第12章 帰郷


  4.

 ハイアン・ラウ・アリシエウス。
 ディレイス・ロウ・アリシエウス。
 歴代の王の墓に、新しく刻まれた2つの名前。彼らが今この墓の下に眠っているのかと思うと、とても妙な感じがした。悲しい、というより現実感がない。
「この国の王は、とても慕われていたのね……」
 吹く風と木の葉だけが囁く静寂を破らないようにしながら、ユーディアは呟いた。墓石の前にはたくさんの花が並んでおり、彼らがどれだけ民に好かれていたのかを示している。
 墓地は、城下町の北にあった。円形の町から、わずかに外に出た場所に。アリシエウスを取り囲む森の入口の付近に、ひっそりとあるのだ。
 墓地の東側には、まるで襤褸小屋のような木で造られた墓守の家がある。中では、黒い長衣にくるまった齢80位の老人がうたた寝をしているはずだ。
 そんな、賑やかだった街とは正反対のひっそりとした、しかし墓場特有の不気味さのない場所で、ラスティはユーディアを連れて死んだ友人たちの顔を見に来たのだった。
 墓の前にしゃがみこみ、亡骸の顔を覗き込むように墓石を見つめていたラスティの手に供えるべき花はない。たとえ知らない人間でも街の人と顔を合わせるのが億劫で、手ぶらのまま墓参りに来てしまったのだ。
 ラスティは腰に差した2本のうちの1本の剣を抜いた。アスティードのほうである。刃が陽光を反射し、銀色に煌めく。
「アリシアの剣。正しくはアスティードというらしい。あの日、俺はハイアン――王からこれを託された」
 ユーディアは不思議そうに剣を見ていたが、ラスティの言葉に驚いたのか、目を見開いて見上げてくる。
「いいんですか? 私に、そんなこと」
「仲間はずれは嫌だろう」
 そろそろ隠し続けるのも難しくなってきたし、頃合いだと思った。いや、むしろ遅いくらいだった。
「仲間はずれだなんて……」
 否定しきれないのか、恥じらうように俯く。その様子がなんだか可愛らしくて、ラスティは笑った。
「言わないだろう?」
 上目遣いでじっと睨んでくる。
「……ずるい」
 もう一度笑うと、剣を戻す。墓に視線を戻して、話を続けた。
「俺がシャナイゼに行ったのは、逃亡も兼ねて、この剣について調べるためだ。
 グラムたちが――というより、ウィルドが詳しかったから、なにか手掛かりがあるんじゃないかと思った」
 しかも、都合のいいことにアリシエウスやクレールから一番遠かったから、逃げるにはもってこいだった。もっとも、アリシエウスを出てからは、剣がらみで身の危険を感じるようなことはなにもなかった。それが、警戒した結果によるものか、思い過ごしだったのか、それはわからない。
「あんな遠くまで逃げて……結局、不発だったけどな」
 書物を調べてもなにも出てこなかった。当然だ。ウィルドの知識は元々彼のもの。書物に書かれていたことではないのだから。
「フラウさんは……」
 もう1人、アスティードのことについて、書物に乗っていないであろう知識を持つ者の名を上げる。
「なにか知っているだろうが……」
 彼女は持ち主だったわけだから、むしろウィルドよりも詳しいはずだ。だが。
 前に沙漠を渡ったとき、フラウはアスティードがどうなろうと知ったことではない、と言っていた。彼女の性格からして、おそらく本心。もはや関心がないのだから、尋ねてもまともな答えが返ってくるか怪しいものである。
「訊かれる前からそう言われるのも、悲しいものね」
 突然割り込んだ声に振り向くと、花束を抱えた金髪の女がこちらへ歩いてくる。陽溜まりと風に揺れる木を背景に、墓石の間を縫って芝を歩く女の姿は見慣れたものだったが、何処か非現実的にも見えた。降臨した、と言われても信じるかもしれない。そんなはずがないのに。
「フラウ」
 人気はないが、本名を呼ぶのも躊躇われて、偽名を呼ぶ。口にしてみると名前が彼女に馴染まなくて違和感がある。本当の名前を知ったからだろうか。
「否定はしないけれども」
 そうしてアリシアは笑う。
「どうしてここに?」
「あら、当然じゃない。お墓参りよ」
「花を手向けるような相手が?」
 ふふふ、と笑って呆れたように肩を竦めた。
「アリシエウスの子が言うとはね」
 アリシエウスはアリシアを信奉する国である。伝説が本当なら、接点もある。
「歴代の王、って柄じゃないだろう」
「まあね。でも、1人だけいるわ」
 そういえば、初代のアリシエウスの王はアリシアから剣を託されたのだったか。ということは面識があったと考えるのが自然だ。どんな動機があったのかは知らないが、見ず知らずの者にそんな大事な物は託さないだろうから、知り合いだったのだろう。
「ヒューバートは私の部下だったの」
 初代の王の名を親しげに呼ぶ。やはりそうなのだ。
「部下?」
「お姫様の親衛隊の副隊長。私が隊長でね。私がもっとも信頼していたのは彼ね。
 だから、世界崩壊のあと、その剣を託したの。でも、まさか国に私の名前にあやかった名前を付けるとは思わなかったわ。おまけに、歴代の王族たちが名乗るんだもの、赤面ものよ」
 ぽかん、と2人してアリシアを見つめる。彼女が自分のことを話すのは初めてだ。
「堅物の癖に、たまに子どものような発想するんだから」
 どこか懐かしそうに遠くを見つめるアリシア。
「どうして、あんたは神になろうと思ったんだ?」
「別に、なりたくてなったわけではないわ。世界を壊したら、今の世界で破壊神になってた。……とくると、次はどうして世界を破壊したか、かしら?」
 ラスティは頷いた。ユーディアもまた慌てたように横で頷く。彼女がここまで話してくれることなど、あとにも先にも二度とないだろう。
「大切な人が死んだから」
「……それだけ?」
「ええ、それだけ」
 その先を続けるかと思ったら、そのまま口を閉ざしてしまった。当惑して、ラスティとユーディアは顔を見合わせる。
 世界を破壊するには、あまりに簡単すぎる気がした。確かに英雄譚などでなくはない話だが、あまりに現実的ではない気がする。
 だが、よく考えてみると、1000年前の旧世界の人間が神として生きていたり、たった一振りの剣で世界を破壊したりと、現実味のない話ばかりだ。ならばおかしいことではないのか。
 呆けるラスティたちを尻目にして、アリシアはようやく手に持つ花束を墓に備えた。
「貴方、私に似てるわ」
 唐突に言われた言葉に、は、とラスティは気の抜けた声をあげた。心外である。ラスティはそこまで卑屈になった覚えはない。
「境遇がね」
 性格などではないのか、と少し安心したが、ますます訳がわからない。共通点を敢えて言うなら、王族の身近にいたことだろうか。言葉少なに語られた彼女の過去からでは、なにを指しているのかよくわからない。
 ラスティの疑問に答えることも、その境遇とやらを語ることもなく、アリシアはただ墓の前にしゃがみ込んでいる。
「……悪いけど、先に帰ってくれない? 1人になりたいの」
 不完全燃焼のまま追い出されることに、少し言いたいこともあったが、なにも聴かないとばかりに、アリシアは墓に刻まれた王族の名の、一番はじめの文字列を指でなぞっている。ここはおとなしく引き下がることにした。
 きっと、過去の部下に話でもあるのだろう。



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