一瞬。君がひどく悲しそうな顔をしたから、俺は言おうとしていたことを言いそびれた。
Shaken you!
動揺を悟られまいと、ごく自然に彼女の肩に手を置く。
「何かあったのか」
「ううん、何でもないよ」
何でもないならなんで朝からそんな顔をする。
しかしその言葉を口にはせずに、代わりにやんわり笑ってみる。
「ならあんま辛気くさい顔すんな、らしくもない」
「ありがと、でもシリウスには関係ないよ。心配しないで」
一拍置いてから、そうかと返した声が掠れた。立ち去る彼女を引き止めなければならない気がしたけれど、何も言葉が出てこない。
結局、開いただけの口を、再び閉じた。
『関係ないよ』
ただそれだけの言葉に傷ついた自分がいた。
一体どう受け取ったらいい。原因は俺じゃないと安心させてくれたのか、それとも自分が悩んでいることなんてお前には関係ないのだという最後通牒か。
授業中も休み時間も悶々としているのは、今日が普通のウィークデイじゃないことも手伝っている。
陽も暮れる前から辺りは賑やかだ。脅かし脅かされ、何処かでは悲鳴があがり、何処かでは笑いが起きる。
ああ、あれはゾンコの新商品だなと目の端に映った騒ぎを分析してから、俺は溜め息をついた。
なんで今日はハロウィーンなんだろう。
朝起きてから一番に考えたのは、まず真っ先に彼女に決まり文句を言おうということだった。
それからふたりで授業を受けて、ふたりでご馳走の夕食をいただいて……。妄想、もとい計画は完璧だった。しかし出鼻を挫かれてこのザマだ。
一体どうしてすれ違うはめになったのが昨日でも明日でもなく今日だったのか。日頃の行いに対する神の鉄槌か。マズい心当たりがありすぎる。
遠くで女友達と笑い合う彼女を見つけてやるせない気持ちになった。なぜあの場にいるのが俺じゃない?
気にすることはないさと心の隅で別の自分が囁く。心配をかけたくなくてきっと彼女は俺を突き放したんだ。ここは『やっぱり今日のお前変だぞ、何があった』と無理にでも問うのが男ってもんじゃないのか、と。
なのに自信が無くて動けないなんて今更ここでヘタレ発動してどうするっていうのか。
しかも皮肉なことに彼女の笑顔は陰を落とすほどに綺麗になっていた。
いよいよ夕食の頃になって大広間前で目があったときは文字通り骨抜きにされるかと思った。
この期に及んでなんでそんな優しい顔で俺を見る。目があったのになぜ話しかけてこない。なぜ話しかける勇気がでない。目の前のご馳走の味を楽しむ余裕なんてなかった。
悪友たちには「今日の君、静かすぎて気持ち悪いよ」と言われたがそんなの知ったことか。早々に食べ終えた彼女がひとり大広間を去ってゆくのを見て、俺も急ぎ席を立った。
大広間を出て寮へと戻る廊下を駆け出す。あたりにもう彼女の姿はない。
あの角を曲がってその先にもいなければこっちではないかも知れないなと思ったその角を曲がって、――それからの一瞬、俺には何が起きたか理解できなかった。
「ハロウィーンは楽しめた?」
気がつくと追いかけていたはずの彼女の顔がすぐ目の前にあった。背中には壁。なんだこの状態。
しかもなんだか自信げな笑み。さっきまでの弱々しい表情はどこに落としてきたんだと問いつめたくなったが、この状況はおそらく彼女に主導権がある。
その瞳に灯る光に見覚えがあった。ああそうかと俺は唸る。
”悪戯が成功したときの目”だ。
「……どっから演技だった」
「朝から全部」
「ぜんぶ……?」
「まさかこんなに簡単にひっかかってくれるとは思わなかった」
くすくすと笑う彼女に、体中から力が抜けてゆくのがわかった。
「どう? たのしかったでしょう」
「楽しいも何もあるか!」
喚いた俺にも余裕の笑みだ。
なんでいつもと形勢逆転してるんだ。
どうしてこんなに寒いのに俺だけこんなに熱いんだ。
わからないことだらけだ。
「でもちゃんと選ばせてあげるよ」
そこで彼女は言葉を切り、唇を湿らせた。
その動作すらまともに見ていられない。
「悪戯か、ご馳走か」
なんだかやけに息がしづらくて戸惑いながら、俺もなけなしのプライドを繋ぎ止めて対抗した。このままやられたら悪戯のプロとして情けなさすぎる。
「選ばせる前に悪戯かましてきたのはどっちだよ」
「いつもやられっぱなしなのは嫌だったからね」
「にしてもよりによってハロウィーンにだなんて、お前がそんな性悪だったなんて知らなかった」
「あっれー、ほんとに別の人のところに行っちゃってもいいのかな」
「おおおう今の嘘だ前言撤回。あなたは俺の女神です性悪なわけがありません」
弁解を述べると彼女は俺からようやく離れ、腹を抱えてくつくつと苦しそうに笑った。
「ひっでえ。本気で焦ったのに」
俺が苦笑すると、彼女は顔をあげて表情を崩したまま言った。
「ごめん、大好き」
ちくしょう、今日はことごとく完敗だ。
END
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