ゾルフ・キンブリーという紅蓮の錬金術師は、セントラル勤務が常だったが軍部全体で割と知られた男だった。その男に、同じ師を仰いだ兄弟弟子がいる、という話もちらほら耳にしてはいたが、噂話にそこまで興味のないロイは「ふうん」程度の相槌をして済ませた記憶だけ薄っすらと持っていた。
 噂話は大事だ。特に、これから軍部で成り上がっていこうというのなら、良好な人脈を築くためにも人間関係の把握はミソである。とはいえ、キンブリー少佐にはあまり良くない噂――”良くない”というのはロイの勝手な心象であって、軍にとっては間違いなく良い人材であろう――がつき纏っていたので、耳に入ってこなかったのかもしれない。

「なぜ?それが国家錬金術師の仕事だからです。なぜ国民を守るべき軍人が国民を殺しているのか?それが兵士に与えられた任務だからです」

 国軍制圧下に入ったキャンプで、休憩中に知己に零した言葉尻を拾われ、唐突にかけれた声が静かに響いた。その場にいた人間が皆、こちらに耳を傾けていることがわかった。
 ロイ・マスタングは錬金術師という特殊技能があったため少佐相当官という肩書を貰っているが、実質権限は大尉だ。話しかけてきた男――キンブリー少佐は内実共に”少佐”で、ロイの上官にあたると言ってもいい。だがロイは敢えて堂々と肩書のとおり敬称は使わずに話した。一つは、己の部下であり師の娘である若い士官を、わざわざ傷つけるような物言いをしたからであったし、一つはなんとなくこいつに興味があったからだ。
 この男の言っていることはわかる。頭では理解できる。常時ならばロイも、「正論だな」と冷静に返したことだし、もしかしたら自分がそれを言っていたかもしれない。
 だが、軍人とは軍人を相手に戦うのが”通常業務”だ。戦争において非軍人を積極的に殺すことは、”通常なら”国際条例違反として許されるものではない。今回は、あの忌まわしき大総統令三〇六六号によりイシュヴァール内乱地域に居座る人民は全て国に反逆する準戦闘要員であると定義づけられたため、めでたく逃げ惑う民間人を蒸し焼きにする正当な理由ができた。
 薄っぺらな紙の上でどんな理屈をこねくり回そうと、現場で手を下すのは軍人だ。ただの無抵抗な民間人までも撃ち殺し、焼き殺しまくって憔悴しきったロイの心には彼の正論がいささか鋭利に突き刺さった。

「戦場という特殊な場に正当性を求める方がおかしい」
「一人二人なら殺す覚悟はあったが何千何万は耐えられないと?」
「自らの意思で軍服を着た時にすでに覚悟があったはずではないか?」

「死から目を背けるな」
「貴方が殺す人々のその姿を、正面から見ろ」
「そして忘れるな。奴らも貴方のことを忘れない」

 彼の言葉はきっとこの場にいた兵士すべての心に、十字架のように轟いたことだろう。

「それっぽいことを堂々と言って、部下虐めて楽しいんですか?キンブリー少佐」

 そのとき女の言葉が聞こえ、沈鬱な空気に満ちた休憩場所に外の音が入ってきた。緑がかった黒髪をポニーテールにした鼻筋の通った女性で、前髪のかかった額の脇の方に切り傷がある。
 彼女はコップとビスケットを抱えてやれやれといった面持ちでキンブリーに近づいた。

「はい、ビスケットまだもらってないでしょ」
「これは有難い」
「実は最初から聞いてましたが……あまり根を詰めないでくださいね。えっと、すみません、特別徴用の身なもので名前を存じ上げないのですが」
「マスタング少佐です。平時は大尉ですが」
「マスタング少佐……あの、焔の錬金術師の、ロイ・マスタング少佐ですか。お目にかかれて光栄です、わたしはユレー・レイリー。塑性の錬金術師です」

 ぎこちない仕草に、すぐ軍属ではないとわかった。どうやら国家錬金術師として初の戦時登用らしい。”塑性”ははじめて聞く二つ名だが、錬金術の内容が直感ではわからないあたり少し興味がある。
 だがそれより、このキンブリーにあそこまで雑にビスケットを投げ渡す関係のほうが気になった。

「キンブリー少佐、あなたは先程軍人なのだからどんな任務でも受け入れろ、というようなことを仰っていましたが、別に彼らは戦線から逃亡してるわけでも上官に歯向かったわけでもないですよ。心の中で何を考えようと自由ではないですか?」
「勿論自由ですよ。わたしも、もし戦線から逃げたり敵の逃亡を助けたりする輩がいればこんなところで注意せずに上に報告しますからね」
「なら焚きつけたり、傷つけるのはやめてください。傷つきます」
「誰が?」
「わたしとその辺の人が」

 レイリーとやらがコップを持ち上げたとき、掌に錬成陣が刻まれているのが見える。
 そうか。この人が、あのうわさで聞いたキンブリー少佐の兄弟弟子か?ふと、ヒューズの方を見ると頷いている。さすが親友、どうやらロイの疑問を察したらしい。

「――だからさっきのは、体制の問題を個人に集約しているだけの詭弁だよ。軍人が嫌がるってことはなんか問題があるってことでしょ」
「主題がズレていますよ。わたしが言いたいのは、嫌々ながら殺したと言い訳することで己の罪の意識を少しでも軽くしよう、という卑劣な性根です。軍部全体の罪の話などしていない」

 二人はしばらく、互いの主張に対して嫌味を飛ばしあっていた。レイリーはかなり弁が立つようだが、キンブリーの方もこんなふうに弁論が得意なのは初めて知った。

「ーーまあいいですよ、あなたのいうことも一理ある。上官の頬を殴り飛ばしでもしない限りは、心でどう自分に言い訳しようと軍人として最低限の責任は果たせている、としよう」
「まあわたしの方もあなたの主張は理解したよ。主張っていうかただの好みだけど」
「好み、ね…」
「……ところでマスタング少佐、後学のために教えて欲しいのですが、上官の頬を殴り飛ばすと普通はどうなるんでしょうか?」
「え?」

 突然話題を振られて思わず素が出た。レイリー補佐官もキンブリー少佐も穏やかな様子でこちらを見ているが、気持ち、レイリーの目が冷たい。

「良くて減俸、悪くて軍法会議にかけられ降格か懲戒免職です」
「あら素敵〜。わたしはどれになるんだろ」
「あの時説明したでしょう。軍属でない人間を軍法で処罰することはできません」
「なるほどなるほど……つまりあんたを何回ぶんなぐっても銀時計はなくならないと」
「いえ、レイリーさん。普通に警官に逮捕されます」

 思わずホークアイがフォローした。この会話で”既に”二人に何があったのか想像がついたがこれでわかりやすく色めき立つほど軍人は演技下手ではない。皆、ついさっきのひりついた空気はなんのその、何食わぬ顔で食事に戻っている。
 しばらくしてレイリーは「キャンプに戻ります」といって腰を上げた。キンブリーもそれに続いて二人でその場を離れ、いなくなったのを見計らってロイは「なあ」とヒューズに問いかけた。

「ああ。あのレイリーさんがキンブリー少佐の姉弟子らしい」
「姉!」

 だからあの態度か……。
 思わず納得したロイの隣で、ホークアイもまた嘆息していた。さきほどキンブリーに詰め寄られて悲壮に歪んでいた表情が、少し柔らかくなっている。よかった。

「なんか……おもしれえよなあ、あの二人」
「おい」

 ロイはまた一口スープを飲んだ。



 次に彼女に会ったのは、それから二週間後の衛生拠点だった。
 自分の所属していた部隊がイシュヴァールの武僧にゲリラ攻撃され、十数人が重傷を負った。上官は彼らを捨て置いて攻撃を続けるよう命令したが、ロイは彼らを一つ隣の地区で陣を張っている衛生拠点まで運ぶよう進言した。本来なら、衛生兵でもどうにもならない傷は治すすべなくその場に置いて、後方部隊に頼むのが常だが丁度ロイの場所からあのキンブリー隊が丘一つ越えた向こうに来ていたのだ。
 イシュヴァール自治区で起きた反乱を止めるのにここまで国軍がてこずったのは、まさにそのイシュヴァールの武僧のゲリラ攻撃にあった。例えば強力な兵器を持っていたり、一糸乱れぬ強力な軍隊を持っているだけならば、軍もまた大量の兵器と統率の取れた軍隊で対応できる。しかし”一個人がそれぞれ強い人間が少数精鋭でグループ行動をしている”となると、マニュアル化された攻撃様式では思うような打撃を与えられず、損失も大きい。よってアメストリス国も、”独自の技術と強力な攻撃力を持った一個人”を軍に投入して対抗した。国家錬金術師の権限を少佐相当官にまで引き上げてまで少佐を大量に生み出したのも、マニュアルではどうにもならない戦況をその錬金術師独自のやり方で攻略していくのに命令系統が混乱するのを避ける為だ。

「マスタング少佐、またお会いしましたね」

 彼女は、錬成陣が描かれた地面につけていた両手を離してひとつ、息をついた。
 ロイと部下が必死の思いで運んだ兵士たちは、途中で一人こと切れてしまったものの9人をレイリーに診せることができた。まさか死体を使って生きた人間の足りない臓器や骨肉を埋め合わせているとは思わなかったが、甲斐あって9人全員の命を助けることができた。

「レイリー補佐官、改めてありがとうございます。このご厚情忘れません」
「何を仰るんですか、お互い様です」

 レイリーはめくりあげていた腕を下ろして簡易椅子に腰かけた。そこでロイはふと、どうしても気になってしまったことがあり周囲を見渡してキンブリー少佐がいないことを確認した。

「キンブリー少佐はいませんよ、今何かの会議に呼ばれて向こうのテントに居ます」
「ああ、バレましたか……」あはは、と笑うと彼女も「あはは、まああいつちょっと怖いですもんね。ネジ飛んでる感じあるし」と侮辱と取られそうなことをあっさり言ってのける。
「そのことなんですが、」
 ロイは言葉を切った。

「キンブリー少佐とは違ってあなたはずっと民間の錬金術師だったと聞きました。なぜ軍にいらしたんです?」

 あの、戦場でこそ本領を発揮しそうな錬金術を見ると”向いてない”とは言えないが、どうも彼女にこの仕事は向いていないように見える。だが、それを軍人に、特に女性に向けて言うのは侮辱ととられてもおかしくないから気を付けろ、とヒューズに言われたばかりだ。ヒューズ曰く、”軍人は軍人としてそこにいるのに、向いていないとか来るべきじゃないとかいう言葉を軽率に投げかけるのは彼らの覚悟を無視する行為だ。特に、非力で守られる側だとみられがちな人にそれを告げることは、例えロイの過剰な紳士ぶりが招いたことであっても無礼にあたる”とのことだった。
 レイリーは少し悩んだあと、「まあ、ゾルフに誘われたのは確かです」と言った。まず、女性を誘う先がダンスや夕食ではない時点でお前は何を考えてる?とロイは思ってしまうものだが、それを差し引いても、あの男がどういった意味で彼女を戦争に誘うのか余計わからない。

「民間は本当に金がなくて困っていて、わたしは馬鹿なところがあるから貧困に甘んじていたけど、キンブリー少佐がもうその必要はないだろうって」
「必要とは?」
「母のために実家にいたんですよ。でも再婚を気に家を出ていたので、地方に留まっている必要がなくなって、それを言ったら国家錬金術を集めていると言われて」

 はやり戦争が始まることを分かったうえで誘ったようだ。良い噂を聞かない男だと思ってはいたが余計に不可解だ。

「ただ、戦争は人を殺したり死ぬ人を大勢見るところですから……」
「通常でさえそうだ」

 ロイは敢えて、このイシュヴァール戦は特殊だ、だから気を落とさないように、と励ましの意味を込めて強調した。

「ええ。だから、ゾルフのことが心配だったんです。死ぬかもしれないっていう方じゃなくて……まあそこも心配でしたが、他にも」

 レイリーはそこで難しく眉をひそめた。

「心配、ですか。本当に姉弟弟子思いで優しい方なんですね」

 ロイは優しく笑いかけた。心身ともに傷ついた戦線で、人の思いやりや優しい感情に触れるとそれだけで心が温まる。
 しかし、レイリーは少し困った表情で「そんないいものじゃないですよ」と笑った。

「たぶん彼が大事なんです。彼の方もそう思ってくれてるといいんですけどね」
「あなたみたいな方に想われたらどんな男も光栄でしょう」
「噂に違わず、ロイさんは口が上手いですね。でもそういう意味じゃないんですよ」

 ロイ・マスタングが彼女と話したのは、これが最後だった。ユレー・コスモクロア・レイリーは、イシュヴァール殲滅戦の直後五人の軍人を殺して無期懲役の刑で投獄された。

戦渦の影おくり

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