A

Aの摂動

4.3 ダイアゴン横丁

 残りの教科書を買ったあと、そろそろ操作性が難しくなってきたカートを操って仕立てあがった洋服を取りに行く道すがら、ペットショップを通り過ぎた。

「ペットって……」

 手元の羊皮紙を広げる。『※フクロウ、ヒキガエル、猫を持ち込んでも良い。』と記述がある。

「ペットって別になくてもいいのよね?」
「うん、大丈夫だよ。連絡に使えるフクロウは学校用のがあるし、学年が上がってからペットを持ち込む生徒の方が多いかな」
「連絡にフクロウを使うの?」

 たしかに、買物リストの末尾には『ホグワーツでは一切の電子機器の使用ができません。故障・紛失などの対応は行いませんので持ち込みはご遠慮ください。』と記載があったが、それは『友だちの宿題を写してはいけません』みたいなお約束フレーズかと思っていた。

「そうか、アウロラは見たことないんだね。ハリーが直接手紙を持ってきたから」
「スマホは?ネットは使わないの?」
「ホグワーツでは使えないんだ。マグルの作る"リンゴ"や"ウィーフィー"なんかと、ホグワーツに張り巡らされている防護呪文の相性が良くないとかなんとか……」
「そんな土地が地球上にあるなんて知らなかった」

 もしかしてホグワーツってアマゾンの奥地とか南極大陸みたいな、ザ・ベスト・オブ・僻地にあるのか? あと今ウィーフィーって言った?
 驚異的な事実におののくアウロラとは裏腹に、ショーウィンドウの中でひときわ目立つ白いフクロウは止まり木の上で優雅にくつろいでいる。
 ペット……昔からずっと猫が欲しかった。イスタンブールでは飼わなくたってそこらへんでいくらでも見つかるけど、わたしは自分だけの猫が欲しい。本当は犬のような忠誠心を持った猫がベストだが、そこは動物、思い通りにするのは難しい。勝手に爪とぎしたりベランダにおしっこしたり撫でさせてくれたなかったりと、少しくらい気まぐれな点には目を瞑るから、わたしは自分だけのペットが欲しい。

「猫も手紙を届けられる?」

 ショーウィンドウの少し奥の方で、すまし顔でグルーミングしている黒猫に目が留まる。黒猫! 魔女といったら黒猫だ。しかも、アウロラの家のまわりにはグレーや茶や白はいても黒猫はいない。

「ふつうは無理かな。特殊な魔法をかければできるかもしれないけど……手紙は基本フクロウだ」
「そうなの」
「猫が欲しいの?」
「大丈夫よ。学年が上がったら自分で買うから」

 学年が上がったら……。そう、わたしはこれから7年をホグワーツで過ごすんだ。学年が上がったらきっと色々な魔法が使えるようになって、きっと今よりお金を稼ぎやすくなっているはず。そうだ、魔法が使えるなら人間界でいくらでも商売ができるに違いない。きっと猫を買うだけのお金なんてすぐに溜まる。


 洋服を受け取ったあと、ハッジェにお土産を買っていこうかと思いついてテッドに申し出た。テッドは大いに喜んで、マグル向けのおすすめの雑貨屋を教えてくれて、「僕も少し所用があるから」といって集合場所と時間だけ決めて二手に分かれた。カートに山積みの荷物はテッドの謎の魔法でトランクの中に収納されてしまったので、アウロラはリュック一つでお土産を選んだ。
 学校でつくらされたありがとうカード以外だと、ハッジェにプレゼントをあげるのは二年ぶりだ。というか、ハッジェにあげた初めての誕生日プレゼントは、すごく機嫌が悪いタイミングで出したせいで怒声と共に粉々になった。
 アウロラはどこか奇妙な魔法界センスでつくられた不思議な小物類の棚を眺めながら考えた。どうせ喜ばれないし、今までもプレゼントをあげようなんて思ったことなかった。でも何故か今はプレゼントを選んでいる。落とされても壊れないものがいい……おまえなんかに壊せないんだと……そう無言で主張できるようなやつがいい。
 プレゼントにはよくその人の趣味を考えて選ぶものだ。ハッジェの好きなものは煙草、酒、薬、テレビをダラダラみることだけどどれもアウロラには馴染みがない趣味で、考慮しようにも難しい。カレー作りは好きなんじゃないかと思うけど、昔それを言ったら好きでやってると思ってんのか?!と烈火のごとく怒られたので触れていない。
 結局、昔あげたものと同じもの――マグカップを手に取った。真ん中にフクロウの模様が入っている水色のマグだ。色合いはシンプルで、植物のような駒かな装飾がすてき。一見魔法使いが作ったものには見えないから来客が来ても大丈夫だし、酒を入れるには適さないのできっと珈琲かスープを入れて使う――かもしくは戸棚の奥で眠ることだろう。

「すみません、これって丈夫ですか?」

 混雑する店内の中をかき分けて話しかけると、トゲトゲした帽子をかぶった杏色のローブを着た店員は怪訝な顔をした。

「粉砕呪文に耐えられるような呪文はかかってないよ!看板見てないの?うちはマグル向け!自動湯沸かし機能もなけりゃ感応魔法もかかってないからね」
「すみません」

 その瞬間、マグのフクロウがバサバサと羽ばたいたように見えた。思わず瞬きしてじっと見つめたが、先程まで凛々しく胸を反っていたのが羽の中に嘴をつっこんで丸くなっている。

「あの今フクロウが動いたんですけど、」
「お客さん!あんたがどこ生まれの誰だろうが目があればわかると思うけど――店内が――とても――混んでるんだよ!とてもね!!」
「これください!」

 アウロラは雑貨屋を出た。壁に投げつけられて割れないなら上等、ハッジェがこれの仕掛けにいつ気づくか見ものだ。



 後はテッドとの待合場所に向かうだけである。その前にもう一度あのペットショップに寄ろうか考えていたら、不意に前方から歩いてきた人にぶつかった。
 物凄い勢いだった。それに向こうは大柄の男だったから、アウロラは軽く1メートル以上吹き飛んで、地面の上ででんぐり返しに倒れ込んだ。

「邪魔だ!」

 鼻が痛い。周囲の人がザワザワしている。男は、わざとらしく舌打ちし「マグルで、おまけに難民か。国に帰れ」とすれ違いざまに言い捨てた。誰かが男に反論している。
「すみません……」と言いながら地面から立ち上がると、男は既にいなかった。まるで河の中州のようにわたしを中心に人込みの中に小さな穴ができて、周りの大人が心配してくれている。その人たちにお礼を言って、怪我してないことを伝えて「もしかしてマグル生まれ?ホグワーツの新入生なの?」などの質問に「そうなんです慣れなくて」などと適当にあしらったあと、男の後を追った。
 人込みは得意なはずだった。それなのにぶつかられるまで気が付かなかった。気持ちが浮わついていたのかもしれない……いや実際、確かに浮ついていた……それに不安でもあった。アウロラは標的を探しながら小さな体躯を活かしてダイアゴン横丁を進んでいく。
――やり返してやる。
 魔法使いが財布をどこに入れているのか知らないが――ぶつかる直前、懐に何か紙袋を入れたのが見えた。この際なんでもいいから"取り返して"やる。
 アウロラはすぐさま男を見つけると、後ろから勢いよく近づいて男の様子を観察した。そして、ずっと顎を引いてフードを被って歩いていた男が、ふと上を向いて看板のようなものを読み始めた瞬間、後ろから近づいた。男の右側を通り過ぎながら足でローブのすそをふんずける。男が右側を見たとき左手ではローブのポケットに手を伸ばす――深い。サッと手を入れてつま先に掠ったものの形を掌で確認し、そのまま抜き取った。
 想像以上に大人のローブはスリに向かないつくりだ。きっとゴミくらいしか取れなかったろう……すぐさま人込みに紛れて反対方向に歩きながら、さっき取ったものをワンピースのポケットに入れた。掌より少し小さいくらいの、平たい何か。
 道の隅のほうでちらっと確認すると、オパールに似た玉虫色のひかりを反射する白濁色の板だった。感触は、ちょっと綺麗な石に似ている。だが、その薄さや、まるみを帯びた多角形、そしてよく見ると一点の角を中心に弧を描くような模様が幾重も重なっている様子は、魚の鱗を彷彿とさせる。

「おーい!アウロラ!」

 慌ててポケットにつっこんで声の主を探した。魔法界でスリを行うには一筋縄ではいかない――カートがトランクの中に入るくらいだしな――が、なんだかわからないものでも取り返してやったという事実がアウロラの留飲を下げた。

「見て、アウロラ」

 合流したテッドは手に大きな籠を持っていた。籠の中には黒猫がいる。アウロラがあのとき欲しいなと思っていた黒猫だ。

「この子でよかったかな?」
「え?!この猫、わたしが欲しかったやつ……」
「入学祝のプレゼント!」

 テッドはそう言うとアウロラの前にしゃがんで猫を渡した。まん丸の瞳がアウロラをみつめている。かわいい。凛々しい。まだ小さい。

「ありがとう、テッド。わたし、あの、本当に嬉しい。ずっと自分の猫が欲しいと思ってたの」

 こういうとき、気持ちをもっとストレートに表現できたらいいのに!
 喜びとうれしさで胸がいっぱいになって、思わずテッドに抱き着いた。テッドもぎゅっと抱きしめ返し、頬にキスしてくれた。

「どういたしまして、初めて君の笑顔を見た気がするよ。喜んでもらえて嬉しい。改めてホグワーツ入学おめでとう、アウロラ。君の学生生活が素敵なものでありますように」

 テッドのローブはやはり少し埃っぽくて湿った匂いがする。
 その後持ち帰れないものを銀行に預けて、トルコに帰った。アウロラの心は、ちゃんと掴んでおかないとフワフワ飛んで行ってしまう風船のように幸せに満ちていた。こんなに興奮する興味深いことが今までの人生であっただろうかと思えるくらい、9月の入学が楽しみで仕方がなかった。


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