Dear Garnets
落下する。
着地の衝撃で蓋が開き、中から細かい紙が溢れた。それから金属が床に衝く音。
「わっ、すみません」
私の腕でもあたったのだろうか、教卓のうえに山と積まれた物の一部を崩してしまったらしい。落ちたのは小さな木箱だった。
「何事だ、騒がしい」
薬棚の陰からスネイプ教授が姿を現す。まだ居たのかと言いたげな、厳しい視線だった。しかし私が落とした物を見て突然表情を消してこちらにやってきた。
私は慌ててしゃがみ、落とした物を拾う。細かい紙の緩衝材の中に埋もれていたのは、親指の爪ほどの小さな懐中時計。箱へ詰め直す手前で思わずそれを見つめると、上から伸びてきた手に取り上げられた。
「綺麗な時計ですね、先生のものですか」
その小洒落た雰囲気が少し珍しいとも思った。
「貰い物だ。捨てるつもりで置いてあった」
無表情を続けながら頭上で教授は呟く。
「それにしては年季の入った箱ですね」
木箱が新しい物では無いことにはすぐ気付いた。だから恐らく、時計も最近貰ったものではない。
「置いたまま忘れていたのだ」
そう口にした渋い顔は、ほんの一瞬、意地をはった子どもみたいに見えた。
「……大事なひとから貰ったんですね」
かまをかけるようにそう言うと、無表情は再び険しさを帯びた。
「無駄話を続けるのならば即刻退室願うのだが」
口調こそ厳しかったが本気で怒っているようでもなかったので、これに目礼で応じると私は続けた。
「捨てるでも使うでもなく置いてあった理由は何ですか?」
訊くと教授はちいさな時計をこちらに見せるように鎖で揺らしながら自嘲気味に笑った。
「紅い石の付いた時計を使えと?」
見るとたしかに文字盤の1の部分に紅色の石がはめこまれている。グリフィンドールを想起させる色だ。でも……。
「これ、ルビーではありませんよ」
「どういうことだ」
「ルビーはもっと明るい透明感のある赤です」
文字盤の小さな小さな鉱石は、赤黒い深みのある色だ。
「ではこれは?」
「ガーネット、だと思います。ご存知ありませんか」
無言で教授は時計を眺める。
「……先生、もしかしたら1月生まれなんじゃないですか」
ぱっと顔があがる。それで答えは分かったようなものだ。
「ガーネットは1月の誕生石なんですよ」
「誕生石、なんだそれは」
「あぁ、男性はそういうの疎いかも知れませんね……とそれ以前にマグルの文化でした、すみません」
スネイプ教授は怪訝そうな顔でこちらを見ているけれど、この時計についてならどんな情報も欲しい、そんな風にみえた。
贈り主は、誰?
「誕生石というのは誕生月ごとに決められた宝石のことですよ。マグル界ではエンゲージリングに相手の誕生石を選んだりしますね」
「1月の誕生石が、ガーネットなのだな」
私は頷いた。
「マグルの文化を知っている可能性のある方なら、そのつもりで贈ったのだと思いますよ」
教授は私から木箱も取り上げると、その時計を丁寧に納めた。そして独り言のように1月、と呟いた。
聴かなかったふりをした。
今の今まで私と話していたのに、まるで私はここにいないような空気になる。なんだかちょっと、悔しい。
時計を渡しただけで、込めた思いを説明しなかったその人に、どんな思い入れがあるの。
そうして初めて私は、この全く隙の無いように見える孤高の教授にも「過去」があることを思い知らされた。
私にとっての先生は、周りの景色に決して滲むことはなく、断固として今に存在しようとする神のような悪魔だった。
しかしここにいるのは、神でもなければ悪魔でもない。過去を懐かしむことのできる生身の人間だ。
唐突にそれが私に現実を見せた。
「それに、石にはそれぞれ意味があるんですよ」
教授の意識がまた目の前の私に戻ってきた。私はその瞳に対峙して、自分にとってとどめになるだろう言葉を続けた。
「ガーネットの石言葉は、真実の愛」
教授はゆっくりと目を伏せて、木箱を机に置いた。
「もう次の授業が始まる。君も早く行きたまえ」
今度は私も素直に従った。
プレゼントに誕生石を贈るなんてこまやかなセンスの持ち主なら、石言葉まで理解していたんだろう。
真実の愛を贈っただけで、その先を伝え損ねたひと。
それは多分、先生の真っ黒いローブの下に隠された過去の中のひと。
END