乗ってきた車のドアガラスを鏡代わりに最終確認。上下前後左右、毎回のことながらパーフェクト。
背筋を駆け抜けるぞくぞくとするこの感覚は仕事に取り掛かる前に似ている。
それまで飲んでいたコーヒーの缶を捨てて、部屋へと繋がる階段を上がる。これからどう立ち回るか、シミュレーションも完璧だ。その通りに上手く事が運べばあるいは……。
この作戦は、いつも彼女をさりげなく独占しちまうあいつにジェラシーを感じたことから始まった。……ジェラシーって言うよりはずるいって方が正しいかな?
俺たちだって同じ仲間なんだから、たまには一緒に仕事をしたいし同じアジトで生活したい。
あわよくば、なんて期待もしたいじゃないか、男なら。彼女と仕事したり同じアジトで生活したことが全くないというわけではないけれど、それこそ片手で数える程度しかしていない、特に後者。
ちなみに俺とあいつ以外のもう1人はこの計画を話して協力を要請しても首を縦に振ってくれなかった。あいつがいたら、信憑性が増したかもしれないってのに。分かってない。
綺麗で強くて、それでもって真面目な彼女には、不二子とはまた違った魅力がある。表向きは人気劇団の舞台女優だから、俺以外にも憧れてる奴らが世界中にわんさといる。
そんな彼女に最初に目を付けたのは俺なのに、あいつはいつの間にか彼女を横からかっさらって行きやがった。ちくしょうめ。俺は不二子が好きだけど、彼女のことだって同じくらい好きなんだ。
──なあ、いつも彼女と一緒にいておいしい思いしてるってんなら、今日1日くらい俺に譲ってくれたって罰は当たらないだろう?
たとえ地球の反対側にいたって、お前たちのことはよーく分かってるんだぜ。
だから悪く思うなよ、俺はお前とは違って女は無条件で大切にする主義なんだ。

□■□■□

彼女とあいつが暮らす部屋の前に着いた。今日彼女が1人で部屋にいることは既にリサーチ済みだ。ノックかインターホンを鳴らすか迷ったが、ここは無難にインターホンを鳴らすことにした。時代を感じさせるようなかなり古いアパートでもないから、今頃室内モニターに俺の顔が映っているだろう。
さて、彼女はどんな顔でドアを開けるかな?
「──どうしたの、連絡もなしに急に帰ってくるなんて……」
ありゃりゃ、てっきり喜んでハグの1つでもしてくれるかなと期待してたが、こいつは予想外。驚かれちまった。わざと連絡を入れてなかったから警戒させちまったか?というか、あいつ……帰る前にはいつも律儀に連絡入れてたのか?そんな姿、想像出来ない。
「何かあった?」
小首を傾げる動作が自然で可愛い。普段の俺ならここでぎゅっと抱き締めちゃうところだけど、今の俺は俺であって俺じゃない。だから我慢だ、我慢。
内なる衝動を抑えて、緩みそうになる口元を引き締めて彼女をじっと見つめる。
そして、様子がおかしい俺に一歩近付いた彼女の腕を取って、何も言わずに抱き締めた。
もちろん、その際中に入ってドアを閉めることも忘れない。腕の中に閉じ込めた彼女の身体は華奢で、あまり肉付きが良いとは言えなかった。むちっとしたグラマラス体型の不二子との違いはこんなところにも表れている。……いや、むしろこれはちょっと痩せすぎじゃないか?
「ご、五右ェ門……?本当にどうしたの」
「お主に急に会いたくなった」
息を呑む音が微かに聞こえ、やがてゆっくりと上げられたその顔は真っ赤だった。おや、直球に弱いのかな。それとも……大好きなあいつに言われたからかな?
何はともあれ、最初の失敗なんか全然気にならないくらい作戦は上手くいっている。これはマジで……あるかもしれない。
「心配をかけたな」
「別に大したことないわ。それよりずっとここにいるのも変だし、上がらない?」
うんうん、そうする!……じゃなくて、その前にやっときたいことがあるんだよな。今日はそれのためにここまで念入りに準備をしてきたって言っても過言じゃない。
離れようとする彼女をぐっと引き寄せて、その顎を持ち上げる。彼女は一瞬驚いたようだけどすぐに意味を理解したのか、そっと目を閉じた。……睫毛長いなあ。
ほんのりピンクに色付く唇は見るからに柔らかそうだ……いざ!ちゅー……
「──名前に何をしておる」
チャキッと首筋に当てられた刃の冷たさが、夢見心地だった気分を一気に現実へと引き戻したようだった。
開け放たれたドアから吹き込む風と共に背中を刺すのは、振り向かなくても分かるくらいあからさまな殺気。
「今すぐ名前から離れろ。たとえお主とてこれ以上名前と拙者を愚弄するつもりならば容赦はせぬぞ」
「……わーったよ」
あーあ、いつもあと一歩のところで失敗しちまう。何がいけないんだろうなあ……おっと、名前に謝らないといけないな。
確かにあいつの言う通り、からかってた訳だし。
「ごめんな、名前。そういうことなんだ」
「あら、言われなくても分かってたわ。ルパンだったってことぐらい」
「え、ええ?」
五右ェ門の顔のマスクを取った俺に、名前はにこりと笑いかけた。
「キスした後でルパンなんでしょ?って言ってびっくりさせようと思ってたの」
「なあんだ、そうだったのか。俺ってばてっきり気付いてないもんだとばかり」
「ふふっ。まだまだツメが甘いわね、天下の大泥棒さん」
さすが人気劇団で活躍する舞台女優なだけのことはある。全然気付かなかった。
「ルパン貴様……!!何故このようなことをしたのだっ」
「そーんなに怒るなよ、五右ェ門。未遂なんだからいいじゃねェか。俺はこの通りハグしかしてないぜ」
「拙者に化ける必要があったのかと言っておるのだ!」
やれやれ、このお侍にも困ったもんだ。
もう種明かしも済んだっていうのに、今にも斬りかかってきそうな勢いなんだから。
元はと言えば五右ェ門、お前が名前をほったらかしてばっかりなのも原因の1つなんだぜ?
「そりゃあお前……それは、なあ?」
「五右ェ門の姿の方が騙しやすいってことでしょ?実際私も騙されかけたわけだし」
「……そういうこと」
何だか名前の言葉がぐさりと刺さる。もしかして名前、実は怒ってる?
「それはそうと急に帰ってくるなんて珍しいじゃない、五右ェ門」
「お主の携帯に少し前に連絡を入れたのだがそれどころではなかったな」
「そうだったの?そうね、ごめんなさい、気付かなかったわ。でも元気そうで良かった。おかえりなさい」
「あ、ああ……ただいま」
五右ェ門ちゃんたら顔赤くしちゃって。
これじゃまるっきり夫婦でないの、おふたりさん。
そんなにラブラブだったの?で、結局俺は2人に協力しちゃったってわけ?なんだそりゃ……やってらんないぜ全く。
「上がって、何か作るわ。少し待ってもらう形になっちゃうけど、ルパンもどう?」
「いや、俺はいいや。悪いな」
去り際五右ェ門の肩を叩いて外に出る。勝ち目がないのは明白だから、邪魔者は早々に退場するに限る。
この寂しさは次元を付き合わせて朝まで飲むことで少しは紛れるかもしれない。

「ルパンっ」
いつもの服装に戻ってポケットから携帯を取り出したところで、後ろから名前が走ってきた。
「名前?」
「今日は来てくれてありがとう。また来て、待ってるから」
「そりゃ嬉しいな。何回でも遊びに行っちゃうかも」
「今度は五右ェ門の格好して来なくても大丈夫よ?」
悪戯っぽく微笑む名前につられて俺も笑う。その次の瞬間、名前に触れるだけのキスをされたことは、あいつには死んでも言わない。
「お返しよ!またね、ルパン!」
……俺の気も知らないで!そんなことされたらもっと好きになっちゃうでしょ、名前ちゃんてば!

110730
Thanks:水葬
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