Oneiroi

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「どうだったんだ、昨日は」
 シンと顔合わせた次の日。おそらくイリスが彼と共に薬の売人にあっただろう翌日に、店の準備の手伝いのため開店前に顔を出したジェラールは尋ねた。
「別にどうということはない」
 不親切と言えるイリスの答え。それだけですべてを察せというのは無理な話なので、ジェラールは細かく質問をして、昨晩の状況を把握した。とりあえず双方無事なようで安堵する。イリスに危険が及ぶことはもちろんだが、薬を売って悪事を行っているとはいえ少年たちが悲惨な目に合うのも、ジェラールの心情としてはよろしくない。
 そう、少年たち。ジェラールはすでにイリスたちの交渉の相手について知っていた。昨日、仕事帰りに情報収集に行ったのだ。廃工場から近い住宅街や繁華街をうろつき、そこが愚連隊の溜まり場であることを知った。その廃工場が製薬会社であったことも、そして彼らが取り扱っている品の概要についても知った。
「まだってことはまた行くのか。大丈夫なのか?」
 彼女の身と少年たちの安全、交渉が恙無く進むのか。尋ねれば、ロビンとイリスはそろって溜め息を吐いた。
「なんだよ」
「……お前、また首を突っ込むつもりか?」
 青いレンズ越しに呆れた視線を向けられ、たじろいだ。
「またって……」
 ジェラールが過去に絡んだ異能者との事柄を思い出す。1つ目は故郷でのイリスとの邂逅。もう1つは、この街に来てすぐにあった殺人事件と“泣き女”。前者はまあいいとして。
「バンシーの時はお前らの方から勧めてきたんだろ」
 実のところあの事件は、ジェラールが訪れたときにたまたま起こっていただけであって、後始末をする羽目になったのはこのロビンに原因がある。彼がバンシーに会ってみるかと言うのでイリスについて行ってみたら、事件現場に遭遇して巻き込まれたというだけだ。
「そうだけどさ」
 危険性が違うだろ、とロビン。
「ただでさえ俺たちと関わってるだけで危険なんだ。もう少し敏感になった方がいいよ」
 だったら雇わなければよかったのに、とは言わなかった。せっかくこの場所を手に入れたのだ。手放すつもりはない。
 加えて断っておくが、ジェラールは決して鈍くはない。むしろ敏感な方だ。ジェラールがイリスとロビンに関わっているのは危険を承知したうえであり、決して楽観的な気持ちでいるわけではない。自らみすみす危険に飛び込むつもりもないが。
 だいたい、今はイリスの心配をしただけであって、どうして事件に関わることになっているのか。
「とにかく、おとなしくしていろ」
 いったい自分はどういう風に思われているんだろうか、とイリスを睨みつけるように見送っていると、その視線を遮るように小さな紙の包みが目の前に割り込んだ。それを人差し指と中指に挟んだ、ロビンの仕業である。
「これ、一応渡しとくよ」
「なんだ、これ」
 受け取ってから表裏とひっくり返し、光に翳して中身を透かし見ようとする。中になにやら丸薬のようなものが見えた。
「気付け薬。遅効性。どうせおとなしくしないんでしょ?」
 縁起でもないと思いつつ、いざというときのことを考えると有り難いものには違いなかったのでいただいた。
 それにしても、暗殺用の毒薬でもないのに、どうして遅効性なのだろうか。

 そのまま1週間、じれったいほどなにも起きないまま過ぎていった。
 イリスは何度か交渉に行ったらしいが、平行線のまま進展はないらしい。シンの様子を問えば、楽しそうだ、と不可解な答えが返ってきた。そのときの彼女の表情が苦々しかったことがますます解せない。
 ジェラールのほうは、情報収集は続けていたが、慎重に事を運んでいた所為かロビンに貰った気付け薬は出番がないままに平穏な日々を過ごしていた。
 だが、そんな日常も朝刊の地方の欄の小さな記事によって終わらされてしまったのである。
「とうとう死人が出たか……」
 来店者のために置いてあった、この街で一番大きな新聞社の朝刊を開き、ジェラールは零した。2日前の早朝に路地裏に転がっていた死亡者は、この街の中企業に勤める30代の会社員。司法解剖の結果薬物の使用が判明、上司と後輩の板挟みの苦しみから逃れるために薬物を使用し、依存。より強い快楽を求めて多用した結果、中毒死――。
 その薬物がどんなものであるかは、おそらく興味を持つ者が出ないようにするためだろう、詳しく書かれていなかった。では何故それがイリスたちが関わっている薬物だと知れたか。それは、ジェラールがシンと2度目の接触をしたからに他ならない。
「むしろ今までよく出なかったと思うがな。あれだけばらまいておいて、運がいいというかなんというか」
 彼は専用の安いカップを回し、中の茶を冷ましていた。猫舌なのだそうだ。火を操る彼が茶で火傷をするなど、冗談にもほどがある。
 そして、それを承知で熱湯でお茶を入れ、冷めにくいように念入りに茶器類を温めるロビンの姿は、本当に冗談としか思えなかった。彼がどれほどシンを嫌っているかがよくわかる。
 それなのにどうして彼を店に入れるのか。向こうから訪れているにしても、追い出すぐらいのことはするだろう。出ていけ、と言ってはいるが、本気で追い出そうとしている様子がない。
 彼は、いったいどういう立場なのだろうか。昔からの知り合いという以外に。
「……まだ聞いていなかったが、どうしてこんなことをしているんだ?」
 実は薬のことだけでなく、シンのことについても調べてみてはいた。薬の販売の話からして何処かのマフィアの一員かと思ったが、違うらしい、ということまでしかわからない。名前は出る。が、噂の中の彼は実体がない。
「頼まれたんだよ」
「誰に?」
「そこは秘密だ。一応そういう契約なんでね」
 唇のあたりに人差し指を立て片目を閉じてみせるので、鳥肌が立った。表情を引き攣らせたジェラールを、シンはこれまた愉快そうに眺める。遊ばれている。
「俺はまあ、そういう仕事をよく引き受けるんだ」
 何でも屋みたいなものだろうか。受ける仕事の内容は問題あるものみたいだが。
 では、と客のいないテーブルを拭いている銀色に視線を移した。彼女もそうなのだろうか。喫茶店のウェイトレスを隠れ蓑にして、本業は――。
 そんな馬鹿な。小説じゃあるまいし。
「イリスは臨時の手伝いだ」
 ジェラールの考えを察してシンは言った。
「たまに俺1人でできなかったり、俺の能力では都合の悪いときに手伝ってもらっている。昔のよしみでな」
 なるほど、と安堵したのと同時に、苦いものも感じた。本業にしろ、副業にしろ、それは悪事であることに変わりない。
 知人としてもまだ中途半端であるくせに、他人事に受けられないジェラールを見て、シンは嗤った。そうして、言う。
「まあ、今回の仕事も今日で終いだ。あいつの身に危険なことは起こらねぇから、そう心配することはねぇよ」
 果たして、その言葉に安心する人間がどれほどいるのだろうか。



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