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The blindfold







いつだったか、何かの授業で隣だった人が、今また偶然隣にいた。






たしかそれは数週間くらい前。長机の端に腰掛けていた私の、通路を挟んで隣に座っていた男の子だった。やたら長い前髪を、目にかかるのも気にせず下ろしていて、私はそのうっとおしい前髪が目の端に映るたび気になって課題をまともにこなせなかったのを覚えている。



見ると今日も相変わらずのヘアスタイルである。

遅れてきたその前髪さんは他に席の空きが無くて、私がひとりで陣取っていた一番後ろの長机に遠慮がちに座ってきた。

私は「気にしませんよ」と目で訴えようとしたが、肝心の相手の目は見えず伝わったかどうかはわからなかった。



午後一番なだけあって、それはとても退屈で時間がもどかしいほどゆるゆると過ぎる授業だった。

にもかかわらず前髪さんは、何をそんなに書き留めているのか絶えず羽ペンを動かしている。それに無意識なのだろうが、その羽の先端が長い前髪をいちいち揺らしていて、ぼんやりしていた私にはそれが可笑しくてしかたなかった。



午睡を誘う柔らかな日差し、単調な先生の声、ペンが羊皮紙をこする音、揺れる髪。



世界にその4つしかなくなった瞬間、先生が終業を告げた。一気に教室は賑やかになった。我に返る。


「ねえ」

動き出してしまった時間を止めたくて、私は思わず声をかけた。
前髪さんは自分が話しかけられているのだと気づくと、驚いたように肩を揺らしてこちらを振り向いた。

「その前髪って何か意味があって伸ばしてるの?」

頓狂な質問だなと自分でも思う。不自然な間があく。

「……意味が無くてはいけないのか」

予想外の答えだった。なんとなくだけど、理由もなく行動する人には見えなかったから。

「いや、ありそうだなと思っただけ」

すると前髪さんは、私に向かい合ってちょっと動きを止めた。

「まぁ、あることにはあるが、それを初対面の相手に伝える気にはなれないな」

どうやら私の読みにちょっとばかり感心してくれたらしい。

「それは、お説ごもっともです」

私が苦笑いすると、前髪さんも笑ったような気がした。目が隠れていると、なんとも表情が読みづらいなと思ってから、あぁそれが理由なのかもしれないと漠然と納得した。


「でもきっと前髪分けたほうが明るく見えるよ?」

そう言って私はちょっとした冗談のつもりで手を伸ばし、その前髪をかき分けた。





瞬間、私の目が彼の目を捉え、



ぱしんと乾いた音が響いた。







彼はばさりと身を翻して私物をひっつかむと、足早に教室を出ていった。残された私はひとり呆然と背中の残像を見ていた。



叩かれた右腕が熱をもち、痺れたように感覚が消えていく。



私は、私は、ひどく混乱しそして後悔していた。

彼を怒らせたことに対してではなく、自分の行動に対して。



「前髪さん」は、「前髪さん」のままでよかったのに!

彼の瞳など見なければ、私は彼をひとりの人間として見なかっただろうに!

なんで余計なことをしたんだろう!





彼の驚いた闇色の目と、持ち物の隅に記されていたその名を反芻して、私は暫くそこを動けなかった。


(end)