La Sirene

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「ほら、おいでー」
 何処かに猫はいないかと、いかにもいそうな所を捜し回っていると、奇妙な光景を見つけた。先程野次馬のいた倉庫街の中心から少し西側に来たところである。
 青年が、倉庫の屋根の方に手を伸ばし、何者かに話しかけているようだった。見上げてみれば、納得、子猫が屋根の上から下を見下ろして、怯えているようだった。
 登ったのはいいが、降りられなくなったのだろう。彼はそれを助けようとしているのだ。
「大丈夫、お兄さんが受け止めてあげるから。勇気出して」
 青年は、ジェラールに気付いた様子もなく、懸命に猫を説得していた。純朴そうな青年だ。この辺りでは見ない顔である。
 青年の説得に心が動いたのか、屋根の上の猫がおずおずと端の方へと足を踏み出した。そして、足元を強く蹴って飛び降りる。
 倉庫は2階建ての建物よりも少し高い。猫が落ちる様を見て、ジェラールは肝が冷えた。はらはらしながら、落ちていくのを目で追っていく。
 宣言通り、青年は猫を受け止めた。
「ほら、大丈夫」
 猫の両脇に手をいれて抱えあげる。それから、顔を覗き込むと、優しげな笑みを浮かべた。
 見事な青年の功績に拍手しそうになって、ようやくその猫が白いことに気が付いた。
 依頼主の猫の毛は白い。
「あー! あんた、その猫」
 思わず声をあげ、ジェラールは青年に詰め寄った。そんなジェラールを青年だけでなく、猫まで不思議そうに見ているのが、なんだか奇妙だった。
 一見自分が不審者であることに気づき、ジェラールは、探偵だと名乗ってから、懐から写真を取り出した。そして、青年に事情を説明して、猫を引き渡すように願い出た。
 猫と一緒に写真を覗き込んでいた青年は、説明を聞いたあと、しばらくして口を開いた。
「こいつ、あんたが捜しているのと違うと思うよ」
 思わぬ言葉に、愕然とした。
「こいつは雑種で、そんな純血とは全然違う。それに、こいつは雄」
 雑種とか血統とか言われても、ジェラールには全然分からない。写真と目の前の猫を見比べてみても、よく似ているから、やはり分からない。しかし、そんなジェラールでも違うと確信が持てた。捜しているのマリーは雌猫だ。
「せっかく見つけたと思ったのになぁ」
 肩を落とす。振り出しに戻ってしまった。この町、海に面して魚がよく取れる所為か猫の数が多いので、捜し出すのにかなりの労力がいるのだ。
 いつ仕事が終わるのか、見通しがつかない。
 仕事仕事、と言い聞かせ、写真をしまい、詫びと礼を行って去ろうとした。
「……倉庫街の東の方に行ってみたら、見つかるんじゃない?」
 突如、青年が思わぬ事を言った。
「……は?」
 ジェラールは唖然とする。青年は言いにくそうに頬を掻きながら続けた。
「捜してる猫。マリーだっけ? そこに行けば見つかるかも」
「なにを根拠に」
「えっと…………そこで、猫をたくさん見たからさ」
 確信持って言っている割に、目が泳いでいた。そうでなくとも怪しい証言だ。倉庫街の東側など、海上貿易に関わっている者を除いて地元民ですら行かない場所だというのに。
 嘘を吐いても仕方がない。だが、どこか胡散臭い。いや、何かがおかしい気がした。
 追及を避けるためか、じゃあ、と言って、青年は立ち去る。ジェラールは黙って見送った。どうせしつこく訊いても、答えてはくれまい。それに、今重要なのはマリーの保護である。
「行ってみるか……?」
 なにやら怪しいが、どうせ捜さなければならないのだし、それもいいかもしれない。
 ……行ってみると、本当にそこに探していた猫がいた。

 猫を引き渡し、報酬を貰って、町の通りを歩いていると、先程の青年とすれ違った。
「見つかった?」
 こちらに気付いた青年は、気になっていたようで声を掛けてきた。
「ああ。お陰様で」
 見つけたときは、まさかと思った。お蔭で毛が汚れる前に、依頼主に返すことができたし、時間も余った。彼には本当に感謝だ。
「また逃げるかもね。常習犯なんでしょ? 家じゃあ結構不自由な思いをしてるのかもね」
「不自由?」
「束縛を嫌う猫だから。人に頼むくらいだから、相当可愛がっているんだろうけど、少し自由にさせないと、ストレスが溜まる。
 また捜すことになるだろうけど、少し時間を掛けてやってよ。半日も遊べば満足するからさ。場所は今日行ったところが大半だろうし」
 あまりに詳しいそれに、ジェラールはただただ感心した。猫の写真を見るだけでそこまで判断できるとは。
「……すごいな。おたく、猫研究家?」
 ジェラールの知識がないのはもちろんだが、青年があまりに詳しすぎる。よほど好きでなければ、その知識は得られないだろう。研究家でなくても、獣医かブリーダーか。
「いや、小さな喫茶店をやってる」
 予想に反し、平凡な職業だった。
「喫茶店?」
 ジェラールは脳内でこの町の喫茶店を地図に落とした。どこも昔からある古い店。最近、新しい店ができたとは聞いていない。もちろん、引き継ぎの方もだ。
「この街じゃない」
 やはり旅行者か。だが、喫茶店の経営者がこの町に来る理由も思い当たらない。ここは、物は多いが、観光には向いていなかった。
「食器を買いに来たんだ」
 合点がいった。ここは海の向こうからたくさん物が入る。海外産の食器もその1つで、人気の輸入品だ。
「そしたら、ここ最近たくさんの人死にが出てる所為で、まだ品が入ってこないみたいで」
「ああ」
 珍しい物らしく、諦めるには惜しいという。それで、仕方なく滞在しているという。居残るのも無料ではないだろうに、余程の物なのか。
「なにが起こってるんだ?」
 噂を耳にしていないらしい。宿の従業員は教えなかったのか。そうでなくとも、出歩いていれば噂は聞くだろうに。この町の人間は特に娯楽に飢えていて、噂話は盛んにおこなわれているのだが。
「俺も詳しくは。夜中に船乗りが襲われてるってことくらいしか知らない。凶器は刃物。……知り合いのガキが、シレーヌがやってるとか言ってるけど」
「シレーヌ?」
 青年は首を傾げた。この町の人間でないから、知らないのだ。
「伝説に出てくる怪物だよ。海に出てくる女の人妖で、歌で惑わし、船を沈める」
 そこまで伝えると、合点のいった表情を浮かべた。
「ああ、セイレーン」
 今度はジェラールが首を傾げる番だった。
「俺の故郷ではそう言ってたんだ」
 どうやら彼も海育ちであるらしい。異国でも似た話があるのだと、少し感動した。
「で、なんでシレーヌ?」
 殺人事件が伝説の怪物の話と関係しているのが不思議なようだ。ジェラールは、甥に聞いた話を繰り返す。
「歌がうまくて、銀色の髪に銀の眼で、おおよそ人間らしくなかったって……」
 そこで、青年の顔色が変わったことに気がついた。
「銀の髪に、銀の眼……」
 熱に浮かされたように、青年は呟く。本来なら、あり得ない特徴である。それなのに、心当たりがあるのか。
「……まさか、ね」
 有り得ない、と彼は言う。
「なにか知っているのか?」
 尋ねると青年は否定した。だが、とてもそうとは思えない。今明らかに様子が違ったのだ。
「でも、関わらない方がいいと思うよ。命が惜しければ、ね」



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