※よそのお子さんが出てきます

01,

その日、ダリューンの金色の双眸には心配の色が浮かんでいた。名前が王都の外まで植物の種や苗を買い付けに行く日のことである。
大人しそうな外見に反して活発な一面がある妻は、王宮の庭を彩る植物を自分の目で選ぶことに情熱を持っているらしい。
新国王アルスラーンの下、パルスはルシタニアの侵略から徐々に復興しつつあるが、未だ情勢は安定したとは言い難い。地方に展開していたルシタニアの敗残兵が山賊と化し、村を襲っているという報告も上がってきているのだ。
当然ダリューンは部下の騎兵と共に護衛につくことを提案したが、名前に「ですがその日は陛下の狩猟の護衛をなさる日ではありませんか」と指摘されて言葉に詰まってしまう。
「買い付けは1日あれば終わりますし、町は狩猟場の近く。陛下の許可が頂けましたら合流させて頂こうと思っているの」
「しかしだな……」
「それにとても頼もしい方に供をお願いしてあるのよ」
名前の口から出た名前は、ファランギースと同じようにミスラ神を信仰するもう1人の美しい女神官の名前だった。
ダリューンは女神官の姿を思い浮かべ、成程彼女ならば問題無いだろうと思ったのだが、やはりそう簡単に不安は拭えなかった。
「なに、そう心配せずとも彼女が付いておれば問題はあるまい。彼女の武人としての実力を知らぬわけでもなし」
ちょうどダリューンの執務室を訪れていたナルサスが緑茶を啜りながらのんびりとした様子で言った。
ダリューンの記憶が正しければ、彼が啜っている緑茶は名前が自分のためにと運んで来てくれたものである。
「過保護なおぬしのことだ、どうせ騎兵を多勢護衛に付けるつもりだったのだろう?」
「当然だ、王都ならともかく王都の外となれば何が起こるか分からぬだろう。用心するに越したことはない」
「姪の身を案じてくれるのは嬉しいが、それでは逆に悪目立ちするだろう。襲ってくれと言っているようなものだ。ここは素直に彼女に任せた方が良いと俺は思うがな」
「む……」
親友の助言と、妻の視線に遂にダリューンは折れて首を縦に振った。
「ありがとうございます!」と輝くような笑顔を向けられて、思わず綻びそうになった口元を引き締め、ダリューンは名前の両肩を掴んで念を押した。
「良いか、無茶だけはしないでくれ。何かあったらすぐに知らせるように」
「ええ、肝に銘じます」
そのやり取りを眺めていたナルサスが「異国に「可愛い子には旅をさせよ」という諺があるが、ダリューンには教えぬ方が良いだろう」と判断していたことを、ダリューンは知らない。
「──ダリューン、本当は名前の護衛に付きたかったのではないか?私の個人的な用事に付き合わせてしまってすまない……」
「いえ、決してそのようなことは……!!陛下の御身を御守りするのが騎士としての私の役目、妻も十分理解してくれております。それに妻にはルミルが付いております」
そうして迎えた出発の日、申し訳なさそうに謝るアルスラーンを安心させるようにダリューンは言い、「我々も参りましょう」と愛馬の腹を蹴った。
頷いたアルスラーンの後にエラムが続く。

王都から3ファルサング程離れた町を目指し、名前は栗毛色の愛馬を走らせていた。
彼女が幼い頃からの忠実な友人である雄馬は、その名をソルフドゥーストと言った。初夏の風を受けた尾がたなびいている。
「疲れていらっしゃいませんか、名前様」
名前の隣には同い年くらいの女性が馬を並べていた。すらりとした体躯に澄んだ大きな瞳は穏やかな雰囲気を漂わせている。
「ありがとう、平気よ。ルミルこそ、疲れていませんか?」
「私も平気です」
ルミルと呼ばれた女性がにこりと微笑んだ。
彼女の駆る馬の鞍には包装された槍が取り付けられ、白いマントの下には短剣が掲げられている。ルミルはファランギースと同じミスラ神殿に仕える女神官であり、今回名前の護衛役に任命された人物だった。ルミルはアルスラーン達が王都を奪還する旅に同行しており、実力は折り紙付きである。
「それはそうと、御一人で遠出などダリューン様が御心配なさったのではありませんか?」
「ええ、初めはとても心配されましたわ。でも、伯父様がルミルが付いていれば大丈夫だろうと説得して下さったの。私もルミルが付いてきてくれて嬉しいし、とても頼もしいわ」
「ありがとうございます。私も名前様と御出掛けすることが出来て嬉しいです。花は好きですから」
良い友人関係を築いている2人は顔を見合わせて笑いあった。進む先に町の入口が見えてきていた。

大陸公路沿いにあるこの町は宿場町として栄えているらしく、様々な服装の旅人で溢れ返っていた。
港町ギランからやってきたという商人から無事に植物の種や苗を買い付け、旅人の間で評判の店で食事をしたところまでは順調だった。
問題はその後である。
さてどうしたものかと名前は下卑な笑みを浮かべて行く手を塞いでいる男達を見上げた。馬を預けた宿屋へ向かうべく、路地を抜けようとした矢先の出来事だった。
「お嬢さんたち、見ねえ顔だな。良かったら俺達と向こうでゆっくり話さねえか?故郷の話でも聞かせてくれよ」
名前は彼らの言葉にルシタニアの訛りがあることに気が付いた。王宮の兵士達が、「各地に散ったルシタニアの敗残兵がパルス人を装って悪事を働いているらしい」と話していたことが思い出される。
ふと周囲に視線を巡らせてみるが、通行人は皆そそくさと通り過ぎて行ってしまう上に治安を守るための兵の姿もない。
男達は体格も良く、腰には剣をぶら下げていた。腕に自信があるので人目に付くところでも構わず声を掛けてきたのだろう。
ルミルが厳しい表情で名前を庇うように一歩前に進み出る。名前もさりげなく服の中に忍ばせている鋏型の短剣を握ったその時だった。
「そこの者達、何をしている?」
道を塞いでいる男達の後ろから声が聞こえてきた。
「まさか白昼堂々よからぬことをしようとしているのではあるまいな?」
よく通る男性の声だった。声の主は黒いマントにフードで顔を隠している。
「ああ?誰だてめえ!」
図星だった男達がいきり立つ。その手は腰の剣に掛かっている。
微かにフードの男が息を呑んだが、唇を引き締め再び言葉を紡いだ。名前とルミルにとって衝撃的な名前を。
「お、俺こそはパルスの新たな国王アルスラーン陛下に御仕えする万騎長、ダリューンである!」
「なっ……だ、ダリューンだと!?」
男達の間に動揺が広がった。当然のことながら名前とルミルも驚いていた。
「本物」のダリューンが今この場にいるわけがないのだから。
「ダリューンって、あの……」
「たった1人で5万人の兵を倒したっていう……」
「黒衣の騎士か……!!」
男達が吐き出した言葉には畏怖と、憎しみが込められていた。
「俺が誰か分かったら、さっさと失せるんだな」
ダリューンと名乗った男が腰の剣に手を掛けながらそう言えば、流石に一騎当千の猛者を相手にする自信はないのか男達は捨て台詞と共に人混みの中へと消えて行った。
何はともあれ助かったようだ。名前は小さく息を吐いて、「危ないところであったな、御婦人方。大事ないか?」と声を掛けてきた「ダリューン」を見た。
「ありがとうございます。お陰で助かりましたわ」
マントのフードを外した「ダリューン」と目が合う。
髪の色は名前がよく知るダリューンと同じ黒色だが、短く切り揃えられている。歳は同い年ぐらいだろう。歴戦の戦士と言うよりは、貴族の息子や文官という言葉が似合いそうな好青年だ。
前髪の下から覗く青紫色の瞳が名前を捉えた途端、感嘆に震えたように丸くなった。
「……う、美しい……」
追い討ちをかけように雷鳴と共に大粒の雨までもが降ってきたのだから、今日は付いていない日らしかった。

150726
Thanks:亡霊

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