02,

ジャスワントと同じ肌の色をしているのに、顔には軽薄な笑みを浮かべ、口からはぺらぺらと美辞麗句が飛び出す。
シンドゥラの民は皆が皆ジャスワントのように寡黙で生真面目という訳ではないらしいと、ある意味感心しながら名前は目の前の王に向かって引きつった愛想笑いを浮かべた。
「おお、笑うとさらに美しい!まことパルスには美女が多い!パルスの男が羨ましくなってしまうな」
仮にも一国の王なのだからと、最低限の気を遣ったことを名前は後悔した。目の前の異国の王、ラジェンドラは気を良くしたのか名前の手を握る力を強め、笑い声を上げている。
「名前殿はかように美しい故に、引く手数多で困っておられるのではないかな?シンドゥラに来れば悩みも解消されるぞ」
「身に余る御言葉、恐れ入りますわ。ラジェンドラ陛下」
腰に回った手をさりげなく引き剥がしながら名前は微笑んだ。
本来ならば腰に手が回った時点で席を立っているところだが、一国の王相手にそれは流石に無礼が過ぎるというものだろう。
ラジェンドラによって注がれた葡萄酒が入った杯を傾けながら、状況の打開策を考えていた名前の視界に、艶やかな長い黒髪とよく日に焼けた精悍な顔立ちが映った。
「ですが恐れながら申し上げますと、私には私が悩むまでもなく解消して下さる方がいらっしゃいます」
「ほう……名前殿には好いた男がいるということか」
それまで陽気な声と笑みを絶やさなかったラジェンドラの顔が一瞬引き締まり、瞳に鋭い光が宿る。
「それは面白いな、是非美しい名前殿の心を射止めた男とやらに会ってみたいものだ。
一体どこの誰なのだ?俺も知っている男かな」
金色の唇飾りを嵌めた口元に不敵な笑みを浮かべたまま幾分低くした声で問うたラジェンドラに怯むこともなく、名前も口元に不敵な笑みを浮かべて答えた。
「はい、陛下もよく御存知の殿方ですわ。確かシンドゥラでは猛虎将軍と呼ばれているとか」
「……なに?」
ラジェンドラの表情が固まったと同時に待ち望んでいた男性の声が上から降ってきた。
「ラジェンドラ陛下」
「お……おお、ダリューン卿か。久しいではないか」
「はい、お久しゅうございます。ラジェンドラ陛下におかれましては変わらず御壮健のようで……」
噂をすれば何とやら、2人の下へやってきたダリューンがラジェンドラに社交辞令を述べる。
「そ、そんな堅苦しい挨拶は止してくれ、ダリューン卿。ところで、ダリューン卿には好いておる女性などはおありかな?」
笑みを引きつらせたラジェンドラに腰を強く抱き寄せられ、名前は流石に眉をしかめたがラジェンドラの視線は目の前の大陸公路一の勇者に注がれていた。
ダリューンが芝居がかった動きで顎に手を当てる。ラジェンドラの反応を楽しんでいるかのようだ。
「はて、好いているという言葉は多様に解釈出来ます故、どう答えるものか悩みますが……心に決めた女性ならばおります。
まだまだ未熟者ですが、縁あって先年結婚致しましたので。……そちらの女性と」
「なっ……」
心底驚いた表情でこちらに視線を移したラジェンドラに、名前はにっこりと微笑んでみせた。
「こ……これはこれは俺としたことが!ダリューン卿の妻を口説いていたとはな!いやはや、知らぬこととはいえ大変失礼なことをした。名前殿、どうか悪く思わないでくれ」
言うなり愛想笑いのままそそくさと立ち去ったラジェンドラの背中を見送り、名前はようやく解放されたと息を吐いた。
「大丈夫か?」
心配そうに顔を覗き込んできたダリューンに頷き、席を立つ。この賑やかさから離れた場所で一息つきたい気分だった。

広間からさほど離れておらず、自身が管理を任されていない方の中庭は静まり返っていた。時折吹き抜ける夏の夜風が植えられている植物の葉を揺らしている。
月明かりに輝く噴水を眺めながら、名前は乱暴な手付きでヴェールを取った。口からは酒精を含んだ溜め息が漏れる。
物憂げな横顔には疲れも滲んでいた。シンドゥラの王の相手で想像以上の気力を使ってしまったせいである。
「名前」
何度目かの溜め息を吐いた時、背後から呼ぶ声が聞こえてきて、名前は振り返った。
夜空に浮かぶ月のように輝く金色の瞳を持つ、愛しい男性の姿がそこにあった。
「ダリューン」
「顔色が良くない。部屋に戻るか?」
「ありがとう、でも平気よ。少し悪酔いしただけですから」
安心させるように微笑んで名前は続けた。
「……こんなはずじゃなかったのよ」
つい本音が口をついたのは、悪酔いのせいだと思いたかった。
「今日頑張ってお洒落をしたのは、ラジェンドラ陛下にお会いするためじゃないのよ」
「名前……?」
「私はっ、私の大好きな人にただ褒めて欲しかっただけなのに!」
そうしてずっと抱えていた行き場のない怒りを理不尽にダリューンにぶつけてしまい、名前はすぐに後悔した。呆けた表情のダリューンにはっとして「ごめんなさい」と謝り、いたたまれなくなってその場から逃げ去ろうとする。
「待て!」
しかし駆け出そうとするよりも早く腕を掴まれ、あえなく引き戻されてしまう。
「い、今のは聞かなかったことにして下さい!」
面倒くさい女だと思われたかもしれないという恐怖からダリューンの顔を見れず、名前は掴まれていない方の手を使って頭にヴェールを被った。
「聞かなかったことになど出来るか」
ダリューンの静かな声にびくりと肩が揺れる。いつの間にかもう片方の腕も掴まれていて、目の前の男からは到底逃げられそうになかった。
「名前」
優しく名前を呼ばれ、恐る恐る名前は顔を上げた。痛みがない絶妙な力加減で掴まれていた腕が解放され、ヴェールがそっと外される。
ダリューンの金色の瞳には彼の言葉を待ち不安そうな表情を浮かべている自分が映っていた。名前は視線を逸らしたくなったが、ダリューンがふ、と目元を緩める仕草に釘付けになってしまう。
頬に熱が集まり、鼓動が早くなる。顎を掬い上げられ、近付いてくるダリューンの精悍な顔立ちに名前は強く目を閉じた。
「──今宵の貴女は、誰よりも可憐で美しい」
望んだ温もりは吐息と言葉となって、名前の耳に落ちる。
「だからこそ、俺以外の男にその姿を見せて欲しくはなかった……」
相槌を打つ暇もなく次々と飛び出してくる褒め言葉はその内どこで覚えてきたのか、歯の浮くような気障な口説き文句へと変わっていった。
とうとう名前は恥ずかしさに耐えきれなくなり、耳まで真っ赤にした顔で「も、もういいですから!」とダリューンの胸を押した。
「もういいのか?」
真剣な表情で問われ、一瞬怯んだが大きく頷き、「へ、部屋に戻ります」と告げて今度こそその場を後にする。悪酔いはすっかり醒めていた。
名前が去り、その場にはダリューンだけが取り残された。名前の姿が見えなくなった途端、ダリューンは口元を押さえる。
柱の影から呆れるような溜め息が聞こえて来て、ばっと振り返るとそこでナルサスがのんびりと杯を傾けていた。
「ナルサスおぬしっ見ていたのか!」
「勘違いするな、夜風に当たりに来たらたまたまパルス一幸せな夫婦が睦みあっているところに居合わせただけだ。しかしまあ、なんだ」
「……何だ」
ナルサスの瞳が顔に注がれている居心地の悪さにダリューンが幾分か声を低くして尋ねた。
兵が見ればたちまち萎縮してしまいそうな視線を向けられてもナルサスは平然とした様子で杯を煽ると自分の頬を指差して言った。
「口説くならせめて言っていて自分でも恥ずかしくならない言葉を選んで口説いた方が格好が付くと思うぞ、我が悪友よ」
ナルサスに言われた通り、今のダリューンの顔は夜の闇の中でもはっきりと分かるぐらい真っ赤に染まっていた。
それは、足早に部屋に戻りながら囁かれた耳を押さえている名前も全く同じであった。

高鳴る心臓はあなたのせいよ

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Thanks:彼女の為に泣いた

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