第15章 救いを求む禍の火種


  4.

「待て!」
 制止の声をかけるが、少年には届かない。レンはどんどん先へ行ってしまう。ラスティは悪態をついて、彼を追いかけた。もとは人間だとはいえ、今は街を襲う化物。そんなものが闊歩する中を、少年1人にしておくわけにはいかない。
 だが、混乱した街中を全速力で走るには妨げが多すぎた。避難している住民を突き飛ばして行くわけにもいかない。そしてなにより、敵が立ち塞がる。
「邪魔だっ!」
 剣を振り回して薙ぎ払う。急いでいるのにきっちり止めまで刺さなければならないのが凄く面倒だった。見過ごすわけにもいかないのだが。
 せめて魔法が使えれば、と初めて後悔した。
「くそっ」
 悪態をつきながら敵を薙ぎ払い、ようやく西門に辿りついたが、探している少年の姿はない。
 門は閉じられていて、ルクトールの常駐兵たちが閂をかけていた。その向こうで剣戟の音と悲鳴。どうやら門の向こうで〈挿し木〉の傭兵たちが襲撃者たちを撃退しているらしい。
 向こうが気になったが、ラスティは常駐兵たちに近寄った。彼らは鉾槍や大剣を持って、万が一門が破られたときに備えている。レンの事を訊いてみたら、知っているという。城壁の中に入っていったと。
 礼もそこそこに走りだした。
 城壁の内部には、本当にクレール兵がいた。さすがに魔物はいないが、進攻してきたクレール軍との攻防がこの城壁の内外で行われている。銃眼から弓を射る者。城壁を登ってきた兵士たちを落とす者。彼らの多くはリヴィアデールの兵たちだ。対し、外で翼を持たない魔物を相手にしているのは、〈挿し木〉の傭兵たちだ。前線でカーターが指揮しているのが見える。さすがシャナイゼの出身であるだけの事はあり、魔物との戦い方は心得ているようだ。人間の姿をしているものもいるし、このあたりでよく見かけるものもいる。人型は合成獣だろうか。それとも、すべてがそうなのだろうが。
 なんにせよ、状況から考えるにフォンを追っているのは、クレールということか。つまり手記を持つのもクレールということになる。アスティードだけでなく、手記も欲しかったというのか。なんのために。そもそもこの戦争の意味もわからない。
 気になったが、レンを追うほうが先決だった。
 時折リヴィアデール兵が防ぐことのできなかった敵兵たちを斬り捨てながら、城壁の中を走り回る。
「ラスティ!」
 城壁の北西の角でラスティを呼んだのは、それなりに親しくしていた〈挿し木〉の弓士だ。
「レンは!?」
「あの餓鬼、あそこから飛び降りて外に出ていきやがった!」
 そう言って弓士が指し示したのは、石を落とすための穴だった。あそこから滑り降りていったのだという。
「無茶を……っ」
 この穴の下は敵の真っ直中である。何をする気か知らないが、その中を1人で飛び込んで行くなんて、正気の沙汰とは思えない。
 だが、彼を追うためにはここを行くしかない。
「おい、ラスティ!」
 弓士の制止の声も聞かず、ラスティは躊躇いもなく穴へと飛び込んでいった。背中で滑り降り、落ちて行った先は地面。この街は城壁を持っているが、堀は持っていない。膝を曲げてうまく衝撃を殺す。屈んだ状態であたりを見回すと、少し遠くで金色の短い髪が見えた。
 レンだ。
 まだ薄明かりが残っているのが幸いした。彼の髪は暗闇でも見つけやすいほうだったが、完全に真っ暗になっていたら見つけることは出来なかっただろう。
 立ちあがろうとして、足元を見て気付いた。何人かのクレール兵が怪我を受けて、あるいは死体として転がっている。レンがやったのだろう。敵とはいえ容赦のないことだ。
 ようやく追いついたのは、森の入り口だった。ハルベルトを下して立ちすくむ彼に声をかけようとして、周りに人が転がっていることに気付く。暗くて良く判別できなかったが、クレール兵だろう。
「……殺したのか」
 穂先からは真新しい血が滴っていた。死体の周りにも、血溜まり。
「悪い?」
「…………」
 感情を押し殺したような声だった。何とも言えない気分になる。殺人の正当性はともかく、まだ幼さの残る少年がどうしてこんなことをしなければならないのか。
「……すみません」
 ようやく振り返ってラスティのほうを見た。そうして、左手を広げてそこにあったものを見せてみせた。木製のペンダントのようなものだった。円形の板を半分に折り、その半円の中心あたりに穴が空いているという一見奇怪なものだったが、観察しているうちに何だかわかってきた。
「……笛?」
 レンは頷いた。
「奴が持っていました。これで魔物――合成獣たちを操っていたみたいです」
 なるほどな、とラスティは頷いた。笛を使って動物を操る例はあるのだから、考えられないことではない。ずっと前、アリシエウスを出ていく時に見た〈闇鴉〉もこれで操られていたのだろうか。
 そこまで思案して、ラスティはレンの様子に気がついた。
「ラスティ……」
 視線を合わせると、泣き出しそうな顔でこちらを見上げてくる。
「僕はどうすれば……」
 何事かを口にしかけて、結局言わないまま飲みこんでしまった。弱音を吐けばいいのに、吐かないのだこの少年は。本当はとても辛いだろうに。
「……戻ろう」
 強がる少年の気持ちを推し量って、ラスティはあえて続きを訊かず、レンを促した。どのみち、ここでこうしているわけにもいかない。街中にはまだ魔物たちが残っているかもしれないし、そうでなくても門のほうには、クレール兵たちが攻めてきているのだ。
「戻れないわよ」
 黙って頷いたレンとともに戻ろうとしたところで、よく通る聴きなれた声がする。しかし、耳にしたのは久しぶりだ。あたりを見回すと、見慣れた女の姿があった。
「フラウ」
 複雑な感情を抱きながら、ラスティは逢ったときに彼女が使っていた偽名を口にした。
「戻れないとは……どういうことだ?」
「たった今、門が破られたの」
 一瞬、目の前が真っ暗になる。
「それはつまり、ルクトールは占領されたってことか」
「まだなんとも言えないけれど……望みは薄いでしょうね」
 淡々と告げる女神。破壊神の名にふさわしく、ラスティの希望と気力をことごとく打ち砕いていった。
「くそ……っ」
「とにかく、ここを離れたほうがいいわ」
 悪態づくラスティに、アリシアは冷静に提案する。もはや頭がいっぱいでなにも考えられないラスティは、素直に頷いた。代案がない限りは、そうするしかない。レンも弱々しく同意する。いつもは飄々としている彼だが、トラウマに触れる件もあってか憔悴しきっていた。
 荷物はルクトールの宿屋に置きっぱなしだが、幸いなことに、ちょうど仕事の報酬をもらったばかりだ。それに、武器もある。路頭に迷うことはないだろう。
 ラスティたちは、重い足取りで人の目から逃れるように森の中へと入っていった。



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