第12章 帰郷


  2.

「アレックス、無事だったんだな……」
 驚愕に満ちた友の顔は、怪我をした様子もなく元気そうだった。ラスティはほっとして顔を僅かに綻ばせる。どうやら仕事の途中だったようで、左手に工具箱を下げていた。
「ラスティ……?」
 アレックスはうわごとを言うように、名前を呼んだ。
「お前……」
 アレックスは工具箱を落とすと、かつかつとラスティの元に歩み寄った。そして、胸倉を掴み、怒鳴り散らす。
「どの面下げて、戻ってきやがった!!」
 ギラギラと輝く目に憎悪が宿っているのを見て、わけもわからず驚いた。
「お前の所為で、ディルは……」
 悔しそうな表情を浮かべたかと思うと、突き飛ばされた。勢いを殺すことができず、2、3歩下がると、後ろにいたユーディアにぶつかったが、謝る余裕などない。アレックスに拒絶されたのがただ悲しくて、ラスティは唇を噛む。
「なにしに戻ってきたんだ」
「クレールがリヴィアデールと戦争するというから、アリシエウスがどうなったのかと気になって……」
「自分の故郷が敵に乗っ取られるのは、黙って見ていたくせに? 戦いの前に逃げ出した奴が、なにを馬鹿なことを」
「違う! 俺は逃げ出してなんか……」
 最後まで言えずに口をつぐむ。逃げたように見えるのかもしれない。なにせ、ラスティが出ていったのとアリシエウスが襲撃にあったのに、対して時間差がないからだ。
「それとも、アリシエウスを売ったのか? 後ろの女はその仲介人か」
「違う!!」
 ――どうしてそうなる。
「彼女は関係ない。俺も国を売ったりなんかしていない。する理由がない!」
 有り得ない誤解に、ただただ悔しくなった。そんなことを考えたことは一度もない。だが、相手にはそういう風に見られているのだ。忠誠、というほど立派なものではないが、この国に己の人生を懸けようと思っていたのに。
「じゃあ、どうしてアリシエウスを出ていったんだ! それも、クレールの襲撃がある前に!」
「それは……」
 ハイアンとディレイスから、剣を持って逃げてくれ、と言われたから。
 なんて言えるはずもない。誰が信じるというのだ、そんなこと。ラスティもアレックスの立場であるなら、戯れ言にしか思えないだろう。
「言えないと?」
 答えに窮すラスティを嘲笑うと、アレックスは踵を返す。
「何があったにせよ、俺はディルを捨てたお前を赦さない」
 そう吐き捨てて、遠ざかっていった。

 友人に拒絶されたラスティは落ち込んでいるようだが、それでも城を目指していた。安易な言葉で慰めることなんてできるはずもなく、ユーディアは黙ってその背中についていく。
 申し訳なさと、同情と、庇ってくれたことに対する少しの喜びを感じていた。だが、不謹慎にもそんな感情を抱いていることが、結局申し訳なくなる。感情が堂々めぐりしていて、気が滅入る。
 ユーディアは、自分の目の前に横たわる街並みに意識を向けた。周囲には立派な邸が建ち並んでいる。先ほどまでいた街の様子とは打って変わっていた。こんなことになるまでは活気に満ちていたことだろう商店街とは全く違って、邸とその庭には傲慢さが多少見え隠れしているのだ。ユーディアは自らの国を思い出す。貴族というのは、どこも同じなのかもしれない。
 だが、それでも、傲慢な貴族たちが民を虐げることもなかったようで、街を見る限りこの国は平穏だったであろうことが伺える。これだけ整備された街であるにもかかわらず、田舎に似た長閑さがあったのではないだろうか。襲撃に遭った所為か、それとも国を乗っ取られた所為か、今は陰りが見えているが。
 目の前に白亜の城が聳え立つと、ラスティは唇を強く結んだ。普段無表情に見える彼には、珍しい変化。緊張していると同時に、いわれのない糾弾を受けることに恐怖を感じているのかもしれない。
 城と同じ石で造られた門の前に立ちすくむユーディアたちに、門番は目を向けた。小柄な体格に無骨な黒っぽい金属鎧が不釣り合いな、この国特有の青みがかった黒い髪と目を持った、まだあどけなさを残す男だ。手にした鉾槍が重そうに見える。毎日見ているはずなのに、持ち手が変わるとそう見えるのは一体どういうことだろう。レンはあの華奢な身体で軽々とあれを扱って見せているというのに。
「お前はっ!」
 自らが守護する門の前に立つのが誰なのかに気付くと、門番は声を荒げた。先ほどのアレックスとかいった青年と同じように憎悪の目を向けられ、ラスティは落胆して目を伏せる。
「なにしにここに来たんだよ!」
 次々と発せられる罵りの言葉を、彼は黙って受け入れていた。相手が気が済むのを待って、ラスティは静かに口を開く。
「エトワール」
 名前を呼ばれた門番は一瞬驚いた顔をしてみせると、不快そうに眉間に皺を寄せた。
「中に入れてはくれないだろうか」
 その言葉は、当然受け入れられることはなかった。
「馬鹿なことをいうな。誰が、お前なんかを!」
「馬鹿言ってんのはお前だよ」
 殴りかかってさえ来そうなほど激昂している門番を、ガツン、と兜を殴りつけて、門の奥から人物が姿を現す。やはり黒眼黒髪。目の端が少々釣り上がった男。門番とはまた違った、紺色の鎧を身に纏っている。
 隣でラスティが目を見開いた。
「エト、お前まであの阿呆臭い噂話を信じてんじゃねぇだろうな」
 男はじわじわと門番ににじり寄り、壁際に追い詰めた。
「あのなぁ、こいつは逃げるなんてそんなことはしない。それよりも居残って敵を迎え討ったほうが楽だという奴だ。そのほうが逃げたあとの生活とか考えなくていいからな」
「……おい」
 緊張や恐怖や落胆とは違った、心底呆れたという風な空気がラスティの周囲を包み始める。
「更に言えば、国を売ったっていうのはもっと有り得ないぞ。こいつにもしも王に対して不満があったとしたなら、正面からばっさりと斬るに違いないからな」
「おい、クロード」
「違うのか?」
 見つめ返されてラスティが怯んだ。その目にからかいの色はないので、結構本気で訊いているらしい。
 しぶしぶといった様子で、ラスティは口を開いた。
「………………否定はしない」
 ユーディアは吹き出した。じろりとラスティが睨んできたので、慌てて口元を隠す。もう遅かったかもしれない。
 ラスティは呆れ果てて、重々しい溜め息を吐いた。
「そろそろ真面目に話をしたいんだが?」
「そうだな」
 クロードはエトワールに手を振ると、ユーディアたちの右の方向に歩いて振り向いた。
「落ち着いて話そうぜ。着いてこいよ」
 行くぞ、と視線だけで振り向いてみせたラスティに頷くと、2人についていく。
 全く、とぼやきながらも大人しくクロードの後を追うラスティの背後で、ユーディアは人知れず微笑んだ。
 彼は自分の足取りが軽くなっていることに気付いているだろうか。



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