第13章 すれ違い、遠ざかる


  3.

 連れてこられたのは、〈木の塔〉の南東に位置する公園だった。円形の広場で、外側には木が植えられ、中心には大きな噴水がある。噴水の周りや公園の外周に沿って花壇があり、このあたりでは見られないような花が植えられている。夕方や休日になると、子どもがボール遊びをしたり、旅芸人がやってきたり、他にも絵描きや歌唄いなどがやってきて賑やかだったりするのだが、今日は平日の昼日中だからか人はほとんどいなかった。
 正直、リズは少し気まずかった。公園という場所は、だいたいデートスポットだ。特にここは噴水もあるし、花壇もあるし、風通しも良く、外壁に近いために中心部に比べて枝葉も少なめだから開放的で居心地がいいから人気があり、来るカップルも多い。ただでさえ、男女が一緒にいると色眼鏡で見られるのに、こんなところに2人でいて、変な噂が立ったらどうしよう。
「それで、用事って?」
 いろいろ心配事はあるが、これはこれ、それはそれである。それにしても、なにかそんなに大切な用事でもあるのだろうか。思い当たらず、ひそかに首を傾げた。2人きりでと言って場所を変えたのはウィルドなのに、彼はなかなか喋ろうとしない。無表情が思いつめているように見えるのは気の所為だろうか。
「お別れを言いに来ました」
「…………はい?」
 内容が呑みこめず、目と口を丸くしたまま、まじまじとウィルドを見つめた。慌てて脳内を整理して、ウィルドの言葉を反芻する。あまりに予想外な言葉に、頭が混乱してしまっているらしい。
「え、なんの冗談」
 言ってはみるが、彼は冗談を言うような性格では……いや、最近は茶目っ気が少し出ているのだったか。でも、そんな冗談を言うとは思えないから、やはり本気なのか。
「……マジ?」
 ウィルドは静かに目を伏せる。様子がおかしい原因はそれか、とリズは悟る。
「……理由は」
 彼はどれだけ時間が経っても姿が変わらないので、ひとつのところに長居はできない。いつかはここを去るだろうと思っていた。それが今であってもおかしくはない。が、やはりあまりに突然すぎる。
 なにかある、とリズは見ている。戦争をしようというこの時期に、気まぐれで前線から遠い街を離れようと思う奴はいない。
 ウィルドはしばし言葉を探して悩んだようであったが、決意を固めると、
「貴女には関係ない」
 きっぱりと、そう言った。リズを睨むように見据えて。
 怒りが満ちてくる。理由もわからないまま、なにかが弾けた。そして頭から末端まですっと冷えていく。
「……ふざけるな」
 振り上げそうになった拳はなんとか抑えた。それでも激情に駆られてしまうのは止められなかった。
「関係ないだと? だったら、あたしが応えてやろうか。どうせ、エリウスになにか言われたんだろ」
 ウィルドの視線が鋭さを増す。殺意さえ感じたが、それで怯むようなリズではない。黙って真っ向から受け止めた。彼の殺意には慣れている。
「だったらどうだというんです」
「なんだと?」
 相手を傷つけるのを覚悟で、それでも本当のことを言って欲しくて紡いだ言葉が、開き直りともとれる発言で返され、リズは愕然とする。リズの真意を知ってか知らずか、ウィルドは更に続けた。視線は鋭いままだが、口調は機械のように淡々としている。
「私は神です。創造神の手先であり道具。エリウスの命に従うのは当然のことではないですか」
 たまらなくなって最後まで聞かずにウィルドの胸倉を乱暴につかみ、ぐいっと引き寄せる。リズは決して背が低いわけではないのに、それでも僅かに背伸びをしなければならない。それが口惜しくてたまらない。
「本気で言ってんの……?」
 憤っている自分に向けられるのは、冷やかな視線だった。何の感情も読み取れない、硝子のような目だ。まるで、人形の目のような。自分は道具だ、とかつて彼は言っていた、そのときと同じ目だ。
「自分から道具に成り下がろうっての……? 馬鹿か、てめぇはっ!」
 けれど、リズは知っている。彼は神である前に人間であり、表に出すのが苦手なだけで、感情を持ち合わせている。それなのに、自らを道具と呼称するなんて。許せない、というよりも悲しくなってくる。
「では私にどうしろと? 1000年生きた者が今更、普通の人間のように過ごしていけると思うのですか!」
「それは……」
 リズは言葉を詰まらせた。過ごせるはずがない。
「闇神としての生き方しか知らない……。普通の人間であるなら他の生き方も選べるかもしれないが、永久にも等しい命では選択肢は役目を全うするか責任を放棄するかしか選択肢がない」
「道具になったら、責任もなにもないだろっ。そもそも、人を殺さなきゃならない責任ってなに!?」
「世界を歪ませる可能性があるものの排除。それが私が背負うべき役目。裁くことが私の責任」
「そんなの、エリウスが勝手に言ってるだけじゃん!」
 叫んでいて、虚しくなった。彼の心に届く事を言うことができない。言える自信がない。
 リズは普通の人間だ。まだ四半世紀も生きていないし、100年と経たずに死んでしまう。彼の生き方は間違っていると思うが、代わりの生き方を示すことができない。示したところで、リズの短い寿命では保証することもできない。無責任なことを言えるはずがなかった。
 なにを言えばいいのかわからず、歯噛みする。もっとまともな事を言えないのだろうか。そんな自分に腹が立ち、だんだん自分がなにに対して怒っているのかも、彼をどうしたいのかもわからなくなる。
「じゃあ、なに。その責任とやらであたしたちも殺すわけ」
 そう言ったのは、半ば自棄だった。
「……そうなりますね」
 肯定されて、自嘲する。何故訊いたのか。否定してくれるとでも思ったのか。なんて甘いんだろう、と自分に呆れた。自分という存在は彼を引き留めることができると思っていたようだ。
「なら殺せよ。今、ここで」
 右手で杖を抜き、左手に棒手裏剣を用意する。構えを取るが、オルフェは動く様子がなかったので、更に挑発した。
「どうした? あたしは禁術を取得しているぞ。世界を歪ませるんだろ? 裁きの対象じゃないか」
 オルフェはそんなリズを無感動に見つめていたが、やがてふっと失笑し、目を伏せた。
「今日はやめておきましょう。人の目もありますし……まだ、私はウィルドだ」
「逃げるのか」
 都合よく聞こえる言葉に食ってかかるが、ゆっくりと目を開いたオルフェは嘲りの色を浮かべてリズを見つめた。
「その疲れた体で私と戦い、生き残れるとでも? 今まで私の気まぐれで生かしておいてやったことを忘れないでください」
 再び怒りが沸き上がり、杖を強く握りしめた。だが、仕掛けることはしなかった。彼の言う通りなのだ。万全の状態でも勝てるかわからないのに、さんざん訓練をしたあとの疲れた身体で互いに本気で戦って、生き残れるはずがない。認めてしまうのは悔しいが、無謀なことをしても意味はない。あしらわれて、それで終わりである。
 怒りと悔しさで、地面を睨み付けることしかできなかった。
「今までお世話になりました」
 淡々と告げたウィルドの言葉の中に、感情が入っていた気がして、リズは顔を上げた。しかし、ウィルドはリズを見ることなく背を向ける。
「次会うときは、殺します」
 振り返ることなく、立ち去っていく。リズは姿が見えなくなってもしばらくそれを見送って、やがて苛立たしさに魔力の塊を地面に叩きつけた。魔力の塊は小規模に爆発を起こす。そこから生まれた風がリズの長い髪を揺らした。



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