5.3 ホグワーツ特急と組み分けの儀式
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。校長のミネルバ・マクゴナガルです」
来賓席の真ん中で老齢の女性が立ち上がり話し始める。彼女の声は不思議だった……頭の中にスッとしみこんでくるような優しい声なのに、マイクも見当たらないし、不思議とはっきり大きな声で聞こえてくる。ラズベリー色のトンガリ帽子と帽子と同じ色の長いローブが相まって、絵本に出てくる理想の魔女が立っているようだ。
「この後すぐに素晴らしいご馳走を共に囲み、あなた方を歓迎する宴を開きます。その前に幾つか重要なお知らせがあります。まず、城内の禁じられた森に入ってはいけません。これは元々入ってはいけない森ですが――」
ここでマクゴナガルは特定の生徒を見たような気がした。
「今年は特に、厳重に注意をしておきます。入った場合寮のポイントが引かれるだけでなく通常より厳しい罰則がつきます。それらを引き換えにしてもどうしても入りたいという者は先に遺書をしたためておいてくださいね、命の保障はできませんので――勿論これは冗談です」
「管理人のフィルチさんから、使えなくなったマグル製品を城内に捨てないようにという注意がありました。これは我々教職員も厳に目を光らせています。因みに昨年度のポイ捨ては追跡魔法により全てのゴミが元の持ち主の元に返り、確実な減点要素となっています」
「今年度は魔法省より魔法生物規制管理部の方が何度かお見えになります。お会いした際はホグワーツの生徒として失礼のないように」
ポッターが言っていた、学校に森や湖があるというのは本当だったらしい。
でも普通なら、"入ってもいい森"の近くに学校を建てないか?アウロラはてっきり授業で森を使うのかと思っていたので拍子抜けした。
マクゴナガルはその他にも幾つか連絡事項を伝えると、「では、どうぞ存分に歓迎会をお楽しみください」と言ってグラスを掲げた。彼女の笑みに合せるように教職員と生徒たちもグラスを掲げ、歓迎会は始まった。
ホグワーツの歓迎会は、これまた奇妙で豪勢だった。まず、合図とともに、空っぽだった食器の中に突如として食べ物が現れて、空からはゴーストが舞い降りて生徒たちを脅かした。ご馳走はトルコでは見たこともないものばかりで、正直アウロラにはもう少しスパイシーなものの方が良かったが、こんな豪華で心躍るパーティに参加したのは生まれて初めてだ。
「今、見た?この料理どこから出てきたの?」
「魔法だよ!」
スコーピウスはナイフとフォークで上品にステーキを切り分け、それを口いっぱいに頬張って満面の笑みで答えた。
「母が言うには、ホグワーツの料理は世界一だって!母のも美味しいし、豪華だけど――こういうのも悪くない。すごく悪くないよ」
「いや、料理の出来の話じゃなくて――」
アウロラはポークチョップとポテト、キドニーパイ、豆、ローズとチキンを皿に盛りながら「提供の仕組みについての話だよ」と強調した。
「それ、父さんが何か言ってた気がしたんだけど忘れたかも」
アルバスが唸った。料理のおかげなのか、先程より少し顔色が明るい。少しほっとする。
「屋敷しもべさ。大広間の下に厨房があって働いてるって噂だよ」
突然、斜め向かい側に座っていた上級生が答えた。
「アレックス・ザビニ。三年生だ」
サビニは背が高く美しい顔をしていて、滑らかな肌が黒曜石のような黒人の生徒だった。彼は金のコップでごくごく何かを飲み、唇についたそれを親指で拭った。
「アウロラ・シャーヒン。一年生です」
「はは、一年生なのは知ってるよ。シャーヒン……すまない、聞き慣れない家名だ。でも素敵な響きだね」
「わたしトルコ人だから珍しく感じたかもしれないわ」
「へえ、トルコから!カッパドキアに観光に行ったことがあるよ。絶景だった、由緒正しい吸血鬼一族の宴会に招かれてね……」
今、なんて言った???
ザビニは片眉を上げて、長い指で顎に手を当てて懐かしむように目を細める。額から顎へかける稜線が、連続して人差し指に流れ滑らかに手頸へ繋がるそのさまはまるで風で研磨された岩肌のようだ。流れるような優雅な仕草に思わず目を奪われそうになったが、"吸血鬼一族の宴会"という単語に全ての意識を持っていかれた。
「アレックス、復活祭では素敵なプレゼントをありがとう。ママが喜んでた」
「とんでもないよ。なにせうちのママがあれを選ぶのに大層時間をかけていたから――あれ、絶対にプレゼントを贈ることより選ぶ作業が楽しいのさ。大人ってそういうところあるよな」
「あるね。うちのママも買い物に行くと必ず長丁場」
スコーピウスはザビニだけでなく他の上級生や同級生とも面識があるようだった。
イギリス魔法界の狭さを考えれば、それは何も驚くべきことではない。アウロラのように全くその世界を知らずに育った子やマグル生まれの子以外の、つまり魔法族の生まれの子どもは親同士が知り合いなんて言うのはざらで、きっとホグワーツに親戚がいるのだってアルバスに限った話じゃないんだ。
「アルバス、これ食べた?すごく美味しいよ」
「うん、美味しいね」
スコーピウスはプディングを皿に山盛りにしてはしゃいでいる。アルバスはまだ顔色が悪いが、食事のお陰か少し表情が明るくなった気がする。
アウロラはまた別の人に挨拶され、両親のことを同じように言い訳しながら、これは早急に自分の設定を固めておいた方がいいなと思った。アルバスとスコーピウスの二人には両親とも魔法族だが今はマグルの家で育っていることを話してしまったが、他の人にその話をしたら”本当のご両親はどこの家?”と聞かれるかもしれない。母の家……確かシャフィク……はいいとしても、父の方、リドルの名前を言うと絶対にややこしいことになる。
「それにしても、ポッターの息子がね……」
アウロラの耳にまた噂話が飛び込んできて、素早く隣を見た。幸い、アルバスとスコーピウスはご馳走を食べながら喋るのに夢中で聞こえていない。
話しているのはここから少し離れたところに座っている、上級生のスリザリン生だ。一人はくすんだブロンドを横に撫でつけた大柄の筋肉質な生徒で、スウェーデンやノルウェーのような北欧の雰囲気がある。もう一人は黒髪を短く借り上げた大柄な男で、制服がむさくるしい外見をぴっちり包み込んでいるせいか小ぎれいに見える。
「驚きだよ。しかも、お友だちがマルフォイ家とは……」
「そうか?父方はそれなりの家系だし不思議じゃない。それに確か……ポッターには”あの人”の魂が入っていたって話だ、本で読んだ」
「知ってる、知ってるって。とはいえ本人はこたえるんじゃないか?家に帰ったら針の筵だな」
なんとなく事情が読めたような読めないような、はっきりしない感じだ。アウロラは耳を澄ませるのを辞めて、食事とお喋りに集中することにした。
寮に案内される前に、込み合う大広間の前で女の子の声が鳴り響いた。
「アルバス!」
ローズだ。困惑した表情を浮かべている。アルバスは振り向くと、また顔に陰を落として何とも言えない顔をした。
「アルバス、何かの間違いよ。そんなはずないわ」
「間違いなんかじゃないよ」
アルバスは苦笑いして踵を返した。ローズはまだ何か言いたそうにしているが、人混みで押し返されてしまう。
「ねえ、あなた――えっと確か――アウロラ?」
「うん、なに?ローズ」
「アルバスに伝えてくれる?その、組み分け帽子が間違えることもあるって……」
ローズはそう言いながら、自分でもその言葉に首を傾げるような納得いっていないそぶりを見せた。
「お願いね、だって――だってアルバスが……」
「OK、伝えるよ。あの、わたしも」
――リアナとアドレスを交換したいんだけど、どうすればいいかな?
そう聞こうとしたが、ここにはアドレスというものがないということに思い至って、アウロラは「ん、なんでもない」と誤魔化した。それぞれバラバラの寮の場所に向かって監督生に誘導され、ローズたちは人混みの向こうに押し流されていった。
「ねえ」
アウロラは二人に追いついた。
「さっきローズが、"組み分け帽子も間違えることがある"ってアルバスに伝えてって言ってたよ」
「ああ……うん」
アルバスはまた煮え切らない返事をする。
「……先に謝っておくけど、無神経なことを聞いたらごめんなさい。アルバスがスリザリンだと何が悪いの?」
しまった、声が大きかった。
アウロラの質問によって、一緒に歩いていたスリザリン生全員がにわかに静まり返ったような気がした。罰が悪い顔をする三人で目を見合わせ、少し隅っこの方に移動した。
アルバスが声を抑えて答えた。
「それは……僕の父さんがグリフィンドールだからだよ。魔法使いって、親と同じ寮に入る人が多いから、僕がグリフィンドールじゃなかったことで皆驚いたんだ」
「そうそう、僕の家、マルフォイ家も昔からずっとスリザリンだ。ママのグリーングラス家もスリザリンが多かったよ」
「それって、あの……ちゃんと聞き取れなかったけど寮の性格占いみたいなのが関係してる?」
アウロラは聞いた。
「まさにそう……関係してる。多分」
アルバスは静かに答えた。
アウロラは釈然としない気持ちで首を傾げた。
私を選ぶ杖、喋る帽子、頭の中に聞こえる声――確かに魔法とは神秘的で不思議な現象だ。
でも、会ったばかり、否被ったばかりのあの組み分け帽子に、”あなたは勇気があるか、知性があるか、誠実さがあるか、狡猾さがあるか”なんてことを見透かされるのは納得がいかない。あの帽子がそこまで重要な役割を示すことそのものがピンとこない。
だってもし本当にそんなことができるのなら……わたしの適性が既に決まってしまっているのなら……わたしは――………。
「でも本当はそういうことじゃないんだ……」
アルバスはもっと(3人でギュッと頭を突き合わせないと聞こえないほど)小さな声で言った。
「ヴォルデモートもスリザリンだったんだ。スリザリンは……昔からずっと、闇の魔法使いを多く輩出していたことで有名だった」
頭の中でパチンと電流が迸った。そのとき、胸の奥から、マグマのように熱い塊が少しだけ顔を覗かせた。
突如黙り込んでしまったアウロラを見て、アルバスはなんとも言えないような曖昧な表情を浮かべている。「でも、スコーピウスと同じ寮になれたのは嬉しい。それも本当!」――彼がそう付け加えると、スコーピウスは安心したように笑って「ありがとう。僕はアルバスも、アウロラも一緒で嬉しい」と言った。
「わたしのことは、無理して言わなくていいよ」アウロラは、アルバスのために少しふざけた口調で言った。
「無理してないよ!本当……ここだけの話、君って少し特別な感じがするんだ」
「特別って?――ねえ今見た?いま、石の像が動いた!」
「上手く言えないけど……オーラっていうのかな、こういうの……ローズのとは違うけど」
「ホグワーツは絵も石像も階段も動くよ。明日驚くと思う」
「えっなに、階段?」
「ああアルバス!アウロラも僕らも、まだ”動く階段”を登ってもいないのに!」
「ごめん」
アルバスが謝り、スコーピウスがクスクス笑った。
――そういうことだったんだ。
アウロラは胸の中で何度か頷いた。
アルバスがスリザリンに組み分けされたことの意外性とは、ポッターがグリフィンドールだったから。そして、ポッターが倒したヴォルデモートたち悪い魔法使いがみんなスリザリンだったから。
英雄の息子なのに悪い魔法使いが出る寮に来るなんて、っていう驚きだったのだ。
「それじゃあ……なるほどね?つまり、アルバスが……そういうわけだから、みんなヒソヒソしていたんだ」
アウロラが言うとアルバスは軽く頷いて、首をすくめた。
「まあ……しょうがないんだ」
「しょうがなくないよ」
咄嗟に言葉が出た。
しょうがないわけがない。だって、わたしはたぶん、ヴォルデモートの娘なんだから……しょうがないはずがない。
「親のことなんか自分とは関係ないんだから、気にしちゃダメ。わたしは自分と親とは関係ないって思ってる」
「うん!うん!その通り!」
早口でまくしたてて、すぐに後悔した。耳が熱い。スコーピウスがブンブンと首を振っている。本当はこれが言いたかったんじゃなくて、”わたしは気にしない、だからあなたも気にしないで元気出して”と言いたかったのだ。
アルバスは、少し眉を緩めて「ありがとう、アウロラ、スコーピウス」とはにかんだ。
スリザリン寮はホグワーツ城の地下、ちょうど湖の下にあった。寮の入り口にはガーゴイル像があり、そこで合言葉を言うと像が動いて部屋に入れる仕組みだ。今の合言葉は『サトゥーリ・デンテ・リリクタム』。
女子寮と男子寮は談話室の手前で別れている。あらかた談話室の説明が終わって、それぞれ自分の寝室に向かおうというときにアルバスに呼び止められた。
「もしローズに会うことがあったら、僕に構わないでって言ってくれない?」
「……」
自分で言えば?と言いたかったが、彼の傷心度合いを推し量ることができない。仕方なく頷いた。
去り際に、アルバスは周囲をさっと見渡して――多分近くにスコーピウスがいないかどうかを確認して――呟いた。
「別に何が悪いって言いたいんじゃない。ただ、僕はただ、スリザリンに入りたくなかっただけ……それだけなんだ」
まるでスリザリンの緑だ。湖の底を貫き談話室の上から柔らかく注がれる緑のひかり。
彼のそんな緑色の瞳が悲しく揺れるさまが強く心に残った。魔法に浮かれている子どもばかりだと思っていたから余計にそれが衝撃的で、荷ほどきをしてベッドに潜った後もアウロラはアルバスのことばかり考えてしまった。