「う・・・っ」 揺れる視界を何度も拭って、体力の限界を超えても足を動かし続ける。 ハオがどこにいるかわからない。だけど走る。走らないといけない。 木々は少しずつ深くなり、自分が森に入ったということを理解した。 どこまでも深くなる森を走り続けていると、急に視界が開ける。 「っ」 どうやら森の中でも木が生えていない、草原にたどり着いたようだ。 そこで私は何かを違和感を感じて足を止める。 切れる息を整えながら広く周りを眺め見た。 せわしなく視線を動かしてるうちに、目に留まったのは2つの人影。 1つはすぐにわかった。 「ハオ」 早く知らせなきゃ。 足を踏み出したとき、見えたのはもう1人の人影。 「アンナ・・・さん?」 意識的に足を止める。 ぐっと喉が引きつる。 個人的に、すごく嫌な組み合わせだった。 でも今はそんなこと言ってる場合じゃない。 私は構わずその2人に駆け寄った。 「ハオ!」 「●●…!何してるの、早く帰りなさい!」 私の呼びかけには、ハオではなくアンナさんが目を吊り上げて叫んだ。 でも私はアンナさんの言葉を無視してハオに訴える。 「ハオ、海岸で皆が・・・!!」 「そうか」 「!?」 なにも言ってない。 なのにハオは血を流しているのにもかかわらず笑顔で、全てをわかったかのように頷いた。 ハオは私を見ていない。曖昧な表現じゃなく、ハオの目は本当に私を見ていないのだ。私ではなく、私の後ろを見て。 「それはちょうど良かった。霊力が足りないんだ。魂を喰わせろ、花組」 「ハオ・・・?」 花組? どうして?ここに皆はいないはず。 魂って・・・。 眉間にしわを寄せて、そこでまさか、と思い至った。 バッと後ろを振り返るけど、私の目には何も映らない。 そしてもう一度ハオの目を見る。 「―――」 ――気づきたくなかった。 皆には見えて私には見えないもの、そしてハオの言っていた『魂』。 間違いない、花組の3人が・・・死んだ。 もうやる気すら起きない。 崩れるように草の上に座り込んで、私は手元の柔らかい草を握り締めた。 結局間に合わなかった。 悔しくてぎゅっと目を閉じると、生々しい音。 「甘えてんじゃないわよ」 アンナさんがハオを容赦なく蹴り上げていた。 ハオは衝撃で軽く飛び、地面に伏してしまった。 「ハオ・・・っ」 慌てて駆け寄ろうとしたけど、アンナさんが作り出した鬼が行く先を封じて行くことができなかった。 「こいつはあんた達の事なんて、なんとも思ってない。こいつは、誰も信じてなんかないのよ」 ズキリと痛んだ。 「こいつは、あたしが今ここで殺してやる」 アンナさんは汗をかき、立っているのも、やっとという感じである。 「アンナさん・・・!」 やめて、と叫ぶのを途中でとどまったのは、ハオが静かに笑みをこぼしたから。 「フフ・・・ククク・・・あははは!」 なんの前兆もなしに空高く舞うハオ。 完全に異様な空気を纏っている彼は昔の面影などないように思われた。 「信じてるさ」 ハオは薄く笑みを浮かべる。 「少なくと君だけはね、アンナ」 ハオの唇から発せられたのはやっぱりアンナさんの名で。少しでも期待してた自分はバカみたいで、それに勝手にショックを受けてることも本当にアホらしい。 『●●・・・』 同情するような声が耳元で名前を呼んだ気がして振り返るけど、もちろん誰もいなかった。 「君の呪詛返し、あれは実に見事だ」 額の血を拭い、アンナさんを賛嘆する台詞を吐き続ける。 なんでこんな状況で嫉妬なんてするんだろう。前からハオがアンナさんのこと好きだったのは知ってたのに。アンナさんはすごく不利な状況なのに。 「ますます、君のことが知りたくなったよ」 ハオは真横に腕を伸ばした。 何をするのかと目を細めていると、ハオの手のひらから閃光が放たれた。 その閃光は大きく弧を描いて私のほうに飛んでくる。 頭が追いつかなくて、眼前に迫ったその光線を避けるなどと言う考えがない。 直撃する。 そう思われた一閃はアンナさんの横にいた鬼が前に立ちはだかって代わりに受け止めてたおかげで、私自身が受けるという事態は免れた。 でもその光線を受けた鬼はぼろぼろに崩れ去ってしまった。 それなのにアンナさんは顔色を変えず、さらには言葉に軽蔑の意を込めてハオを睨んだ。 「あんた、●●がいるの、見えてないの?」 「●●?」 子供のように首をかしげたハオ。 その黒い目はゆっくりと移動して、アンナさんの後ろで立ち尽くしてる私を捉えた。 「ああ・・・」 ハオの目はにこりと弧を描いた。 今まではそんなことなかったのに、背筋が凍るような、変な不気味さを感じた。 「ハオ・・・」 「●●か。いたんだ」 ぎゅっと苦しくなる。 服の端を握って、私はハオを見つめ返した。 「君も物好きだね。こんなところまで来ちゃうなんて」 呆れた、とでも言いたげに肩をすくめる。 私は思いのうちを言おうとするけど唇が開いてくれなくて、じっとハオの言葉を受ける。 「・・・。どうしたんだい●●。今更また戻って来たいなんて言うのかい?」 ビクリと反応してしまう。 「そんなの・・・」 そんなの、戻りたいに決まってる。 ハオの意志を受け入れたわけじゃないけど、一緒にいられるなら。 ハオはまるで私の心の中を覗いたように、鼻で嘲るように笑った。 「そういうの、わがままっていうんだよ」 そして笑顔だったハオが、すっと目を細めて睨むように私を見た。 「・・・本当に僕もどうかしてたな」 「・・・」 何を言われるのか、怖い。すごく。 「こんな人間、どうしてそばに置いてたのかわからないよ。僕の理想を理解できないやつ」 唇を噛んで、じっと耐える。 ハオは不快そうに眉間にしわを寄せたけど、すぐにそれを打ち消して唇に笑みを浮かべた。 「●●」 語りかけるように名を呼ばれる。 優しい言葉が返ってくることを望むけれど、それも一瞬で打ち滅ぼされた。 「もう君はいらないよ」 「!」 短い言葉。 だけどそれは今までのどんな言葉よりも深く突き刺さった。 足が震えて、指先が冷たくなる。 何かの間違いであってほしいと喉を引きつらせながらハオを見上げるけれど、もう私の頭の中は真っ暗だった。 何を言われても我慢しようという意思はあった。 「死んじゃえ」 でも、これは反則だと思う。 立て続けのショックに、さらなる追い討ち。 「―――」 涙なんか出なくて、言う言葉も見つからなくて、ごまかすように私は苦笑した。 無表情のハオは私から興味を失ったように視線をアンナさんに移して笑みを浮かべる。 アンナさんとハオの会話が、まるで水の底から聞いているかのようにくぐもっている。 力を失った腕はだらりと垂れ下がった。 本当にもうこの場所にいたくない。 こういうところが『わがまま』なんだろうね。ほんと、ハオの言うとおり。 ふらふらと皆に背を向けて足取り重く進む。 「どうしてかわかるだろう、アンナ」 こんなときでもハオの声だけはしっかりと聞いてしまう。 聞かないほうがいいのに。 「君を傷つけたくないからだよ」 もういい。 諦めて目を伏せようとしたとき、腕や足、顔にひどい痛みが走った。 「あつっ!!」 とっさに身を引いて、草の上にしりもちをつく。 「・・・」 目と鼻の先には、轟々と燃える炎。 アンナさんとハオを中心にして、取り囲むように燃えていた。 じんじんと痛む体。どうやら軽く火傷をしてしまったらしい。 それが、痛くて痛くて痛くて痛くて、驚くほど痛くて、目頭が熱くなった。 痛いのは火傷か否か。 私は炎から距離を置くこともせずに、その場で足を抱えてふさぎ込んだ。 |