ああ、なんだろう、この虚脱感。 目の前の●●からあふれ出す物が、じわじわと畳の上に広がっていく。 騒ぎを聞きつけた奴らが部屋に飛び込んできた。 「ハオっ、なにが・・・・・・!!?」 部屋に立ち込める血のにおいに足を止め、彼らは僕の正面で倒れてる●●を見て絶句した。 「●●さん・・・?」 葉たちをかき分けて前に出てきたリゼルグ。状況が理解できないようで、彼はしばらくの間僕と●●を唖然として見ていた。 徐々に内容が飲み込めはじめたのか、彼は怒りで顔を歪め、僕の横まで来て胸倉を掴んできた。 目の端でリゼルグが拳を作ったのが見えて、殴られる、と頭で理解したときにはすでに頬に強い痛みが走った。 人を遠慮なく殴ったってのに、リゼルグは構わず僕の胸倉を掴み激しく揺さぶる。 「お前が●●さんを殺したのか!!」 「・・・」 なにも答えず、目の端にうっすらと涙を浮かべているリゼルグをぼんやりと眺める。 「答えろ!!」 あーあ。こいつどうしてこんなに怒ってんだろう。 たかが人間、1人が死んだだけじゃないか。 僕は口の端を無理矢理持ち上げて笑みを作った。 「だとしたら、どうする?」 「ハオォ!!」 リゼルグがオーバーソウルの構えをした。 「リゼルグ、ちょっと落ち着け」 この空気の中、冷静な葉の声。●●が倒れているほうから聞こえてきた。 僕とリゼルグはそろってそっちに首を傾ける。 「殺したのはハオじゃない。蓮が死んだときと同じような感じだから、たぶんペヨーテだ」 声と違わぬ冷静な判断。 「ペヨーテって・・あいつ死んだはずじゃ・・・」 「そこんところは後だ」 葉は自分の寝巻きが汚れるのも気にせず、すっかりと血の気のない●●の体を抱き上げた。 「ホロホロ、止血頼む」 「あ、ああ・・・」 「蓮は布団を敷いてくれ」 「仕方あるまい」 「アンナは着替えの準備を」 「・・・」 「竜とまん太は湯とタオルを。できるだけでかいやつな」 「わかりやした」 「わかった」 頼むぞ、と声をかけて、葉は最後にファウストを見た。 「ファウスト、できるか?」 「はい」 仕事を賜ったやつらは早足で部屋から出て行き、●●を抱えた葉もこの部屋から離れようとした。 なにやってんだ、こいつら。 もう死んでんだよ。 ●●の魂もここにない。 「・・・葉君、ボクも何か手伝うよ」 リゼルグは僕の胸倉を離し、彼らの元へ駆け寄った。 くだらない。くだらなすぎる。 「はは、ははは。バカだなあ」 小さく声を漏らすと、まだここに残っていたアンナ、リゼルグ、ファウストがこちらを見る。でも●●を抱えている葉は立ち止まっただけだった。 「ただの人間じゃないか。それに魂ももう完全に剥離してる。霊と無関係な●●の体に蘇生術は難しいんじゃないのかい」 「かもな」 たったこれだけの返事を葉に返され、僕は思わず言葉に詰まった。 彼はしばらくの沈黙を保ち、重く唇を開く。 「それでも、出会っちまったんだから放っておけん。おいらは、おいらができることをする」 どれも甘いやつが考えるようなことだ。 「はっ。くだらないね」 空回りし続ける虚勢。 「できることをしようともしないやつに言われたくねえ」 ガンと、頭を殴られたような衝撃を感じた。 「大切なものすら見極められないやつに、おいらは負けん」 「大切・・・」 そして葉たちは廊下に出て、他の部屋に去ってゆく。 「大切」 何度も何度も呟いて。 脳裏に浮かぶは数え切れないほどの記憶だった。 はじめはなかなか見せなかった笑顔も徐々に見せてくれるようになって、ああそういえば最近は●●の泣き顔しか見ていなかった、少しつつかれて意地になってすねていたときの表情も、くだらないことで本気で怒ってきた顔も、困ったときに浮かべる苦笑も、僕が密かに好いていたあの照れた笑顔も。 生気のないあの顔には映らない。 いまさら気づく、大きさ。 好きだ。何よりも。 「・・・っ」 僕は部屋を飛び出し、葉の後ろを追った。 空き部屋に集う彼ら。 その中心にはファウストと●●。やはり、すでに渡ってしまった魂を引き寄せて蘇らせるのは骨が折れるよう。 僕は邪魔な奴らを押しのけて、ファウストの横に立った。 見下ろした●●は、さっきと寸分たりとも表情を変えてはいなかった。 奥歯を噛みしめて感情を抑える。 「―――どけ、ファウスト」 「あ・・・はい」 汗をかいているファウストを追いやり、●●の傍らに座る。 「・・・お前らは出て行け」 背中の後ろのやつらに言う。 「ああ?」 癪に障ったのかホロホロが文句がありそうな声を上げる。 「ホロホロ」 葉がなだめるように言った。 しばらくして背後で複数の人間が立ち上がると襖が滑る音がした。 「・・・じゃああとは任せたぞ」 葉がそう言い、カタン、と襖が閉じられた。 「・・・」 そんなこと、言われなくてもわかってる。 「●●・・・」 冷たい頬に触れて涙の跡を指でなぞる。 「僕も好きだよ」 だから、生き返って。 巫力を捧げる。 確かに普通にシャーマンを生き返らせるより時間も巫力も使ったけれど、さほどきつい仕事ではなかった。 まだまだ青白い顔の●●をぼんやりと眺めていたら、タイミングを見計らったようにアンナが、竜たちが準備したのであろう、ぬるま湯とタオルを持って入ってきた。 「出て行きなさい。男は邪魔よ」 こんなときでも酷い言いようで、物を言わさず追い出された。 僕はボーっと廊下で襖の前で立ち尽くした。 他の部屋から物音がひとつもしないところからして葉たちはすでに眠りに就いたのだろう。 明日は大きな仕事があるから、ゆっくり休んでもらわないと困るしね。 しばらくの間、つらつらと取り留めのないことを考えて、僕は部屋の向かいの壁に背を預けた。 目を閉じ、正面の襖が開くのをじっと待った。 思い出すのは●●を殺したカラベラ。 おそらくペヨーテは自分がいつか死ぬことを悟っていて、前からカラベラ人形に巫力を注いでいたのだろう。 仲間を皆、殺すために。もちろんそれに●●も含まれていた。 ずっとタイミングをうかがって、誰もが油断したときに殺すように仕掛けた。 まったく、恐ろしいほどの執念だ。 30分ほど経って、ようやくアンナが真っ赤な湯の入ったたらいを持って出てきた。 彼女はまだ待ってたのかと言いたげな表情をする。 「・・・傷はきれいにふさがってたわ」 たった一言呟いて、そのまま素通りするのかと思ったら、彼女は僕の正面まで歩み寄ってきて濡れたタオルを突き渡してきた。 「いつまでそれ付けとく気?さっさと綺麗にしなさい」 そしてすたすたと廊下の闇の中に紛れてしまった。 なんだかよくわからないけど、とりあえず言われたとおりタオルで顔をこすった。 そうするとタオルにこびりついたのは●●の返り血。 また気分が沈んだ。 僕は顔をきれいにしてまた襖の中に入る。 布団の上に横たわるのは血液1滴も残さず丁寧に拭われた●●。布団も真新しいものに変えられていた。 また僕は●●の横に胡坐をかく。 少しだけ色づいた頬に、ほっと安堵した。 涙の跡も綺麗に拭き取られ、蘇生の際に共に治療した火傷も治っている。 僕はさっきのように再び●●の頬に触れた。 ひんやりと、でも温かい体。ゆったりと上下に動く胸。髪を梳くと小さく動く唇。 それだけで十分だった。 ●●の頬に唇を寄せて僕は潔く彼女から離れる。 明日は戦。 きっと●●は明日も明後日もまだ目を開けないだろう。 目覚めたときにはシャーマンキングがすでに誕生しているはず。 そのときがどうなっているのか。 「おやすみ、●●」 |