9歳 スタサプ下忍講座C
イズミの母親・うちはハヅキは外の人間に嫁いだためうちは地区の外に住んでいたが、父を亡くして母親の実家に出戻ったという話をアカデミーの頃に聞いた。
「だから、うちは地区の中にいると少し緊張しちゃう」
母親の作ったお弁当を広げて控えめに笑うイズミに、犬塚ハナが「あ〜〜あるよねぇ〜」とウザそうに相槌を打っていたのを覚えている。ハナは明るく陽気な性格だったから、ハナでもそういう気持ちになるんだ、と思ったけど、子どもは大人の想像以上に幼い頃から他人の感情の機微に敏感だという話を学生時代のバイト先のママさんが話していたことも思い出して、「たいへんだねー」と無難な相槌をうつことしかできなかった。
ぼんぼり提灯に照らされ、橙色の灯りがすずらんのように街の真ん中で光っていた。
白を基調とした浴衣に朱色の細長い金魚が繊細に描かれた装いは、夜の参道によく映えた。母と手を繋いで歩くイズミは、いつもわたしたちの前で見せる姿とは一風異なるはしゃぎようで、「金魚とろうよ!この前、金魚鉢欲しいって言ってたでしょ」と言って母の手を引いてグイグイ金魚の店に突進した。イズミの母は少しやつれた印象の頬がこけた人だったが、突然いなくなったと思うと鬼の仮面をかぶって出てきて、「我は鬼神ぞ〜!!」とおどろおどろしい声を出して両手を上げたので、イズミは、友だちの前で母が突然そんなことをしたのが恥ずかしかったのだろう、顔を耳まで赤くして「ねえ!やめてよ急に!」と甲高い声を出した。
スグリの仕事はたまに夜中も稼働するが、その日は幸い東雲家全員で祭に行くことができた。わたしとコゼツもめいめい浴衣を用意してもらって、ユキたちは喜んでいた。わたしのはユズリハが小さい頃使っていたという水浅黄に華模様の浴衣、コゼツはスグリが大昔に使っていた井草色のを引っ張り出したそうで、少し丈が長かった。
「初めて会ったときのお父さんが、この浴衣を着てたの。十七だっけなあ……ススキみたいにのっぽでね、もう浴衣の丈が会わなくてつんつるてんだった」
「言わなくても……」
「あのお祭り、どこのだっけ?小さかったよね?出店もちょっとだけの……」
「南賀ノ神社。うちは地区の裏手の山にある小さな神社だね」
「そうそう。だからかなあ、ユズが“うちは”なんて嫁いじゃったの」
ユキがあっけらかんというので思わず笑った。そうだよ、だからだよ。あんな神社で『君の名は。』なんてするから時を経てユズリハが引き寄せられたんだよ。
いっそのこと隕石が全てを解決してくれないもんかと思うが、それは劇場版NARUTO『The Last』でやったしアレがくるのは困るので、やっぱりわたしが何とかするしかない。
「ごめんなさいね、悪い意味じゃないんですよ、勿論」
「東雲さん、大丈夫です。わかりますから」
「だってうちなんかただの庶民なのに!」
「わかります、わかりますよ――うちの主人も大層恐縮してましたから」
母親+無言で微笑む父親トークが盛り上がる一方、わたしも久しぶりにイズミと色々話ができた。コゼツは初めての祭を興味津々に見ていて、アレ欲しいとか、アレやりたいとか、人がゴミのようだとか、花火をもっと近くで見たいとか言って元気だった。
母子家庭のイズミはお金がないのを気にしている。自分の為のものを買うことにとても消極的だった。
東雲姉弟がチョコバナナを買ってもらったのを見て、ハヅキが「あんたもアレ欲しいんでしょう」と聞くと、イズミは「お腹空いてないからいいよ」といかにも興味なさそうな顔をした。それでもせっかくのハレの日だからと強引にハヅキが購入して、ピンクと黒のチョコかけバナナを手渡されると、頬っぺたをにこーっと膨らませて頬張って「おいし〜」と笑った。ここにスマートフォンがあったら、今、絶対動画を自撮りしてSNSに載せたのにって思った。
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夏祭りを楽しんだ後、あっという間に秋が来た。
「因みに、おまえ今までどんな修行してたわけ?」
「え。うーん……基礎トレーニングのあとは壁登り、水面歩き、手裏剣……コゼツとの忍組手です」
「基礎トレのメニューは」
「ランニング、筋トレ、走り込み……」
ある昼下がり、広場タイプの演習場でカカシに修行をつけてもらいながら、今までの基礎トレメニューの詳細を話すと彼は呆れてため息をついた。
「お前ね〜、そんなメニューはもっと大人になってからやるんだよ」
この呆れ方は相当だ。早くも暗部時代のカカシの感情の振れ幅を理解しつつあるわたしは、彼が首を振るのを釈然としない気持ちで見上げた。
「ダメですか?」
「ダメっていうか、こんなのどこで習った?アカデミーで習ったか?」
「いえ……オリジナルです」
「こういう筋肉トレーニングはもっと大人になってやるからこそ意味があるんだ。おまえ9歳だろ?筋肉量も少ないし、身体もそこまで重くない。勿論必要な筋肉をつけるのは大事なことだけど、こんなものに時間を使うのはもったいない」
おや……。
言われてみれば、わたしが今やっている筋トレメニューは大学のバドミントン部で使っていたものをそのまま流用している。個人的には、「フン、我ずっとスポーツ系部活に所属していた者ゆえ筋トレのことは知っているのだよ」みたいな気持ちでいたが、言われてみればそうだ。
「今日からオレが教えるメニューをやれ。まず――」
カカシが言うメニューを慌ててノートに書き留めた。
カカシが師匠で良かった……と早くも実感する。それからその場でカカシと一緒に基礎トレーニングをして、今まで使っていなかった筋肉が傷めつけられたのか全身がヘロヘロになったので休憩が入った。
「何故、忍が早くから子どもを鍛えるかわかるか?」
「……慣れるためです」
一瞬、オリンピック代表選手になるため、と言ってふざけようかと思ったがピクリともしてくれなさそうだったのでやめた。
「そうだ。手裏剣やクナイのような暗器の使い方、チャクラの扱い方、ジャンプするときの脚の使い方、飛び降りるときの手の使い方――全て幼い頃から身体に叩き込むことで、より効率的に学習できる。アカデミーで習っただろ、普通の人間とは生活が違うと」
それは習った。忍の心得にも書いてある――『忍として育つ、すなわち忍として生きること也』
「忍として育つことは、すなわち忍として生きること。目を覚まし、息を吸い、食事をして、外を歩く。それら全てを幼い頃から徹底し習慣づけることで、最終的に最も忍として必要な技術――“気配を絶つ”ことができるんですよね」
「わかってるならもっと頭使って修行しろ。お前は……」
カカシは一旦そこで口を閉じ、水筒の水を飲んだ。わたしも麦茶を飲んだ。
「お前は普通の家の子だ。だから、自分の周りに忍としての手本がいない」
「はい」
「忍の子は幼い頃から既にレベルの高い忍の所作を無意識に学んで成長する。勿論血統や本人の努力があってのものだが、有名氏族が常に高いレベルの人材を輩出できるのもその環境が多分に寄与しているはずだ。その環境がないお前は、他と比べてハンデがある――もっと意識して忍としての生き方を身に着けないといつまでも上にはいけないぞ」
カカシは言い放った。
「本気で強くなりたいなら、頭と五感を使って修行しろ。オレや、同じ班のイタチや街を歩く忍たちがどんな風に息をして、耳を澄ませ、歩いているのか観察しろ」
真剣に教えてくれているのがよくわかる眼差しだった。
なぜ、すべての試験でそれなりに良い成績を出しているのにアカデミーを卒業できなかったのか……原因は下忍昇格時期繰り上げだけではないかもしれない。さすがに毎朝寝ぼけまなこでスマートフォンを探したり、「あっ忘れ物した!……してなかった」と充電器と充電コードをバッグに入れたか思い返したりすることはなくなったが、“布団の上でスマホを探す無意識な手の動き”がまさにそれだ。わたしが別の世界の住人として二十余年を過ごしてきた経験が、そのまま今のわたしの手足を動かしているのではダメなのだ。
でも、本当にそんな仕草を身に着けることができるのか少し不安だ。産まれてすぐに刷り込まれるのと、もう何十年も生きてきてから必死で覚えるのと……。
「少なくともそれができるようになるまでは次のステップには進めない。必然的に、オレが教える意味もあまりない」
「えっ」
わたしは困惑した顔でカカシを見た。
――例えば、瞬間移動できる飛雷針の術や、医療忍術の掌仙術を使えるようになれば、それらと体術を駆使して戦うことで多少気配が消せなくてもなんとかなる気がする。気配消し能力MAXの連中が集まる中、霊能力者の中ひとりだけ霊能力が使えないモブサイコの霊幻師匠のように盛り塩パンチを放つのはダメですか?
「――たまにいるんだよ、忍術だけ妙に覚えがよくて難易度が高く使いやすい技で中忍に上がれるやつが」
カカシは忌々しい口調で吐き捨てた。
「そういう奴がどんな死に方をするか……沢山見てきた。戦争でも、戦後の任務でもな」
「…………」
「そいつらは任務に失敗するだけじゃなく見方を危機的な状況に追い込む。最終的には死ぬ……中忍にはなれても上忍には絶対に上がれないからな。オレはたまに、ああいう輩の無残な死体を門に吊るしておいたほうがいいとさえ思うね」
蔑みのこもった声色で言い、カカシは鼻でわらった。
わたしは数回頷いて生唾を飲んだ。まさに今考えていたことを言い当てたのは、下忍にはこういうことを考える人が必ずいるから?
「わかりました。できるかわかりませんが、」
「お前ももう、リーチかかってるんじゃないのか」
カカシは言葉尻を遮り畳みかける。鋭い視線が突き刺さる。
左眼の刀傷のことを言っているのは明白だし、図星だ。動揺してカカシから目を逸らし、口を開けて閉じてを数回繰り返し、下を見て、上を見て、水筒を握りしめてもう一度カカシを見ると、カカシはまだわたしを見ていた。
「これは修行でできた傷なので……」
意味のない返答をして、水筒に口をつけごくごく喉を鳴らして飲んだ。
カカシはわたしが弟子入りを志願してきた理由を、何か下忍は知らない忍術を教えてもらいたいからだと思っている。わたしのあの口上――「下忍は与えられる情報が少ない」という「賢さアピールのための論点がズレた台詞」――を聞けば誰だってそう思うし、たいして間違えてない。
この緊縛にも似た状況を打破できる何かをカカシに求めた。あと四年間でイタチに追いつくような技術を身に着けるのは無理なのに、じりじりと詰みに近づいているのが怖かった。
「カカシさんの言ってることは理屈では理解できます……努力もします。でも、それで本当に強くなれるのか不安です。すみません、まだやってもないのに……」
「強くって?言っとくけど、別に一般家庭出身でも一流の忍になれてるヤツは山ほどいるよ。お前だって、今はこんなだけどあと十年真面目に努力すればモノになる」
「ありがとうございます……?」
カカシはふ、と息を吐いた。緊張が一気に緩み、わたしも深く息をつく。カカシは空気を緊迫させるのがうますぎる。
「アカデミーでの授業は、真面目に受けました。教えてもらったことは守ってるし今も守っているつもりです……それを忠実に実行すれば大丈夫ですか?」
「まあ、基本はそうなるね」
カカシは腰を上げ、肩を回した。
え?くるのか?また突然蹴られるのか?
「こればかりはね、ああしろこうしろって指示できるもんでもないわけよ」
「はい……」
「生活って簡単に言ったって色んな事してるわけデショ。様々な要素で構築されてるから、一人一人違うし、指導もできない。基本的に考えなければいけないのは“音”と“匂い”だ」
「はい」
カカシの言いたいことはわかる――一人一人の日常生活にはほぼ無限のパラメータがある。それら一つ一つに己の痕跡がどの程度あるか自覚し、意識し、それを消したり出したりできるようにならなければいけない。到底他人が一から十まで指導できることじゃないのだ。
わたしはふと髪の毛をつまんだ。たまのご褒美で使っている石鹸――任務前やあの夜関連のことをする前の日は使わないようにしていたが、金輪際やめた方がいいかもしれない。匂いは身体に染みつく……残り香を辿る忍犬だっている世界だ。
「なんか匂いのするシャンプー使ってる?」
「たまに……」
「論外だね」
「すみません……」
悲しくなって口をへの字にしたら、カカシが呆れた口調で「アカデミーの教師にはもっと厳しく指導するよう意見書を出しておく」と言った。
「いえ!授業ではちゃんと習ったんですよ!ただ、いい匂いの石鹸やシャンプーを集めるのが好きだったので……これも木ノ葉の里のお気に入りの店で買ったんです」
「へえ……どこ?」
「小町通り――じゃなかった裏通り商店街のはずれの方にある『唐桃しげみ』です。色々な香りが揃っていて毎回見るのが楽しくて………、…はい、楽しかったのですがもう買いません」
ミクと買物をするときのお気に入りスポットだったが、もう買えないと言わなくちゃいけないのは少し悲しい。
その後は少し手裏剣を見てもらいその日の修行は終わった。「オレもしばらく大きな任務が入るから、しばらく修行はナシ!なんかあったらここに鷹飛ばして」――カカシは仕事用の住所を書いた紙をわたしに渡して消えた。
カカシとの修行から帰宅して夕飯の準備を手伝って、なかなかコゼツがアカデミーから帰ってこなくて先にスグリが帰宅した。「きっとすぐ帰ってくるよ、先に風呂入ってる」と言ってスグリは風呂に入った。
――なんかあった?
――なーんにも。アカデミーのガキに遊ぼうって絡まれてるだけ。
――へ〜〜!やっぱり仲良しじゃーん。友だちできてよかったね!
からかってやろうと思って、ω-11越しにコゼツに話しかけると、ボクがあんなガキ相手に本気になるわけないとか、向こうがつき纏ってくるだけとか言って少し怒った。
――それに最近ネジんとこにも行きにくいし。
――へえ。
人の精神を逆撫ですることに生き甲斐を見出しているようなコゼツでも、気まずいという感情を覚えたのだろうか。
――物理的にね。
――物理的?
――日向家の周りでよく警務部隊と会うんだ。ボクあんまり会いたくない。それにネジはいつも屋敷の東側の庭で修行してるのに、最近は道場でばっかりやってる。さすがに家の中にまで無断では入れないし……。
――へー……なんだろ、不思議だね。
とはいえあの件から半年経ってもコゼツはネジに会いに行っているのだから、わたしにとってはそっちの方が不思議だ。一体ネジのどこが気になるのだろう。
とにかく、すぐ夕飯だから全速力で帰ってこい!と伝えて「コゼツそろそろ来るよ!」とユキに伝えた。ユキはわたしが言うとやおら嬉しそうにニコニコして、「そうね。サエちゃんが言うならきっとそうだ」と言って、久しぶりに庭のガーデニングからお花を切り花瓶に生けた。
カカシの言う通りユキもスグリも一般人。この二人から技術を盗めないのは仕方がないとして、じゃあ、誰から盗めばいいだろう。