病院には似つかわしくない笑い声が診察室に響く。笑い声を上げているスーツの優男を、名前は涙目で睨み付けた。
「人が困ってるのに大笑いしますか、普通!」
「いや、すまない。ただあまりにも可愛らしいことになっていたからつい、ね。身体に影響が無さそうで安心したよ」
「これのどこを見てそう言えるんです!?」
女医のルシアナの前で椅子に座っている名前の両手首は、何故かピンク色のリボンでぐるぐる巻きにされていた。まさに可愛らしい手錠である。
カルテを書いていたルシアナが椅子を回転させて言った。
「拘束魔術と簡易縫合魔術のミックスだから治るまでに2日掛かるけど、縫合跡も綺麗に治るから薬はちゃんと飲んでね」
「はい……本当にありがとうございました……」
「いいのいいの、おかげで貴重なデータが取れたし」
「貴重ですか……」
ルシアナがリボンを指でつつきながら言う。
「ミックスした魔術は珍しくないけど、ここまで精度が高くてかつ可愛らしいのはかなり貴重よ?どんな術師だったの?」
問いかけに名前はびくりと肩を震わせた。顔に冷や汗が伝う。その様子に何かを察したらしいスティーブンが笑みを深くして名前の肩に手を置いた。
「僕も興味があるなあ。一体どこの誰なんだい?きっちりお礼をしないといけないからね」
「…………です」
「うん?」
聞き返したスティーブンに振り返った名前が涙目で叫ぶ。
「女装した男だったんですよそいつ!!めちゃめちゃ可愛かったしいいところまで行ったのに!もうぶち壊しですよ!」
「……うん……まあ大体そんなところかなと思ってたよ……」
拘束された手で顔を覆った名前にスティーブンが深い溜息を吐いた。
「で、男で君にそんな不届きな真似をしたんだから当然?」
「解除してもらう前に半殺しにしちゃいました……今頃地面の染みになってるかも……」
「そうだろうな。これで君が病院にいる理由にも説明がついた。術師を半殺しにする前にすることがあったね」
「今度からはそうします……」
「そう何度もあっても困るなあ」
スティーブンの長い指が名前の目元の涙を拭い去っていく。スティーブンを見上げた名前はしゅんと項垂れる。今回の失態はかなり堪えたようだ。
「こんな手じゃまともに戦えないですもんね……」
「それもあるけど、そうじゃないよ。君、もしかして意外と自己評価低い?」
「……と言いますと?」
「心配してるんだよ、君の恋人としてね」
名前の両手にスティーブンのジャケットが掛けられた。いつの間にかルシアナから処方箋を受け取っていたスティーブンに「さて、じゃあ行こうか」と促され、名前はもう一度ルシアナにお礼を言って立ち上がった。
「先生、本当にありがとうございました」
「いいえー、お大事ね」
開けられたドアの向こう側を患者が乗せられたストレッチャーが通り過ぎていく。清楚なワンピースが真っ赤に染まっていた。


□■□■□


そうしてスティーブンの車に乗せられ、彼の自宅に着き、あれよあれよという間に大きなベッドの上に押し倒されたところで、名前ははっとして「あの、スティーブンさん」と声を上げた。「なんだい」と欠伸混じりに答えたスティーブンは名前の上で片手でネクタイを緩め、シャツのボタンを開けている。これは非常に良くない流れだと名前の中で警鐘が鳴り出した。
「何で私ここにいるんでしょうか」
「哲学の話?悪いけど難しい話は明日以降にしてくれ。3日寝てない頭にはもう厳しい」
「あっはい、お疲れ様です……じゃなくて!何で私がスティーブンさんちのベッドの上に押し倒されたのかって話です!」
「君もたまには野暮なこと言うんだね。どうせ泊まるんだからいつベッドインしたって一緒だろ?」
「いつの間にか決まってた!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ名前を尻目にスティーブンはてきぱきと名前の服を脱がしていく。
「嫌なら今日は事務所に泊まる?次の日嫌でも皆に突っ込まれると思うけど」
「スティーブンさんお世話になります」
「ん。隅々までお世話してあげるから安心してくれ」
眠そうな声でさらりと投下された意味深長な言葉に、名前は「えっ」と迫ってきていたスティーブンの唇を押さえて言った。
「今……私とあなたの間で認識の違いが起きている気がします……それもすごく大きな」
「そんなことないよ。だって君、その手じゃ何も出来ないし食事とか着替えには俺が必要だろ」
「すごい決め付け!それぐらい一人で出来ますよ!」
「……ふうん?」
スティーブンの表情に影が射す。名前はしまったと身構えた。状況は悪化、墓穴を掘ってしまった可能性が否めない。一度起き上がり、ベッドサイドでがさがさと何かを漁った後、問答無用でのしかかってきたスティーブンに「ちょっ、スティーブンさっ……!!」と悲鳴を上げるがスティーブンの唇で塞がれてしまう。
「口、あけて」
激しいキスの合間にそう囁かれ、服の間から差し込まれた冷たい指が名前の背骨をなぞる。それまで頑なに唇を閉ざしていた名前だったが、その感覚に思わず「あっ」と声を上げ、スティーブンの舌の侵入を許してしまう。互いの舌と唾液が絡み、卑猥な音が耳を犯している。押し込まれたスティーブンの舌と共に喉の奥に転がってきた錠剤を、名前は反射的に飲み込んだ。
「──ほら、君一人じゃ薬だってまともに飲めないじゃないか」
ぺろりと舌で口の周りを拭いながら言ったスティーブンを、名前は涙目で睨み付けた。
「酷いです……」
「意地悪したくもなるさ。俺だって男だし、プライドもあるからね」
「プライドですか……」
「俺もいつまでも道行く美しいレディに負けて黙っているような男じゃないってことだよ」
どこか拗ねている様子のスティーブンを見て、名前はようやく目の前の恋人が術師に嫉妬していたことに気が付いた。
「これからそのことを君にもよおく分かってもらおうと思う」
が、時すでに遅し。顔に笑みは浮かべているが目は笑っていないスティーブンに名前は心の中で白旗を揚げた。
「君のことだ、焦って術師を半殺しにした時血泉術を使ったんだろ?」
「はい……でもそんなに長い時間は使ってないです……」
「成程ね。じゃあ薬を飲んで術はあと2日で解けるそうだし、君にもプライドがあるだろうから寝て起きたら術が解けているようにしよう」
「……あの……それってつまり」
「恋人同士、今夜は忘れられない夜にしようじゃないか。ねえ、名前?」
とびっきりの笑顔での死刑宣告に、名前は乾いた笑みを浮かべて、頷くことしか出来なかった。

そして宣言通り、2日間眠るに値する体力を消耗させられた名前はスティーブン宅のベッドで目を覚ました。
「やあおはよう」
隣ではスティーブンが清々しい笑みを浮かべている。名前の脳裏に眠る直前のピンク色の記憶がありありと蘇る。名前は声にならない悲鳴を上げて顔を両手で覆った。物凄い痴態を晒した後悔が押し寄せていた。一応恥じらいという純粋な心は名前にも残っている。微かではあるが。
「……もうお嫁に行けない……」
「嫁に行かれたら困るなあ、こんなおじさん相手にしてくれる女の子なんてそうそういないし」
後ろからシーツごと抱き締められるのを感じながら、名前は呟いた。
「スティーブンさんのそういうところ本当に嫌いです……」
「でも本当はそんな俺が?」
「……好き……」
「ん。それじゃ朝食にしようか」
頬へのキスと同時にするりと離れていく腕に寂しさを感じ、思わず縋り付いてしまいそうになるくらいには、侵食されているのだ。
「どうした名前、早くおいで。それとも起き上がらせて欲しい?」
いつだってスマートで時にセクシーで、ずるい大人であるスティーブン・A・スターフェイズというこの男に。

世界の中心でふたりぼっち

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Thanks:彼女の為に泣いた
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