海が見たい、と彼女が呟くので行くことにした。


「寒いねー!」
「冬だからな」


冬の砂浜に佇む二つの影。一つはしゃがみこみ、もう一つは立ち尽くす。横から吹き付けてくる風が痛くて、深く被っていたニット帽をさらに引っ張る。そんな俺を下から見上げていたのだろうか、控えめな笑い声が下から聞こえてきた。そんな彼女も、フードを握りしめている。


雪が降ってもおかしくないな。そんなことをぼんやりと考える。


「ねえ」
「何?」
「本当に行っちゃうの?」


突然の質問に俺はニット帽を引っ張る手を離した。彼女はもう俺を捉えていない。ただ真っ直ぐに目の前の地平線だけを見つめている。ただ真っ直ぐに。


「…ああ」
「そっか」


くしゃり。斜め上から見る彼女の顔が歪んだ。ちくり、と胸を何かが刺す。


「皆、私を置いて行っちゃうんだなー!」


しかし彼女の瞳に余分な液体はなかった。彼女は笑っていた。いつも俺に見せていた笑顔を浮かべて。ちくり、とまた胸を何かが刺した。今すぐに抱き締めたかった。この今にも消えてしまいそうな彼女を、今すぐにでも自分の腕の中に入れて閉じ込めてしまいたかった。今までならきっとそうしただろう。だけど今は。


「楽しかったんだよ?君とのお喋り」


知ってる。


「君、無愛想だからなかなか会話は続かなかったけど」


知ってる。


「このパーカーをくれたとき、とても嬉しかったなあ」


知ってる。


「プレゼントなんて久しぶりだったから」


知ってる。


「………」


………。


「なあ」
「何?」
「…あんたも、来いよ」


最後の悪足掻きに彼女はまた顔を歪めた。自分でも最低な奴だと思う。最後の最後に言う言葉じゃない。


「だめだよ。私はここから離れられないもん」


風がまた強く吹いた。傍らの彼女がフードをきつく握りしめる。俺はもうニット帽に手をやらなかった。


「君が去ればここは無くなる」
「そうだな」
「でも私は忘れないから。君のこと」


立ち上がりこちらを向いた彼女に浮かんだいつもの笑顔と、一筋の涙。いつの日だったか、寒そうに肩を震わせていた彼女にあげたお下がりのパーカーがよく似合っている。彼女に触れたい衝動を抑えて俺は背を向けた。そのまま、歩き出す。


「ありがとう。さようなら」


最後に聞こえた愛しい人の声を乗せて一層強く風が吹いた。止んだと同時に振り返れば、そこには冬の砂浜も地平線も彼女も何も無かった。



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大きくなって空想の世界にいられなくなった少年の話。




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