第16章 オペレーション・デイブレイク 4. 空はだんだん明るくなってきている。リグたち突入組は、門が開くのを今か今かと待ち続けていた。空はすでに白さを通り越して青みを帯びており、日が昇るまで、もはや秒読みとなっている。 どうなっているんだろう、と不安に駆られ、リグは手綱を握り締めた。乗っているのは馬だ。敵に見つからない位置から街の中まで一気に駆け抜けるのは、人間の足では不可能。だから馬が要る。そういうことで用意されたが、生まれてこの方、馬などに乗ったことがなかった。なにせ生まれはシャナイゼの街の中。シャナイゼ地方では、都会っ子に分類される。馬に触れ合う機会など全くない。幸い仕事の依頼人の中に行商人がいて、その人が馬を持っていたから実物を見て、触って、扱い方を聞いたことはあるが、乗るまでには至らなかった。作戦が決まってからは、乗馬練習の日々。乗ったり走らせたりは結構すぐにできたが、お尻が痛かったりして、これならいっそ狼に乗せてくれと――じゃなくて。 さっきからリズからなにも連絡がないのだ。ハティとスコルは沈黙したまま。召喚している間は負担がかかるので、おそらくハティを送還してしまっているのだろう。連絡がない理由はただそれだけだと思うが、心配になってしまう。グラムの他にもう1人いるから、死んではいないだろう。だが、苦戦していないとは限らない。 「よし、全隊準備しろ」 クレマンスの号令がかかった。気を引き閉める。手綱をしっかりと左手で握り、右で背中の杖を取る。 「出陣!」 太陽が顔を出したのと同時に、馬の腹を蹴って走り出す。こちらに気付いたクレール兵の矢を、魔術の盾で凌ぎ、攻撃の切れ間を狙って巨大な火球を城壁の上部に向けて放つ。時折仲間の脱落を目にしながらも、助けたいのを堪えて必死に馬を走らせていくと、だいぶ近づいたところで門が開けられた。 隊列が、突入するものとそうでないものに分かれていく。広がった兵士たちは鉤を掛けて城壁を上りはじめた。後方にいた歩兵部隊が、彼らの援護をはじめた。彼らを横目に、突入班に割り振られたリグは街中へと向かう。 門を抜けるまで、あと少し。 遠くから衝撃音が聴こえてくる。攻撃が始まったらしい。音からして、火の魔術だろうか。リグのかもしれない、とグラムは思う。彼の術は攻撃に転ずると派手だから。 「そろそろ逃げるか」 あれからさらに城壁内の敵を相手にし、だいぶ時間が経過した。順調なら、街に仲間が入っている頃。そうでなくても、こちらの体力が尽きてきた。これ以上の遂行は無理だ。 特に心配なのが、リズの体力だ。 「大丈夫か?」 後ろを振り向いて、リズに声をかける。体力――特に持久力のない彼女の息は、少々荒くなっていた。ずっと動き回っていたし、魔術だけでなく剣を使っての戦闘もしていた。消耗して当然である。身体能力を向上させる術もあるが、それは地属性。リズがもっとも苦手とする領域である。 「……平気」 汗を拭いながら、リズは応える。多少は強がりだろうが、どうしようもない。彼女の言葉を信じるのみだ。 声を掛けて、回廊を進む。人数は3人。人数が多いと敵に見つかりやすいので、ダガーには還ってもらった。目指すはルクトールの街の中。合流できたら合流して、できなければ〈挿し木〉にでも行けばいい。 さすがにリヴィアデールの襲撃に忙しいのか、城壁内を進むのは楽だった。さっき次から次へと湧いてきたのが嘘みたいだ。このまま外に出れれば楽だ。まあ、そんな都合のいいことはないだろうが。 ないのはいいが、最後の最後はやめてもらいたい、とグラムは思う。 街へと出るための最後の扉。開けたらすぐそこに、クレール兵がいたのだ。数は7人。物資を運び込もうとしたのだろうか、その手には矢束やら抱えていた。 矢束から持ち変えた剣の切っ先を向けられ、囲まれる。逃げ場は後ろの扉を抜けた城壁内。あまりいい逃げ場ではない。 「覚悟しろ、鼠めが!」 襲撃を受けた所為か頭に血が上っていて、見逃してと頼んでも無駄そうだ。諦めてグラムは剣を構えた。 「観念するのはお前たちだ」 背後で居丈高に言うのはディックス。 「私たちを殺してもお前たちの敗北は確実だ。無駄に命を捨てることなどせず、大人しく降伏を――」 「黙れ、この卑怯者!」 後ろでリズが呆れた様子で柄の合わさった双剣を玩んでいた。どっちもどっち。ディックスの言い分は正しいが、それで説得できると思うあたり、考えが甘い。先に奇襲をかけたほうに卑怯と言われる筋合いもない。 グラムはリズと共に前に進み出ると、目の前の相手を張り倒し、7人の包囲網を抜けた。少し遅れて、なんとかディックスもついてくる。 「我が刃は楔、影を縫いて束縛する物なり」 リズの呪文を唱える声。唱え終わると、彼女は片足を軸に身体を回転させて、棒手裏剣を投げた。2本の手裏剣が兵士の足元に突き刺さった。 グラムたちを追おうとした兵士のうち、2人が動けずに困惑している。 「あれ便利」 黒魔術を滅多に使いたがらない所為か、それとも最近覚えたのか、あんな術はじめてみた。 「でしょ」 走りながら、リズは得意気に笑う。 「お気に入りなんだ」 だが、動きを封じたのは2人だけ。残りはこちらを追いかけてくる。諦めの悪い。この戦闘で仲間でも死んだのか、それとも単なる嗜虐心からか、執念を感じた。逃げてもしつこく追って来るだろうし、止まったら間違いなく殺される。 「どうする?」 「私が食い止めます。お2人はどうぞ先に」 騎士ではないが、騎士道を振りかざしてディックスは申し出るが、 「反対。死ぬぞ、あんた」 厳しくもリズが言う。同感だった。相手は5人。ディックスの実力ではとても凌げるとは思えない。できてせいぜい2人だろうというのが、さっきまで彼を見てきたグラムの見解である。 打開策がないと知って、リズは大きな溜息を吐いた。 「仕方ない。一気に片付ける」 リズは身体を反転させると、立ち止まってクレール兵たちと向き合った。杖を構えると、念じるように呪文を唱え出した。グラムとディックスは彼女の壁となるべく、前に立ちはだかる。呪文を使う術となると、言葉をはっきり聞きとれるように発音しなければならないことから、速くするのにも限界があるらしい。発動まで10秒掛かると見た。その間に2人で5人を食い止められるか。 敵の集団に矢が降り注いだのは、覚悟を決めたそのときだった。横から放たれた矢に2人が倒れる。突然の介入に、敵味方問わず矢の飛んできた方に意識を向けた。 風にはためくのは白い髪。この世のものとは思えぬ女の姿。 「……サーシャ?」 いつの間にか呪文を唱えるのを止めていたリズが、驚きと安堵の混じった声で彼女の名を呼ぶ。 ――サーシャがいるということは。 残った兵士たちを火の玉が襲う。サーシャではない。彼女は水の術しか使えない。 屋根から落ちてくる白い獣。その大きな躯と獰猛な眼、鋭い牙に、見慣れぬディックスは身を固くしたが、グラムたちにとってはただ頼もしさを感じるばかりだった。 「無事だな?」 振り返らずに言葉だけで確認すると、スコルに乗ったリグは白狼の背を降りて、赤い色の魔法陣を宙に描きはじめた。 [小説TOP] |