梅雨の中休みなのか、その日は1日雨が降らず夜を迎えた。
自室の窓から夜空に浮かぶ月を眺めていた政宗の眼下で、微かに木が揺れる。
政宗は持っていた碁石を碁盤に置き、口元に笑みを浮かべた。

女を拾ったのは、降りしきる雨の中の戦場だった。血と泥にまみれ、無惨に地面に這いつくばる女の背に刀を降り下ろさなかったのは単なる気まぐれからだった。
二度目に女を拾ったのは、やはり雨の中の奥州国境だった。与えてやった着物は水と泥を吸い、雨粒か涙か分からぬ水を滴らせ「殺してくれ」と懇願する女の背に刀を降り下ろす代わりに傘を差しかけた。
思えば、女はいつも雨と共に在った。女が戦の前線に出ると決まって雨が降る。雨と共に在る女。雨雲を呼ぶ女。女自身もいつも雨のように静かに、だが確かにそこに佇んでいる。時には戦場で大雨のように暴れることもあったが、それは稀なことだった。
潜めた気配が近付く。
政宗が障子戸を大きく開けたと同時に、窓枠に影が静かに降り立った。
「Ya,使い走りにさせちまって悪かったな」
名は奪われている、と言った女に新たに付けてやった名を呼べば、女は深々と頭を垂れた。

□■□■□

「今日は雨が降らなかった」
「左様でございましたか。空気が澄んでいたのでもしやとは思っておりましたが」
「おかげで今日こいつの出番はなしだ」
政宗は畳の上に置いてあった上等な手拭いをひらひらと顔の横で振った。
「毎晩の楽しみだったんだがな、これでお前の髪を拭いてやるの」
そう言って微笑めば、名前は困ったように眉を下げる。
毎晩領内の偵察を行っている名前を、政宗は偵察が終わった後にここに呼んでは他愛ない会話を交わしていた。梅雨に入ってからは髪や身体を濡らしてやってくることが増え、政宗が手拭いで彼女の髪を拭くことが一種の慣習になりつつあったのだ。
「……まあ、こういうのも悪かねぇ。そのうち梅雨明けだしな」
「ええ」
「お前が俺に勝てるのと梅雨が明けるの、どっちが早いだろうな?」
政宗の言葉に、微かに名前の頬が引きつった。政宗はくつくつと笑う。その視線の先には黒と白の碁石が配置された碁盤がある。最近雑談をしながら勝負しているものだ。今のところ結果は政宗の全戦全勝である。
碁石を受け取った名前はため息を吐いて言う。
「……もう少し手加減なさって下さいませんか」
「No!それじゃ勝負にならねェだろ」
「それはそうですが……」
「せいぜい足掻けよ」
真剣な表情で碁盤と向き合う名前を見た後、政宗は窓の外に視線を移した。月は分厚い雲に覆われようとしていた。肌寒さを感じさせる風が吹き、髪を揺らす。
「──お」
「如何なさいましたか」
碁石を置いた名前が顔を上げ、気付いた。
「降ってきましたね」
「ああ」
雨粒が地面を打つ音が静かに響く。酷くなる前に戻らなくては、と立ち上がった名前の腕を、政宗は掴んで引き止めた。
「政宗様……?」
「たまにゃゆっくり雨宿りでもしてったらどうだ。そうだな……酒ぐらい出すぜ」
「ですが……」
「酒が飲みてェ。名前、付き合えよ」
有無を言わせぬ物言いに、名前は困惑したが、こうなった主君は止められないと諦め、政宗の側にそっと跪いた。
雨は降り始めたばかりだ。

情景に沈む

120624
Thanks:容赦
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