▽砂糖の行方

パルスの風習の一つに、「新婚家庭に砂糖を贈る」というものがある。
これは勿論祝福の意味を込めたものであるが、その他に「せいぜい甘い生活を送れよ」と冷やかしの意味も込められているという。結婚に際して、例に漏れず砂糖を贈られたダリューンと名前であったが、その量の多さにどうしたものかと持て余していた。
「配下の兵と近所に配ってもまだ余っているな……」
「砂糖で商売が出来そうね」
「全くだ」
ダリューンは馬の背一杯の砂糖を贈ってきた男達の顔を思い出して溜息を吐いた。これらには本人の知らぬところで王宮内の男性陣に人気だった名前を娶った自分に対するやっかみの意味も込められているに違いない。
「ねえダリューン」
「ん?」
「せっかくこんなにお砂糖を頂いたことですし、少し贅沢をしてみない?」
名前の手元には料理に関する巻物が置かれており、ある料理の記述部分が開かれていた。

王都エクバターナの市は、いつも人で溢れ返っている。ルシタニアの侵攻から徐々に復興しつつある街並みの中に、奴隷達の姿はない。アルスラーンがパルスの新国王となった折、かねてからの宣言通り全ての奴隷を解放したのだ。奴隷たちは現在、自由民の称号を経て国の援助を受けながら開拓地で自給自足の生活を行っていた。
商人の活気のある声が飛び交う中を、緩く手を繋いで歩く。
「何を買うんだ?」
「果物です。暑いのでハルボゼも買って井戸で冷やしましょうか」
「名案だな」
子供達が軒の下で切り分けられたハルボゼにかぶりついている。井戸の水で冷やしたハルボゼは、パルスの民にとって夏の風物詩とも言えるものなのだ。
やがて果物を売る露店に辿り着くと、名前の手がダリューンの手から離れた。名残惜しいと思ったのもつかの間、名前は既に真剣な表情で季節の果物を吟味している。手持無沙汰からダリューンは名前の横顔を眺めてみたり、同じように果物を眺めてみたりと視線に落ち着きがない。それを見ていた露店の主が「まるで構って欲しい犬のようだ」と思ったことなど2人は知る由もないだろう。
吟味の末に名前は熟れた数個の杏とハルボゼを購入した。ダリューンがそれらの入った籠を彼女に代わって店主から受け取り、再び手を繋いで歩き出す。
「これと砂糖で何を作るんだ?」
「強いて言うなら、蜂蜜のようなものでしょうか」
「蜂蜜……?果物からか?」
名前の答えにダリューンは目を丸くさせた。名前が「ええ」と頷く。
「疲れた時には甘い物が良いと聞きます。このところお互いに忙しかったことですし、たまには甘い物を食べてゆっくりしましょう」

邸宅の井戸の水でハルボゼを冷やしている間、名前は台所に立って杏の皮を剥いていた。隣には同じように杏の皮剥きにやや悪戦苦闘しているダリューンの姿がある。長剣や槍といった長い刃物の扱いは誰よりも得意であるが、やはりそれらとは勝手が違うのかもしれない。
「そうそう、ゆっくりで平気よ」
「ああ……」
「終わったら種を取って半分に切ってくださいね」
「分かった」
2人で切った杏を鍋に入れ、砂糖をかける。しばらく待つと、杏の果汁が出てくるのだ。
待っている間に名前がいれた紅茶を飲み、ダリューンがしみじみと呟いた。
「料理とは難しいな……」
「そうでしょう?私も覚えるまで随分苦労したわ。他の家事も」
ダイラム領で暮らしていた時のことを思い出し、名前は苦笑する。
「エラムに何度叱られたことか」
「そういえば貴女はダイラム領で暮らしていたことがあったのだったな。良ければ話を聞かせてくれないか?」
「ええ」
頷いて名前は語り始める。ダリューンは訪れたことのないダイラム領の地と、そこで暮らす若かりし頃の名前に思いを馳せながら耳を傾けていた。

火にかけた鍋の中で杏が蕩け、甘い香りを放っている。浮き出た灰汁を丁寧に取りながら名前がダリューンに言った。
「ダイラムにいた頃、必死に家事を覚えたとお話ししたでしょう?」
「ああ」
「私、結婚に条件を付けていたの。いつでもその条件が満たされてもいいように、家事は出来るようになろうって。だから必死で覚えたのよ」
鍋の中身を掬い、小皿に移し味を見る。
「少し甘すぎたかしら」
ダリューンは小皿を差し出す名前の手首をそっと掴み、小皿に口を付けた。杏の風味が口の中に広がった。
「いや、ちょうどいい」
「良かった……初めてだから上手くできるか心配だったの」
「貴女の料理が美味くなかったことなど一度もない」
「まあ、お上手ですこと」
くすくすと笑って名前は鍋の中身を壺に移していく。粗熱を取れば、杏のメイザートの完成である。
「私が結婚に付けていた条件は、本当に好いた殿方としか結婚しないというものよ」
ダリューンの逞しい腕に、甘えるように名前の頭がもたれかかった。
「あの時家事を必死に覚えて本当に良かった。今なら心の底からそう言えるわ。大好きな人に恥をかかせるような妻では格好がつかないし」
「それを言うなら俺ももっと精進せねばなるまいな。貴女の夫として、恥ずかしくない男になれるように」
名前の肩を抱いて、ダリューンが言った。
猛禽類のように鋭い金色の瞳は、今は慈しむような優しい色を湛えて愛しい女性を見つめている。その瞳が細められたと同時に2人の唇がそっと重なる。
「──休憩にしましょうか」
何度目かの口付けの後、唇同士が触れ合う距離のまま名前が囁いた。
ダリューンは名残惜しむようにもう一度だけ唇を重ねる。
陽の光が穏やかに射し込む、とある休日の昼下がりのことであった。

150728
Thanks:亡霊

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