第14章 翳りゆく世界


  2.

「やっと戻ってきた」
 晴天に白い壁が映えるアタラキア神殿を目の前にして、ユーディアは呟く。
「長かったようで短かったような」
 ここを出てから2ヶ月あまり過ぎているのだが、いろんなことがあった所為でもっと短く感じる。ラスティたちと別れてここまで帰ってくる道中のほうがむしろ退屈で、長かった。あまりになにも起きなかったので、拍子抜けしてしまっている。
「危険に慣れちゃったかな」
 沙漠やシャナイゼを往復していた時間は短く、街にいた時間のほうが長かったはずなのだが、その僅かな合間に得た経験はユーディアを大きく成長させたらしい。充足感がある。
 しかし、胸にある寂寞感を払うことはできなかった。西と東を往復した旅に、未練を感じる。あわよくば報告が終わったらルクトールに行ってラスティたちと……、と頭の隅で考えてすらいる。見知らぬものを見て回るのは、なんとも魅力的だ。
 いつまでも入口を塞いでいるわけにもいかないので、感慨を振り払って内部に入る。入ってすぐにあるのは礼拝堂だ。大理石の床に規則的に長椅子が並べられ、その真ん中を横切るように赤絨毯が敷かれている。その先にあるのは説教台。司祭は5段の階段を上ってそこで説教をする。
 その背後にあるのが、4つの白亜の像。言うまでもなく、この世界を統べる四神の偶像だ。その中でもひと際小さく、それでいて真ん中に据えられているのは、創造神エリウスの像。エリウスの両脇に控えるのは、光神レティアと闇神オルフェの像だ。東側に跪いているのがオルフェ。西側で、何かを受け入れるかのように両手を広げているのがレティアだ。
 オルフェの像をじっと見つめる。前髪が長くて顔の半分近くを覆っているため、細かいところまでは判断できないが、よく見れば確かに面影がある。けれど、顔に浮かぶ表情はない。彫刻である所為か、それはまるで人形見たいで、同じ無表情でもリズの隣にいた彼とはずいぶん違う。
 そして、最後の1つ。剣を両手に掲げ持ち、地に突き刺そうとしている女神。破壊神アリシア。彼女は旧世界の混沌を嘆き、世界を破壊したというのが伝承だ。しかし、実際は大切な人を殺した世界が憎かっただけのこと。どうしてこのように伝わったのだろうか。
 ユーディアはそのうちの1つ、少年神の面差しをじっと見つめた。ユーディアはエリウスの信者だ。この世界を創りだした、幼き神。その姿のままに、無垢で慈愛に満ちているものだとずっと信じていたが、エリウスの名が出るとグラムたちは不快そうにするのを見ると、心の底からそう信じることはできなくなった。自分の信仰に迷いが生まれているのだ。
 まず、エリウスが人間であったということが、なによりもその根幹を揺らがせた。神は間違えない。創造神となれば、自分の手で作ったこの世界を慈しんでくれているに違いない。それこそがエリウス信者の救いだった。そんな高次の存在が、自分たちと同じ次元に堕ちてしまったのだ。それだけでも衝撃的なのに、友人たちはエリウスを疎ましく思っている。その理由まで聞いてしまえば、鵜呑みまではしなくても、感化されてしまうものだ。
 それに、グラムたちの話によれば、ラスティの持つあのアリシアの剣についての騒動は、エリウスが関連しているらしい。そして、剣を持つラスティになにかの行動を望んでいるというのだ。碌なことではないと、エリウスに会ったことのある皆が口をそろえて言っていた。
 自分が信じてきた創造神の姿と、グラムたちが語る少年神の姿、どちらが本当の姿なのだろう。睨むように像を見ていると、傍で掃除をしていた見習い僧が不思議そうな目でこちらを見ていた。ユーディアはようやく我に返る。
「報告、行かなきゃ」
 自分のすべきことを思い出して、ぼんやりと呟いた。

 ノックして部屋に入る。扉を閉め、2,3歩中に入ると、背筋を伸ばし、敬礼をした。
「ユーディア・エンゲルス。ただいま帰還しました」
「お帰り。遅かったね」
 机に座っているのは、ユーディアよりも3つばかり年上の男性。茶金の髪を綺麗に短く調え、前髪の下では吊り目がちの琥珀の瞳が柔らかく光る。神殿騎士の一隊長クラウス・ディベル。ユーディアに手記を持ってくるように命じた人物で、直属の上司だ。
 隊長とはいうが、グラムのような〈木の塔〉の小隊のような小規模の隊の長ではなく、2、30人を統括している、いわば中隊長だ。中隊長ともなれば、ある程度の権限が生まれ、小さいながらも私室を割り当てられている。与えられた権限は、司教のそれと同レベル。
「申し訳ありません」
 頭を下げると、クラウスは綻んだ。
「堅いよ、ユーディア」
 予想と状況に反した馴れた言葉に、ユーディアは戸惑う。それに、略さずに名を呼ばれるのは久しぶりだ。
「はあ……」
「幼馴染同士なんだからさ、もっと普通に話せばいいのに」
 上司と部下、という関係にあるが、ユーディアとクラウスは同郷の友人である。確かに普段は対等に話しているのだが、
「いえ、でも、今は職務中ですし……」
 いくら幼馴染とはいえ、上司は上司、部下は部下。気安い間柄だからと、立場を越えてしまっては他の者に不公平だ。
「ここには他に誰もいないよ。それとも、命令しようか?」
「……公私混同なんてらしくないですね」
 彼は私情と公務をしっかりとわける人間だ。通常はユーディアをきちんと部下として扱い、きつい命令もするし、失敗すれば叱責もする。特別扱いは受けたことがない。……まあ、手記の手配を任されたのは、よく知った仲だから信頼できるという理由なのだが。
「その公務に飽きたところだよ。休憩がてら、普通に話をしたいんだ。幼馴染としてね」
 休憩は仕事のうちに入るまい。それなら良いだろうか、と思って頷く。ユーディアとしてもそのほうが嬉しい。クラウスも嬉しそうに茶色の眼を細めて笑う。
「それで、遅かったのには訳があるのかな?」
 気楽に話せると思っていたのに、彼の口から出た質問は痛いものだった。
「ごめんなさい」
 頭を下げる。予定より長くなったのは事実。しかも仲間まで死なせてしまったのだ。本当に申し訳ない。
「別に責めてないよ。東の果てまで行ったんだ。そして、シャナイゼ周辺の道は難所。早く帰って来いっていうほうが無理だ。そうじゃなくて、なにかトラブルでもあったんじゃないかなって」
「えっと……」
 ユーディアは道中のことを話した。沙漠で仲間を失ったこと、自分も死にそうなところをたまたま通りがかったラスティたちに助けてもらったこと。それからシャナイゼに行ったことなどすべて。さすがに四神については話さなかったが、任務とは関係のないことはたくさん話してしまい、そのことに気付いたのは気が済むまで語ったあとで、報告どころか土産話になってしまった自分を恥じた。



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