星見の少年-3 講義が終わっても、僕は机から離れられずにいた。黒板と書き写したノートと、お下がりの教科書を見比べながら、今日やった講義内容――摩擦のある傾斜での物体の運動についての図と数式について頭を悩ませていた。 僕は言うなれば文系の人間である。理系科目、特に数学と物理が苦手だった。この講義、専門性のない基礎的なものなのだが、さっぱりついていけない。理解できないままにノートを写して、後でわからないと悩むのがいつものパターンだ。そして最後は、リグたちのいる研究室に駆け込む。 今回もそうなるかもな。 「あの、レンくん」 なんて考えていると声を掛けられ、見上げてみればジョシュアの弟――リオルタールがそこにいた。 「あの……えっと、あれ? もしかして、授業わかんなかったんですか?」 そのイラッとさせる物言いはやっぱジョシュアの弟か。嫌味じゃないってのはわかってるんだけど……あったらぶっ飛ばす。 「よかったら教えましょうか?」 「それが用ですか?」 親切心なんだろうけど、やっぱちょっとムカッと来た。おどおどしているのに上から目線かよ。 「あ、いえ……違います」 しゅん、と萎れた姿を見て、少し悪いことをしたなと反省する。半分八つ当たりなのは事実だ。 「……その、今日、流星群のピークなんです。それで、〈緑枝〉の人たちと計測に行くんですけど」 観測じゃなくて計測なのか。つまり研究でってことか。星の位置が気の増減に関係しているとか言ってたから、流星群もなんか魔術的な作用があったりするんだろうか。 「よかったら、レンくんも行きませんか。あ、レンくんは流れ星見てるだけでいいんですけどっ。あと、グラムさんもいますし!」 緊張で大げさに身振り手振りで捲し立てるリオルタール。顔を真っ赤にして必死になる姿は、同性から見てもやっぱり可愛いと思う。リズとかすごく構ってそうだなぁ。 だからといって、絆されたりはしない。 しないけど。 ……流星群、かぁ。 流れ星自体は断じて珍しいものではない。年に何回もある。けれど、この街に住んでいると枝葉の天蓋の所為で普通の星空すら望めないから、たまには見てみたい。 「ルビィ……保護者に確認してからでいいですか?」 仕事があったら大変だし。 「はい! あ、僕もついて行っていいですか? リズ姉さんがいつもヴィスの魔具を見せてくれて、興味あるんです」 こう、必死に食らいつこうとしているのを見たらさ、無下に断ることはできないと思うんだ。 ※ 結果的に、ルビィにたまには遊んでこいと言われ、僕は天体観測に付き合うことになった。待ち合わせは街の西門の外。魔物の侵入を防ぐために作られた高い壁の外は、すっかり藍色の闇に染まった草原がある。 「おお、レン。来たんだ」 門の傍の壁にもたれ掛かるようにしてグラムが立っていた。これから遊びに行くというのに、仕事のときのように片手剣と軽鎧を身に付けているのは、魔物を警戒してのことだ。この前草原の魔物狩りを行ったけど、それで全ての魔物がいなくなった訳じゃない。武器なしで外に出るのは、自殺行為だ。 もちろん、僕もハルベルトを持ってきた。魔具も〈魔札〉も。鎧はないが、僕の黒の上着は防刃、防火、防水等々に優れた特別製(〈木の塔〉の支給品、ただし金掛かる)なので、ある程度身を守ることができる。 「やったな、リオ」 「あ……、う……、はい」 上目遣いでグラムを睨み上げたあと、目を逸らして頬を赤らめるリオルタール。 なんだこの可愛い生き物。 「で、なんでグラムもいるんですか?」 いることはリオルタールから聞いてたけど、いる理由は聞いてない。 「おれ、趣味天体」 「嘘ぉ」 意外や意外。付き合い3年目にしてはじめて知った。グラムにしてはなんておとなしい趣味。 「嘘じゃねぇって。あと、護衛頼まれてさ」 と指し示した先には、〈緑枝〉の人たちと思われる人が5人ばかり。その中の1人に見覚えがあった。ショートカットの金髪に、眠たげなハシバミ色の目の女性。 「ああ、彼女さんも来たんですね」 「つーか、あっちがメインな」 グラムの彼女。確かステラという名前。そういえば、彼女は〈緑枝〉で星を勉強してるって聞いたことあるな。グラムの趣味は彼女さんの影響か。 「というわけで、はい皆さん揃ったみたいなんで、そろそろ行きますよー」 〈緑枝〉の人たちに声を掛け、誰に何処に配置してもらうかを指示するグラム。こういうところはやっぱり“隊長”って感じだ。 「レン、殿頼むな」 「はーい」 他の人たちも魔術使えるんだろうが、ハルベルト持ってる僕のほうが戦力として扱いやすいんだろうな。一瞬こき使うために呼んだのかと考えた。 グラムを先頭に3人、中列3人、後列は僕ら2人の配置で隊列は進む。前の人たちは楽しそうに話してたりするが、僕たちは黙り。リオルタールがなんだかそわそわしてるだけだ。 「リオルタールは……」 そのそわそわにこっちも落ち着かなくなって、声を掛けた。 「リオでいいです」 「リオは、友だちいないんですか?」 我ながら直球だな、と思った。あと辛辣だとも。話題がなくてつい口にしてしまった。 相性がいい、構ってやってくれ、というジョシュアの言葉。おどおどとした様子で、でも必死に僕に食らいついて、嫌われないようにしているリオ。そうだろうと思いつつも、気になってたのだ。 「いました。けど……みんな、〈塔〉には入らなくて……」 この国、リヴィアデールは教育制度がしっかりしていて、義務教育なんてものがある。皆6歳から基礎学校に通い、そこで10年基本的な知識を得る。僕は他国の生まれだから、この義務教育がなかった。だからリグたちに必要最低限のことを叩き込んでもらって、なんとか〈塔〉に入った。だからまだ〈塔〉での基礎的な講義にも付いていけていない。 ……話が逸れた。 リオがいうのは、その基礎学校のときにできた友人のことらしい。結構仲良くしていたのだが、卒業後ばらばらになってしまったそうだ。家業を継ぐと言った者、村に引っ越して畑をすることになった者、魔術以外の学問のために沙漠の西側に行った者、そして、学問にそこまで興味が持てず、普通の職を探した者。彼の友人はみんなそういう人たちだったらしい。〈木の塔〉は魔術師として優秀な者か、街や村を守るために命を懸ける覚悟をした者しか入れない。リオの友人には、そういう人が居なかった。 だから、〈塔〉に入ったあとは1人だった。 「僕、人に話しかけるの苦手で……。〈木の塔〉の人だからって魔術の話しようとしても、退かれてばかりで。かといって、他になに話していいかわかんないし。相談ごとは、兄さんたちが近くにいたからついそっちに行っちゃって……そのまま何ヶ月も過ぎちゃいました」 僕もリオと同じようなものだ。友だちを作れなかった……作らなかった。技師の修業や店番に託つけて、同期との会話を怠った。話す気になれなかったのだ。 この街に来る前はミルンデネスを放浪していて、同年代との会話よりも大人相手に意地を張ることが多かった。その前は学ぶことができないほどに貧乏だった。そんな僕が、育った環境がまるで違う同期たちと話が合うわけがないと思っていたのだ。 〈塔〉に入る前から友人だったグラムたちが居たことも、また一つの要因だ。話し相手が欲しくなったら彼らの下に行けばよかったので、寂しくなかったのだ。彼らに甘えたことで、ますます友人を作る機会を失ってしまった。 「だからつい、その、兄さんの知り合いの人が同期にいるのが嬉しくって声掛けちゃったんですけど……迷惑でしたか」 恥ずかしそうに、でも真剣に僕のことを見上げてくるリオ。彼は彼なりに友人を作ろうと必死なんだろう。 ――僕はどうだろう? 「う〜ん、別に迷惑ってわけでもないんですけど……」 どう取り扱っていいのかわからないっていうのが、本音かな。 目的地は草原の只中。慣れていてもここが何処か特定するのが難しいところ。長いこと歩いたので、シャナイゼの大樹が随分遠く、天体観測の邪魔にはならない。 計測に来た〈緑枝〉の人たちが仕度をはじめる。計測には魔具を使うらしく、装置型のそれに僕は興味を持った。ヴィスが取り扱っているのとは違うけど、同じ魔具だから勉強になるし。 「うーん、暗くてよくわかんないな……」 魔術の光があるから、部分部分はよく見えている。けど、全体を見ないと構造が把握できない。 「今度昼間に遊びにおいでよ。なんならバラしてやるから」 バラす。つまり中を見せてくれるってこと? 「喜んで!」 親切なお兄さんに笑顔で礼を述べ、邪魔しないように装置から離れる。暗くて見にくくても準備を見守って、計測がはじまるとさらに離れて空を見上げた。暗闇に銀砂を散りばめた夜空。ようやく昇った月は細く周囲には光源はないから、星々がよく見える。 リオが隣に来たところで、口を開く。 「流星群っていうから、星が雨のように流れてくのかと思ったけど、そうじゃないんですね」 空を見渡してみても、星はちかちかと瞬くだけだった。確か南のほうだと聞いたんだけど、そっちを見てもまだ流れ星は見えなかった。 「でも、見れる確率はずっと大きいです。ほら、あそこ!」 とリオが指差すが、既に消えてしまっていた。 あーあ、とちょっと残念に思っていると、リオは苦笑した。 「空を見上げていれば、そのうち見つかりますよ」 だいたいあの星座の位置を見て、という話から、星座の話、魔術と天文の話へと変わっていく。適当に相槌を打ちながら聞いている間に、星が流れていくのを2、3回目撃した。 「お前らさ、敬語なんてよそよそし過ぎだろ。同い年なんし、タメ口ききゃあいいのに」 それなりに楽しく話をしていたら、グラムが水を差す。呆れたように言われたのは、前にも言われた言葉だ。そのときは年上への礼儀だ、と言い張ったら諦めてくれたけど。 「いいじゃないですか、別に」 余所余所しくふるまって壁を作ろうとしてるわけじゃなくて、長いことタメ口きく相手が居なかったから、この喋りかたが馴染んだってだけ。他に意味はない。 馬鹿にされてる気がするんだよなぁそれ、と言い残して、グラムは彼女さんのところへ行ってしまった。……馬鹿にしているなんて、失礼な! 「おいおい馴らして行きますよ。ねぇ」 同意を求めてリオのほうを振り向けば、彼は目を見開き、はい、と嬉しそうに頷いた。 [小説TOP] |