さよならメランコリー


俺だってたまには憂鬱にもなる。



来客を告げるチャイムが静寂を破った。午後5時、辺りはもう暗くなっていた。
手にしたマグカップを置くと、俺は玄関へと向かった。

「誰だー、こんな寒い時間に」

言いながら扉を開けると、白い物体が体当たりをかましてきた。いてえ、なんだよコレ。
衝撃をくらった腹部に手をやると、白い物体(よく見ると布?)が妙な声で叫んだ。

「トリックオアトリート!トリックオアトリート!お菓子くれないといたずらしちゃうぞ!!」

途端に俺はすべてを理解した。

「お前か!」

頭と思われる部分をわしづかむと、うへぇと聞き慣れた声が聞こえた。

「なんでわかっちゃうんだよー」

白い布を取り払って、少女は頬を膨らます。

「いやいやそんなメチャクチャな英語で隠してるつもりだったの」

俺は彼女を家へ招き入れながら呆れた。

「えーっ、英語は下品だ嫌いだなんて言ってる人に言われたくない!」
「皮肉なことに知り合いに英語圏の人間が多いもんでね」

俺は自嘲気味に笑った。本当に、皮肉なことに。




「その格好、ハロウィンのつもり?」

俺は黒い衣装を軽く指差して訊いた。

「そうだよ、魔女! 似合う?」

彼女はスカートをなびかせてくるりと回った。

「似合ってるよ、とても」

その無邪気さが眩しくて、思わず目を細めた。


「だけど、この辺あんまハロウィンらしくないね。もっと飾りとか派手にやってんのかと思った。子どもたちも見かけなかったし」

向かいのソファに腰掛けた彼女は、窓の外に目をやりながらそう言った。

「そりゃハロウィンはアメリカのお祭りだからね」

俺がため息と共に呟くと、えっそうなのと彼女は目を丸くしてこちらを見た。

「おい、脅し文句が英語の時点で気づけよ」
「脅し文句?」
「トリックオアトリート」
「うわあ、脅し文句とか。……でもカトリックなのに?」
「そりゃ関係ないわけじゃないけどさ。あんな風に騒ぐのはアメリカくらいだから」
「えー、なんか寂しいな」

彼女はスカートの裾についたレースをいじりながら俯いた。

俺も黙る。


沈黙が落ちた。



今朝から頭痛がやまなくて、どうしたのかと思ったら10月31日だった。

時々やってくるこの種の憂鬱。

闇に引きずり込まれるように、俺は目を閉じソファへ沈み込んだ。



「どうしたの、風邪?」

ひやりと冷たい掌を額に感じ薄目を開けた。

「ううん、ちょっとね」

腑に落ちない顔をして、だけど彼女は何も訊かず、俺の隣に腰掛けた。

再び沈黙。



「ハロウィンって何の日だか知ってる?」

暫くして俺は口を開いた。

「え、」

呟くなり黙り込んだ彼女を見て俺は続けた。

「万聖節前夜を祝う日。明日が万聖節っていって全ての霊を敬う日なんだけれど。その前夜、つまり今日その霊が降りてくるって言われてる」

舞い降りる雪でも掴むように手を伸ばした。何もない。




彼女は話の行き先が見えない、という顔をしていた。はなしたところで、君にはきっと分からないだろうけど。

「つまりね、俺みたいにずっと存在してるとさ、色んなことを見て知ってるわけ。色んな人が生まれて死んでくのをこの目で見てきた。君が教科書でしか知らないような人たちも、ね」

彼女は黒い目でまっすぐ俺を見て、小さく頷いた。

俺はあんまり重く聞こえないようにさらりと言う。

「だからたまに、あの時ああしてよかったのかなって思っちゃうんだよね」




馬車の音、ガスランプの匂い。

全ての戸が閉められて人の気配すらしないシャンゼリゼを、今でも鮮明に思い出せる。



「色んな人が降りてくる。俺のせいで死んだ人も当然いるよ。そう考えると、責められてるような気がして、つらい」

闇に呟く。

だって神様、俺だけ死ねないなんてそんな道理あるかよ。



すると、ふいに手が重ねられて顔をあげた。
彼女の手はこの寒い中でも温かかった。

「その"色んな人"の中には、好きな人もいた?」

彼女が問う。

「さあね」
「……いたんだ」
「え?」

隣を振り向けば、彼女は優しく笑っていた。
すべてを知っているのではないかとすら思える優しい笑顔で彼女は言う。


「寄りかかっていいよ」


俺は言葉を失った。
心の奥の方に何かがぶつかったみたいな衝撃。

彼女は、ほらと言って自分の肩を叩いた。

俺は迷いながらその肩に頭を預けた。


彼女は重ねていた手を組み換えると優しく握った。



「誰も責めたりなんかしないと思うよ。少なくとも私は、会えてよかったと思ってる」


肩を通して頭に直接響いてくる言葉。

本当に、そうだろうか。

俺はいくつもの懐かしい顔を思い浮かべた。



「だって重要なのは、なんで死んだかじゃなくてどう生きたかでしょ。それに、一番歓迎しなきゃいけない立場なんじゃないの、その人たちを」



鎖が、音をたてて外れていく。頭の奥の奥のほうで。

「そうかもね」

俺は小さく笑って呟いた。きっとそうだよ、と笑う彼女の顔は見えない。それが何故か急にもどかしくなって顔を上げた。



今は、この笑顔を記憶に焼き付けたい。



俺が顔を見つめると、彼女は首を傾げてなに、と訊いた。

なんでもないよと俺は笑った。



そして、どちらからともなく口づける。




このまま時が止まってしまえばいいのに。

久しぶりにそんなことを思った。



さよなら、俺のメランコリー。


END










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