▽ささやかな心遣い

王宮の回廊を歩いていたダリューンは、女性の声に呼び止められて足を止め振り返った。
「おお、ファランギース殿」
「ちょうどよいところに」
「どうした?」
自他共に認める絶世の美女は旅装に身を包んでいた。彼女はアルフリードと共に巡検使として各地を旅する役目を担っているのだ。ファランギースが腰の袋をあさり、白い手の上に布の包みを乗せた。包みを開くと、小さな花の銀細工の髪飾りが現れた。
「これを立ち寄った村で助けた娘から貰ったのじゃが、生憎私には使う予定がない。良ければ奥方にと思うてな」
「それは有難いが……本当に良いのか?」
「構わぬ。私が使うより名前に渡してダリューン卿から貰ったのだと嬉しそうに話す姿を見ておる方がよっぽど有意義というものじゃからな」
「御心遣い、痛み入る」
さりげない気遣いに感謝し、そういうことならばとダリューンは有り難く髪飾りを受け取った。繊細な作りの髪飾りはきっと妻の綺麗な髪に映えるだろう。その姿を想像したダリューンの口元は、自然と綻んでいた。
「おぬし、名前のこととなると本当によく笑うのう。戦の時とは大違いじゃ」
ダリューンの様子に気付いたらしいファランギースがおかしそうに言った。ダリューンは慌てて口元を引き締めたが時既に遅しというものだった。
「ファランギース殿!」
「すまぬ、おぬしらを見ておるとついからかいたくなるのでな。ギーヴめの悪癖がうつったのやもしれぬ」
笑みを湛えたままファランギースが続ける。
「名前もダリューン卿のことを話しておる時はいつにも増して笑っておるぞ。夫婦とは良いものじゃな」
「俺もそう思う……」
完全に見透かされている。人ならざる精霊の声を聴ける彼女には、何か特別な力があるのかもしれない。やはり何年経ってもこの美しい女神官には勝てぬとダリューンは改めて思うのだ。

逞しい背に流れる真っ直ぐな黒髪をまとめているダリューンの首に、後ろから腕が回ってきた。手を止めて振り返ったダリューンは、腕を回してきた人物に悪戯っぽく笑いかける。
「何だ、今日は甘えただな」
名前が微笑み、ダリューンの髪に触れた。
「髪を結わせて欲しいと思って」
「そうか?ならば遠慮なく頼むとしよう」
持っていた髪紐を渡せば、夜着を羽織った名前がダリューンの髪に櫛を通し始める。
普段ダリューンは結う際に櫛を使わないので、女性のように髪を梳られるのは不思議な感覚だった。
「貴方の髪は真っ直ぐで綺麗だから羨ましいわ」
「気にしたことはなかったな」
「色々な髪型が出来そう」
「それを言うなら貴女の髪もそうだろう?」
白い髪紐で結われた黒髪を揺らし、ダリューンは身体ごと振り返った。
名前の手から櫛を取り、「今度は俺の番だ」と春の陽の光のような色の髪を掬う。柔らかい髪は掬ったそばから流れていってしまいそうだ。
梳り終えた名前の髪をいつもと同じ髪型にしようとして、ふとダリューンは手を止めた。
「……ダリューン?」
「いや、何でもない。少しじっとしていてくれ」
髪を3つの束に分けて、交互に編んでいく。
かつて万騎長のシャプールが器用に髪を編んでいた場面に出くわしたことがあり、教わった編み方だった。その際シャプールはダリューンの長い髪を見て「もっとも、おぬしの長い髪では誰かにやってもらった方が早いだろうがな」と生真面目な彼にしては珍しく笑っていたことも思い出された。
そうして編み終えた三つ編みの先端を髪紐で結び、ダリューンは寝台の隣に置いてある小さな棚の抽斗から布の包みを取り出す。
丁寧に包みを開いてきょとんとしている名前の前に跪き、彼女の髪に銀細工の髪飾りを挿せば完成だ。
「──やはり貴女には花がよく似合う」
朝日に髪飾りが煌めき、感嘆にも似た溜め息が漏れる。
「これ……」
髪飾りに触れた名前が驚いた表情でダリューンを見つめた。
ダリューンは頷き手鏡を差し出す。
「受け取って欲しい」
「……良いの?」
「勿論だ」
「ありがとう……!!綺麗……」
照れくさそうに髪飾りに触れている名前の片手を握り、「本当によく似合っている」と告げれば「そんなに褒められると恥ずかしいわ」と返ってきた。
「出掛ける時にまたこの髪型にしてくれる?」
「ああ。だが、他の男に見せるのは惜しいな」
「もう……これ以上私を自惚れさせてどうするつもり?」
「さて……どうするかな?」
肩をすくめて答えをはぐらかし、ダリューンは握っていた手に指を絡める。「ずるい人ね」と呆れた様子で呟いた名前を慰めるように、そっと彼女の瞼に唇を落とした。
名前がくすぐったそうに上げた笑い声が優しく寝室を包む。
昇った朝日が窓から眩しく射し込んできている。澄み渡る空を流れる雲は白い。
王都は今日も快晴に恵まれそうだった。

150815
Thanks:亡霊

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