もここに残るよ。もちろん、アンタが望んでくれたらの話だけどね」

 マリちゃん、マッチ、カンナちゃん。


 そして。


「・・・」


 ハオと目が合った。

 熱くなる目頭を隠しもせず、私はハオに笑みを向けた。


「●●・・・」

 彼の唇が小さくそう動いた気がした。



 ふと、私の足に感じていた子どもの体温がゆっくりと離れた。

「オパチョ、ハオさまいやだいってもいっしょににいる」


 すべてはハオのための言葉。

 ゆるりと頬を緩めたが、オパチョ君がおかしいほどに列車のヘリに寄るので眉をしかめた。


「だから、おほしさまなる」

 ふわり、とオパチョ君の体が宙を舞う。



「オパチョ君!!!」

 とっさに手を伸ばした私はどうにかオパチョ君の手を掴んだ。

 ほっとしたのもつかの間、いつの間にか私の足は列車から離れていて、グンッと大きな物に全身を引っ張られた。


 呼吸すらもすべて吸い込まれ、瞬く間に眼前に闇が迫る。


「っ」


 オパチョ君の体を強く抱いて目を閉じた。



「―――」

 いつまでたっても、変わった感覚はない。


 恐る恐る目を開けると、広がっていた闇が失われ、ただ白い空間があった。

 どうやら、ハオがそれを消したらしかった。


 腕の中で小さく動くオパチョ君を抱きしめて、唇を噛む。



「この列車はまるで蜘蛛の糸のよう」

 スフィンクスに一緒に乗り込んだあの綺麗な女の人。


「あら、せっかく王になられたというのになんて仏頂面。それでは喜びも半減してしまいましょう、シャーマンキング様」


 微笑の中にちょっとした皮肉をこめた言い方。

 それにハオもあからさまな不快感を顔に出して返した。


 ハオがどれだけ強いのかよくわかってるつもり。


 だけど、もう違う。

 たくさん集まった魂は彼のために動いてくれている。彼一人のために。


 嬉しい。





「乙破千代・・・!?お前、今までどこにいたんだ。あれ程探しても、どこにもいなかったお前が・・・」

「おめェの母ちゃんのとこだよ。おめェが1000年探し続けた母ちゃんと同じコミューンさ」


 オハチヨ、と呼ばれた、一見、前掛けをした二足歩行の犬のような姿をした生き物。


 それが言った言葉にハオは酷く動揺したように声を荒げた。

 ハオのお母さん。それは茎子さんとは違うのか・・・。

 そして現れた侍と、厚い鎧を着た男の人。葉君と蓮君の知り合いみたいだ。



「僕自身が遠ざけただと・・・!?」

 完全に押され始めているハオ。そこを攻めるように、黒髪で妙に肌の露出が多い男の人が薄く笑みを浮かべながら畳み掛ける。


 その言葉の中でも圧倒的に意識を向けられた語。


「愛の波長だ」


「愛の、波長・・・」


 口の中で転がす。



「待て・・・。その前に一つだけ確認する。この列車はお前の仕業か―――マタムネ」


「!」

 マタムネ。どこかで聞いたその名。

 どこか大人びてて、どうしても口では勝てるような気がしない彼。・・・ハオの知り合いであったのか。




 ハオの問いかけに答えたのはゴーレムに乗って派手に現れたアンナさん。

 彼女と、彼女の後ろにいるルドセブ君とセイラームちゃんの姿を見てほっと安心した。彼らの後ろにいる男の人は父親だろうか。何の根拠も無いのにそう思えた。


 そちらに目を奪われている間にも淡々と話は進む。


「どう?1000年ぶりに人の心が読めなくなった気分は?」

 途端にどよめく空間。


 ああ、ハオは人の心が読めたのか。


 現実離れしたことだけど、今までの言動を思い返して妙に納得できた。


 ハオはたくさんのことを私に隠してきた。


 それが今、一つずつ明らかになっていく。

 そのおかげで話についていけないではないか。あとでやっぱり一発くらい叩いたり蹴ったりは許されるよね。


「葉と出会って力をなくした。あたしと同じにね」

 アンナさんはふ、と目を閉じた。次に目を開けたとき、一瞬だけ私と目があった気がした。


「―――そして、あんたにはもう1人、大事な人がいたでしょ」


「・・・」

 ぐっと言葉を飲み込むハオの、珍しく揺らいだ瞳がこちらを向いた。


「あんたの心は、みんなの魂を前にしてすでに折れてしまっていたのよ」


 気がつけば、ハオを中心にして数え切れないほどの人々が輪を作っていた。


 ハオを穏やかに、優しい瞳で見守る。

 私もその一人であることが嬉しかった。



「でも、これでようやくその人に会えるんだろ?」


 葉君が首に下げている首飾りを強く握り締めた。


「そういうこった。お連れしたぜママ」


 がたいのいい鬼が、ひとつの車を示した。

 その車からおりてきたのはひとりの女性。



 穏やかな笑みを浮かべた、「母」だった。


 ハオとは似てないようで似てる・・・でも親子だといわれたらやっぱり驚いてしまう。


 葉君たちも声を上げている。

 ハオのお母さんはハオのほうまでゆるやかに歩み寄り、ハオの後ろに回ったかと思うと、彼の頭をぎゅむと押さえて頭を下げさせた。

 うちの馬鹿息子が・・・なんて言われてる。


 ハオは顔を赤くして、押さえつけられた頭に手を置いて、お母さんに文句を言う。こんなに子どもっぽいハオを見たのがはじめてで、私は思わず笑ってしまった。


 周りの皆もそんなやりとりを見てニヤニヤとしていた。


 それに気づいたハオは悔しそうに、恥ずかしそうに眉間にしわを寄せる。



「僕は納得できません!」

 ハオはまた、表情を固くしてお母さんのほうを振り返った。


「母さんは下らん人間どもに殺されたのですよ!なのにどうしてあやまることが出来るのです!?」


 ハオのお母さんの左手が動いて、あ、と思ったときには乾いた音が響いていた。


 ・・・これで私がハオを叩くというのはチャラにしよう。


「人を憎むことは自身を憎むこと。許せば自身も救われるのです」

 厳しい表情をしていた母親はすぐに愛情を孕んだ瞳で息子を見た。


「母はあなたが思う程弱い人間ではありません」


 どこまでも優しい声、子を想う母の言葉。


 優しくハオの体を抱きしめて、お母さんは子に言い聞かせるように言う。



「喜びも悲しみも怒りも憎しみも、すべてを包んでそれが人。あなたも王となるのならまず人を愛さなくてはね」


 ハオがどれだけ人を憎もうと、彼もまたその人であったという事実に変わりはない。


 その現実から目を背けていた彼に、一番の理解者がそれを思い知らせたのだ。



「ウェッヘッヘッヘ。良かったなぁ、にいちゃん」

 葉君がハオを名でなく、「家族」としての呼び名で呼ぶ。


「に・・・!」

 突然のことに眉をしかめるが、もう話はまとまってしまっていた。



「決まり手だな」





 ハオを取り巻く空気が渦を巻く。

「・・・どこまでもバカな奴らだ。このままグレート・スピリッツのなかで生き続ければ、地上での苦しみを味わうことはないというのに」


 それは遠まわしに、元の世界に返すということを意味している。


「じゃあにいちゃん・・・!」

 葉君の言葉を一蹴し、ハオは釘を刺す。


 ハオの周りに、シルバさんを含めた祭司の人たちの姿が現れた。


「残された時間の中でお前達が、どう地上を変えるのか少しの間見守ってやるだけだ」


 垣間見える丸み。


 もう、私の出る幕はないかな。


 残念だけどそう思った。

 けれど、ハオはくるりと私のほうを見て、穏やかに微笑んだ。



「―――●●、おいで」

「っ」


 どうして。どうしよう。

 行くべきか行かないべきか迷っていると、腕の中に納まっていたオパチョ君が急にもがいてそこから逃れた。


 そして私の後ろに回りこんだかと思うと私の背中を思いっきり蹴飛ばしてきた。


「いた!」

 久しぶりの攻撃。まさかここで来るとは思わなかった。

 この攻撃はきっと、行けと暗に言っているのだろう。


 私は蹴られた腰をさすってから、震える足を小さく踏み出した。



 遠かったハオとの距離が少しずつ狭まる。

 彼も前に出てきて、ついに私とハオはすぐ目の前で向き合った。



「・・・バカ」

 何を言っていいのかやっぱりわからなくて、口をついて出てきたのはまったくかわいくない言葉。

 ハオは困ったように苦笑をした。


 その途端に鼻の奥がつんとして、私は俯いた。

「本当にバカ。ばかばかばかばか。いくら謝っても許さないから」

 我慢できない涙を見せまいと、震える手のひらで顔を覆った。


 ハオが返答に困っているのを空気で感じて私は口を閉ざす。


 そして、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げてハオを見上げた。


「・・・抱きついてもいい?」

 きゅっと唇を結んだハオは、泣きそうに眉に力を入れてたどたどしく微笑んだ。


「ああ」

 返事を聞いて、私は腕を伸ばして彼の首に抱きついた。


 背中に彼の腕の体温を感じて、抱きつく腕に更に力をこめてハオの肩に顔を埋める。

 空いた穴が少しずつ、少しずつ塞がっていく。

 閉じた瞼からは止め処なく涙が溢れて伝った。


「―――本当に、本当にごめん」

 耳元の掠れた声。

 今さっき許さないと言ったばかりなのに、たった一言ですべてがどうでもよくなった。


「いくら謝っても許してもらえないのはわかってる。でも謝らせて」


 もういい、もういいよ。

 そんな意味をこめて首を横に振った。

 ちゃんと通じたのか、ハオはほっと息をついた。


「・・・僕は●●に出会えて本当によかったと思ってる」


 ハオは己の頭を、自分の肩にある私の頭に乗せた。


「そういえば●●と会ってから1年も経ってないんだね。なのにどれだけ●●がバカかよくわかるよ」


 一言余計だ、と私は自分の頭の上にあるハオの頭に無理矢理頭突きをした。

 ハオは笑いながら謝って、抱きしめていた腕を少し緩め私と向かい合う。

 彼の表情は今まで見たどんな顔よりも穏やかだった。




「――そういえば、●●にちゃんと言うのははじめてだよね」

 緩やかに弧を描いた唇。


「好きだよ、●●」

「―――」


 それはずっと欲しかった言葉で、与えたかった言葉で、何かが重なった気がした。


 ぼろぼろとこぼれる涙を拭いもせず、私は唇を開いた。

「私も好き。大好き」

 滲む視界の向こうで、ハオが嬉しそうに微笑んだ気がした。


 鼻をすすり、伝う涙が気持ち悪くて拭おうとすると、そのまえに頬にハオの手が添えられる。


 ハオを見上げると、彼は愛しみのこもった目で私を見つめていた。


 黒い目に吸い込まれるように私は目を閉じた。


 少しだけ空気が揺れて、唇に温かい感触。


 触れるだけのそれは、一番最初のキスを思い出させた。



「・・・●●」

 彼は私の手を握って顔を伏せる。

「君と離れたくない。できるならずっと一緒にいたい」

「!な、なら・・っ」

 なら、私はここに残る。

 そう言おうとしたが、ハオの目とぶつかって言うことができなかった。


 言わずともハオの答えはわかっていた。

 こればかりは私もわがままになれない。


「●●」

 これからの言葉を予期して、落ち着いたはずの涙がまたこぼれる。


 困ったようにハオは私の涙を拭った。



「君は生きて。生きて幸せになって」


 嫌だ。言えたらどんなによかっただろう。


 私は拒否もせず受け入れもせずにただ涙する。

 きっとハオは私がここにいたいと心の底から望めばそうしてくれただろう。もちろん私だってここに残りたい。


 だけど、それはハオの本当の望みじゃない。ハオは私が生きることを望んでる。


 私の意見を尊重するために、何かしらの答えを返すまで何も言わない。



 私は無理矢理笑みを作った。

「ハオがびっくりするくらい幸せになるから」

 ハオは哀しそうに、嬉しそうに微笑み、顔を寄せてきたと思うと私の額と自分の額とをこつりとぶつけた。


「・・・たのもしいよ」



 それはあの夏の夜と同じ。


 私は泣いていた。

 でも違うことがたくさんある。

 周りでたくさんの人が優しい笑みを浮かべて見守ってくれたこと。

 こうも気持ちが満たされていること。

 ハオが笑ってること。

 私が泣きながら笑ってること。

 似てるようで違う、そんな時間。



「―――時間だ、●●」

 額の温かみが去って、私とハオをつなぐのは指先のみ。


 ハオを困らせてしまわないように、私は涙をこらえた。


「ずっと見守ってる」

「ほどほどにね」

「はは、わかってるよ」

 もう一度だけ唇を寄せ合って、私たちは名残惜しみながら指をほどいた。


 ハオから数歩離れると、途端に視界が白く染まり始める。


 最後まで彼の姿を見ていたかったけれど、抵抗もむなしく私の意識は簡単に奪われ行く。





 遠くで、ハオと葉君の声が聞こえた気がした。







 今日は久しぶりに皆が集まるらしく、朝から私たちはばたばたと民宿の中を走り回っていた。


「カンナちゃん!この料理運んで!」

「はいはい」

 なのにあの3人ときたらどうにもきびきび動いてくれない。


 だらだらしてたらたまおちゃんがまた修験の極みを発動してしまう。それだけは・・・避けたい。


 時計を見ると、そろそろ到着してもいい時間帯だ。

 私は胸を躍らせながら、料理を宴会場に運んだ。


 そして彼らを迎いいれようと外に出て、そわそわと到着を待つ。


 右を左を、無駄に空を見上げたり、後ろを振り返ってみたり。


 そして遠くに見えた一行。


「あ!」

 私は声を上げてその集団に駆け足で寄った。その途中ですれ違ったのは、久しぶりにお父さんとお母さんに会って気分が高まってる花君かな。



「おお、お前●●か?」

 すっかり髪が伸びた葉君。相変わらずぽやぽやしてるなぁ。


「お久しぶりです、葉君」

 再開が嬉しくて私は笑みを漏らした。


「あたしへの挨拶はどうしたの」

 目の前に立った美人。凛とした声と物言わせぬ空気は健在。


「アンナさん・・・お久しぶりです」

 そう言うと彼女は満足そうに微笑んだ。

 後ろのほうでぎゃーぎゃーと喧嘩をしているのはホロホロ君と蓮君か。それを相変わらずのギャグで仲介をしようとしているのはホロホロ君と蓮君か。それを相変わらずのギャグで仲介をしようとしてるのはチョコラブ君。



 皆変わってないなぁ。

 ほのぼのとした気持ちになっていると、横に誰かが並ぶ。

 見ると、すっかり大人っぽくなったリゼルグ君が微笑んでいた。


「相変わらずですよね」

 きっと皆のことを言っているのだろう。

 私はリゼルグ君からまた皆を目に映した。


「・・・そうだね」

 懐かしいような切ないような。7年前の記憶が走馬灯のように脳裏を走りすぎる。


 嬉しい日なのだからこんなしんみりした気分になってはいけないと、私は自分に喝を入れた。



「そういえば●●さん」

「はい」

 もう一度リゼルグ君を見上げると、目が合った彼はにこりと笑った。不覚にもどきりとしてしまう。


「そろそろ、本気で考えてくれませんか」

 まっすぐに見つめられる。

「――僕と結婚を前提に付き合ってください」

「あ・・・」

 なんとなく重い言葉に聞こえるが、これはリゼルグ君と会うたびに交わしている挨拶のようなもの――ちなみに彼は忙しいはずなのに、わざわざ1年に1回ほどは顔を見せにきてくれている。

 でも決して冗談じゃない。私が頷けばきっとリゼルグ君は本気で私を大事にしてくれる。

 それを断り続けてきたのも、私が過去を引きずっているため。


 今回も同じようにやんわりと断りを入れようと苦笑をする。すると、リゼルグ君が目で何かの合図をしていることに気がついた。


 断りの言葉を言おうとした唇を私は笑みの形に変えた。


「・・・そうだね。最近ハオも会いに来てくれないし、私もずっと独身なの寂しいし。受けちゃ・・・」


 受けちゃってもいいですか。そう言おうとしたら、私とリゼルグ君の間に前触れもなく人影が割って入った。


「●●!浮気するつもりっ?」

 唾を吐き散らしながら、赤い着物を纏った彼がふわふわと浮きながら叫んでくる。


 私は少し驚いたものの、ちらりとリゼルグ君と目を合わせて、2人同時にふきだした。


「ど、どうして笑うんだよ」

 私とリゼルグ君はいたずらがうまくいったと軽いハイタッチをする。

 そこでようやく自分が騙されたことに気づいたハオは、不満そうに唇を尖らせた。そして私の目の前までずいずい迫ってきたかと思うと、私の頬を両手で押さえていきなりキスをしてきた。

 すぐに唇は離れて、彼は満足げに笑う。


「どうだいリゼルグ・ダイゼル。そろそろ諦めろ」

「●●さん、大丈夫?」

「う、うん。・・・たぶん自分が騙されてちょっと機嫌悪いだけだと思うから」


 徹底スルーのリゼルグ君に苦笑しながら、まだいたずらが続いてるのかと私も倣った。あれほど人前では止めろといているのに、構わずキスしてきたからちょっとした仕返し。


 眉間にしわを寄せたハオがまた文句を言おうと口開いたとき、いつまでも民宿に帰れないことに痺れを切らしたアンナさんが怒気を放った。



「さっさと消えなさい。玉無し」

 それはハオだけに言った言葉のはずなのに、その場にいた男全員が股を押さえた。


 ハオはぐちぐちと文句を言いながらも地を蹴って民家の屋根に飛び乗り、背景と同化した。



 私は彼が姿を消したところを見つめて、こっそりと笑む。



「●●、早く来なさい」

「あ、はいっ」


 屋根の上の猫が大きく欠伸をした。




 その日の夜は大盛会。

 途中でまん太君も合流してさらに盛り上がったようだった。

「ふう・・・」

 皆が酔って眠ってしまうまで、とりあえず仕事はもうない。


 隣の部屋の盛り上がりを聞きながら、私は縁側に腰を落ち着けた。


 空を見上げるとあまねく星々。

「――」

 7年前、この民宿に招き入れてもらってから、霊の視えない私は葉君を仲介役としてハオから、元の世界に戻るかこの世界に戻るかを訊ねられた。


 丸3日は悩んで、出した答えが「ここに残る」。


 元の世界に残してきた友人たちと会えないことは残念だ。だけど、私はここに残ることを選んだ。


 はじめはなぜハオが戻るか戻らないのか訊いてきたのが疑問であったけど、霊が視えるようになって、やっとハオと直接言葉を交わせるようになって、ようやくその答えをハオ自身が教えてくれた。


『僕と君が出会えたのはグレート・スピリッツの意志だったのかもね』


 意味のわからないことを・・・なんて思ってたけど、オラクルベルが鳴り出したのも移動する直前だったりしてたし、本当にそうなのかななんて今では思ってる。


 グレート・スピリッツと一体となった今、それがわかるのかな。



「僕のこと思い出してるの?」

 隣から、昔と変わらぬ声。

 私は星から目を離さないまま答える。


「そんなわけないでしょ、自意識過剰」

 彼は小さく笑った。

「自意識過剰じゃないさ」

「・・・」


 ほんとに、ハオと話すとすべてが計算されているように昔を思い出させられる。この会話も。


 私は星から目を外して、横に首を回した。

 昔と変わらぬ横顔。自分だけが成長してしまった。


 あの時、ハオと一緒にいたいと言っていればどうなったのだろう。たまにそんな考えが脳裏をよぎる。


「●●?」


 いつの間にかこちらを見ていたハオは、ボーっと自分を見つめる私に首をかしげる。

「・・・なんでもない」

 まあどうでもいいかと私は割り切った。


 ハオはきょとんとしていたけど、特に深追いもせずに「そう」と呟いた。


 漂う微妙な空気を振り払おうと、また空を見上げようと顔を上げるとハオが名を呼んだ。


 彼のほうを見るとハオは腕を伸ばして私の頬に手を添えてきた。


「キスしてもいい?」


 そんなこと訊くなと睨むと、ハオは苦笑いをしてゆっくりと唇を寄せてきた。



 触れ合っても温かみは感じない。


 キスをするたびに悲しくなるけど、少なからず胸は満たされる。


 口付けをしたまま縋るように身を寄せると、ハオは子どもをあやすみたいに私の背中をぽんぽんと叩いた。


 頭上に輝くは幾許の宇宙の象徴。

 彼の象徴。




 出会って、結ばれて、別れて、また結ばれた。

 もしもハオと出会っていなかったら、この気持ちを知る間もなく私は老い、死んでいっただろう。


 すべては夢のような出来事。

 一瞬で、だけど永遠。

 自分の言葉一つで変わる運命はあまりに脆い。

 その脆い運命に寄りかかって生きていては何も生み出せやしない。


 だから私は生きる。自分のために、誰かのために。

 与えられたのは道。

 それをどう歩くのかは自分しだい。


 よかった。


 そう思いながら死んでゆくために歩こう。


 私の愛する人に愛を捧げながら。






おわり






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