「先生。その本、面白い?」
ほんの少し開けた窓の外からは微かにピアノとリコーダーが混じって聞こえてくる。
俺だって本来ならその音の中に居なくちゃならない、それは日本の法律で決まっていることだ。義務教育云々で。
音楽室から聞こえてくる音をBGMに、俺は保健室のベッドで読んでいた漫画を放り投げた。
「面白いわよ。先生の好きな作家さんの本なの」
俺のサボリを見つけても他の先生みたくうるさく言わず俺の前でハードカバーの本を広げている女の人だって、先生だ。ちなみに美術の。
先生の手の中の本は濃い緑色の背景色に明朝体?ゴシック体?とりあえず教科書の書体とは違う書体でタイトル名と作者名が書かれている。図書委員でもない限り普通に生活してりゃ関わりのなさそうな本だった。
「ふうん……それ、先生の?」
「いいえ、学校の図書室にあるものだけれど…」
じゃあ先生が返却したら俺も借りられるな…って何を考えてんだ俺は。
「藤くんもこの本に興味があるの?」
何も知らねーガキみてェな眼差し。この人は自分の好きなこととか興味のあることになると途端にこういう目になる。年齢だってかなりとは言わねーけど俺たちとはそれなりに離れてるはずなんだが、その目を見ると同い年か年下の奴を相手にしてるような気になっちまう。
「ちょっとだけ。漫画も最近飽きてきたし」
だから心の奥底に隠してることとかをうっかり言っちまいそうになるんだ、今回は隠すことに完全に失敗したけど。
「そう!ならそうね……明後日くらいには読み終わるから図書室に行ってみて。気が向いたらでいいの」
「ああ、気が向いたらな」
先生は自分の好きなものを絶対人に強く勧めたりしない。
そういう気遣いも人気の1つなんだろうな。

□■□■□

……で、そんなことを言っちまった2日後俺は本当に図書室に行って例の本を借りてきた。
最初は字ばっかで眩暈がしたが読み始めるとなかなか面白い。先生の言ってた通りだ。
本当は今すぐにでもベッドから起き上がって、カーテンの向こう側にいる先生にそのことを伝えたい。
だけど今は駄目だ。先生はハデスと楽しそうに話してるから。
その雰囲気を壊してはいけないことくらい俺にも分かる。
「あーあ……」
潜めた声を吐きだしてベッドに潜り込んで天井を見上げる。2人の声は妙に心地良くて、このまま眠っちまいそうだ。
にしてもハデスはドモリすぎだろ、先生もよく怖がんねーよな。

“初めて知った言葉があったんだよ”

文字列を追いながら、言葉を組み立てていく。先生に言おうと思っていた言葉。

“読んだだけじゃ分かんねーからさ、先生。俺と実践してみない?”
“恋人繋ぎっつー手の繋ぎ方”
“俺、別に先生となら恋人繋ぎしても構わないし”

それらを全部面と向かって口に出したら……先生は困った顔をするだろうな。だって俺が先生を好きになるより早く、先生はハデスを好きになってたんだから。

“俺、先生と恋人繋ぎがしたい”

今、1番伝えたいことを俺の脳味噌はもう一度反芻する。

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『泣き虫と聾唖』様へ提出。素敵な企画をありがとうございました!

100613
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