自分の体全体から漂ってくる薬品の香り。


 こればかりはシルバさんからもらった絆創膏じゃ間に合わなかった。

 自分の体に巻きつく大げさな包帯はアンナさんが巻いてくれた。たまおちゃんも怪我をしていたみたいだった。


 バリ、っとアンナさんとセイラームちゃんが煎餅をかじってる。落ち着いてるんだか何なんだか。


 あのあと、すぐに葉君が現れた。

 ハオはしばらくの間何も言わなかったけれど、やがて言葉を交わす前に森の火と鎮静化させ葉君と茶の約束をしてどこかへ行ってしまった。


 ハオがいなくなった後、葉君とアンナさんがいくつか言葉を交わす。

 聞き取れないけれど、きっと互いの安否を確かめ合う遠回りの言葉だったのだろう。


 私はじっとその場所で座って顔を伏せてた。

 時折、温かい不自然な空気を感じて顔を上げるけど、何もなかった。



「帰るわよ」

 背後に立ったアンナさん。

 首だけ回した私を見て少し顔をゆがめる。何か言いたげだった。

 アンナさんは私の正面の虚空を数秒見つめ、「あんたたちも来なさい」と呟いた。



 民宿についてアンナさんは真っ先に救急箱を持ってくる。

「火傷、手当てするからその前に水で冷やしてきなさい」

「大丈夫です、このくらい・・・」

「早く」

 アンナさんが完全に気にかけてくれてるのが伝わってきた。無愛想だけど、やっぱり優しい人だった。


「ありがとうございます」


 聞くところによると、花組も今この場所にいるらしい。

 自縛霊になられたら困るという理由であった。本当はもっとたくさんの理由があるのだろう。

 私は1人になるのも寂しくて、ただアンナさんがいる居間の隅でふさぎこんでた。

 部屋の空気が重くなるだとか怒られるかと思ったけど、今現在まではまだなにも注意されてない。


 そろそろほっとするけど、気持ちはずっとぽっかりとしたまま。

「・・・」

 笑いを誘うはずのバラエティ番組の声も、今はただの雑音にしか聞こえない。


 違和感のある腕や足や頬。

 なんだと思って触れれば、そこには包帯が、ということを何度も繰り返してもう嫌になってくる。


 ぶつけどころのない怒りと悲しみを押し付けるように、包帯の上から己の腕に爪を立てる。

 ぴりぴりと、火傷との相乗効果で結構な痛みになった。


 バカらしい。全部全部。

 さらに指先に力が加わって肉に爪が食い込もうとしたとき、力む手の上にまた温かい空気が重なった。

 はっとして顔を上げる。

 なにも見えないけれど、気のせいかもしれないけど、泣きそうなマリちゃんの顔が見えた気がした。

 私は体から力を抜いて、余韻で痛む自虐の痕を撫でた。


「つーかねえさん、こっちもこっちで大問題だぜ」


 ルドセブ君が眉間にしわを寄せた。

「いいのかよ。こいつらなんか連れて来たりして」

「仕方ないでしょ」

 アンナさんはさっき私に言ったことをルドセブ君にも言う。

 それを聞いてルドセブ君は不満げに舌打ちをした。


「どうせならあのままハオを倒しちまえば良かったんだよ」


 ・・・・・。

「強くなって帰って来たにいさんとねえさん、それにゴーレムも一緒に攻撃すれば勝てたかもしんねえのによ」


 庭に安置してあるゴーレムを指す。


 倒すって、勝つって、殺すってことじゃん。

 私はルドセブ君の横顔をじっと見つめる。

 まん太君が口を挟みたそうに口を開けたり閉じたりしてる。


「あいつ、すげえ悪い奴なんだろ」

「―――」

 私の周りの空気が揺らいだ。


「ルドセブ君!」

 我慢ならなくなったまん太君が声を上げる。

「なんだよ・・・・・・あ」

 ルドセブ君はじっと見つめる私に気がついて、気まずそうに視線をそらした。


 まん太君が眉を下げて私とルドセブ君を交互に見ていた。


「無理よ」

 割って入ったアンナさん。

「あいつはそれ以上に強いもの」

 アンナさんが言うのだから、きっとそれは事実であろう。


 安堵するのと裏腹に恐怖が走った。


 ハオの死と、ハオ以外の自分を含めた死と。


 天秤にかけどちらが重いかなど測ることなどできない。私情の念があれば尚更。


 アンナさんは手についた煎餅の粉を払って立ち上がり、窓辺に寄った。

「とにかく今はあたし達も態勢を整えるのが先決よ。そのために、あんたたちにも少し聞きたい事があるから」


 それがすんだら成仏させてやる、と感情の読めない声で花組に告げた。

 アンナさんは少しの間庭をじっと睨みつけ、くるりと振り返った。


「●●。あんたがハオのことをどこまで知ってるのか知らないけど、持ってる情報全部吐きなさい」


 じょうほう?

「・・・」

 私は目を細めてアンナさんを見た。


 嫌だからとか、嫌悪感があったからとかじゃない。


 考えてみれば、私はハオからなにも受けてはいなかったから。そのことに改めて気づいたから。


 アンナさんはなにも答えない私を不審に思ったのか、少し眉間にしわを寄せた。


「世話になったってのに、情報だけはずっと隠し持ってるつもり?」

 違う。

 それでも私は口を閉ざして、俯いた。

 アンナさんがまた口を開いた。けど、それは声になる前に止まり、何かの声を聞いているかのように止まってから、その唇は閉じられた。


「・・・そう。なら、世話し損だったってことね」

 ふうとため息を疲れる。何がわかったのかわからないけど、どうやら私がなにも知らないことを理解したようだ。


「じゃあ、●●。あんたもこれからハオと戦う身としてこれだけは覚えときなさい」


 いつそうなったのかわからない。だけどきっと、そういうことならそういうことなのだろう。

 私がアンナさんを力なく見上げる。

 アンナさんも揺らがない瞳で私を見据えていた。


「・・・ずっと笑顔でいなさい」

「は・・・」

 ふいとはずされた目は、また外に向けられた。


「そうでもしないと、暗い顔のがいたらこっちの士気が落ちるわ」

「・・・」

 唖然とした。


 まさか今になってこんなことを言われるとは思いもしなかった。

 返事もできずにアンナさんの背中を見続けるけど、彼女は顔を向けようとはしてくれなかった。


「アンナさん・・・」

 まん太君が緩んだ顔で呟く。まん太君はなにやらを感じ取ったらしかった。


 アンナさんがまん太君を余計なことは言うなとでも言いたげに睨む。


 鈍った頭ではそれの深い意味を汲み取ることはできなかったけど、少しだけ、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。




 浮き沈み、また浮いた。

 次は沈む番、沈む晩。






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